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【躁鬱】復職して1週間。希死念慮を抱えながら働くという選択

こんばんは。りんごりらです。
3回目の復職をしてから早くも1週間が経過しました。怒濤の1週間でした。

私は1、2回目の復職の時にはヒヨっては同じ部署に復帰しましたが、今回はもう職場環境を変えないとダメだろうと思い、人事異動を希望しての復職でした。
超慎重かつ環境変化にビビリな人間にとっては、激務とはいえ慣れ親しんだ環境を去り新しい環境に一人で身投げするのはなかなか勇気のいることです。それに加えて、今まで培ってきた3年間の業務経験や知識が全く生かせないところ。まるで新入社員のように一から学びなおし、人間関係を構築していく必要があります。

以前、3日目で再燃した話を書きましたが、この1週間は本当に1日中ずっと鬱状態でした。「鬱」という複雑な漢字がそらで書けるようになるほど鬱に囚われている。

死にたい、自殺したいと思わない日はなかった

というのが感想です。

朝、出勤の際に電車に乗ります。ホームで待っていると、やってくる電車にふわーーーっと吸い込まれそうになる。
「ここで死んだら会社の人はどう思うだろう」とか「ぶつかっても死ねなかったらどうしよう」とか、生き死にの狭間にある微妙で究極的な状態。この感覚がわかる人は同病者。
プアーーーーッと電車が通り過ぎて「ああ、今日もまた死ねなかったな」という後悔の気持ちと「死ななくてよかったかもしれない」という安堵が入り混じる。

死にたいなんて思ったことない!なんて人間とは破局です (笑)
でも実際に上司でいるんですよねこういう人。羨ましい限りですが、ある意味で他人の苦しみがわからない人なのかも、と思ったりもします。
結局のところ鬱って経験して苦しんだことのない人にはわからないです。私たちが他人の苦しみを理解できないのと同じです。病気という概念を知っていても、実際に何が苦しいのかわからない。

仮に「毎日、自殺したくてしょうがないんです」なんて上司に相談しても、動揺させるだけ。深刻な状態なので話は聞いてくれるでしょうが、あまり期待できません。「病院に行け」とか「休暇を取りなさい」で終わってしまう。業務フロー的な対応で人は救えませんし、上司もまたヒーラーではありません。
それに、「自殺願望を抱えながら働いてます」なんて本音を言えば最悪4回目の休職になりかねません。典型的な鬱と違って会社ではニコニコ元気そうに普通の人と同じように働けるので、自分から悩み事を話さないと決して相手には理解されない。

私がたどり着いた結論は、

鬱は鬱として、そこにあるものとして放っておく

ということです。精神力が低下している時は何をやってもダメだと諦め、鬱に抗おうとしないことです。休暇を取ったり、隙を見て仕事をサボるのもいいでしょう。時間を忘れるくらい何かに熱中して、鬱だったことから目を背けるのもいいでしょう。

人間の自然治癒力は素晴らしいシステムです。今は死にたいかもしれないけど、明日は考え方が変わっているかもしれない。死ななくてよかったと思うかもしれない。寛解した時に「なんであんなに死にたかったんだろう?」といつも思います。鬱の時の自分は異常だったなーと。

そうこうしているうちに、1日の中でよかったことに気付けるようになります。まるで愛少女ポリアンナ物語の"よかった探し"のように。

「今日は出社できてよかった」「人とたくさん話ができてよかった」「午前中は集中力が続いてよかった」

毎日の些細なことに喜びを感じていく。その事に気づけるって、病気のあるなしに関わらず素敵なことじゃないでしょうか。

願わくば私もそんな人間でありたいという風に思うのです。


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