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映画「成功したオタク」に捧げる応援歌

 ひたすら愛おしく応援したくなるドキュメンタリーである。

 この映画のオ・セヨン監督(当時まだ大学生!)は「ソンドク/성덕」と呼ばれる「成功したオタク」だ。
 韓国では「成功したオタク/성공한 덕후」のことを略して「ソンドク/성덕」と言う。
 「成功したオタク」とはただのオタクではない。推しに偶然会えた、推しに覚えてもらえた、そういうオタクのことを「成功したオタク」と言う。
 彼女は推しに会う際には韓服を着て自己アピールに余念がないオタクだ。そして推しに覚えてもらいついにはTVにまで出演した。同じオタクなら誰もが羨む大成功を収めていた推し活がある日、強制終了をする。

 映画は「ある日、オッパ(推し)が犯罪者になった。私は失敗したオタクになった」ところから始まる。様々な推しを崇拝するソンドクであったオ・セヨン監督と同じ、推しの犯罪で強制終了を喰らったオタクたちの切なくもくすっと笑える話だ。

オタクのアナザーストーリー


 2018年末に報じられたBIGBANGのV.I(スンリ)の経営するクラブ、バーニングサンで起きた暴行事件から明るみに出た性犯罪事件はたくさんの性犯罪の中でも特にグロテスクだった。何故なら続々報じられる容疑者たちはチョン・ジュニョン、ヨン・ジュンヒョン、チェ・ジョンフン、イ・ジョンフン、チョン・バビら知っている芸能人だったからだ。

 性犯罪は加害者が被害者を人間として見なさず、力で支配する卑劣なものだ。報道を見ている限りは加害者(男)と被害者(女)の構図しか見えてこないが、この映画にはその卑劣な加害者を「オッパ(推し)」と崇拝したオタクたちの悲鳴やうめき声に溢れている。

 オタクたちは女性である。同性の被害者に対して「オッパ(犯罪者)を推してきたことが間接的に二次加害になったのでは?」と思い悩む声には、はっとさせられるし「ちがう!ちがうよ!」と声を掛けたくなる。
 推しが犯罪者になってもまだ推しを応援し続けるオタクたちを理解しようという観点がこのドキュメンタリーの発端だが、脚本、演出、撮影、編集、出演までする多才な監督が吸い上げるオタクたちの声の数々は、オタクというイメージにある狂信的なものではなく、リアルでそして繊細でとても立体的な存在として迫ってくる。

 この映画はどのメディアも取り上げなかったバーニングサン事件のアナザーストーリーだ。多感なティーンエイジャーたちに起きた人生初の黒歴史だ。それが故にやりきれなさと同時に吸い込まれる魅力がある。

オタクを陶酔させるオッパという魔力


テレビ出演したオ・セヨン監督が成功したオタクの輝かしい日!


 オタクたちは推しを「オッパ!」と呼ぶ(苦笑)。
 彼氏や旦那でもないが「オッパ!」と呼ぶ(苦笑)。

 先日通りすがりに見た映画の舞台挨拶の動画で、黄色い声で「ヒョ〜ン❤️」と呼ばれたユ・ヘジン俳優が「え?」とわざと聞こえないリアクションをしているのを見た。女性ファンに「オッパ❤️」と呼ばれたいのだ。黄色い声の主はすぐに「オッパ〜〜〜❤️」と返していた(笑)
 それほどまでに「オッパ」という言葉には呼ばれた人と呼んだ人の間を結びつける魔力がある。 

 中学生からオタクをやっていた監督はじめここに出てくるティーンエイジャーの彼女たちには本当のオッパはまだいないだろう。しかし躊躇なく推しを「オッパ!」と呼ぶ(笑)。アイドルとファンの擬似恋愛関係を完成させるものは「オッパ」という言葉だ。「オッパ!」と呼んだらこの恋愛は一丁あがる。

 更に韓国エンタメの世界は、仮想だけでなく現実的にも芸能人とファンとの距離が近い。
 ファンミーティング(!)しかり、サイン会しかり、出待ち入り待ちしかり、SNSによるやり取りしかり、最近では1対1で推しとビデオ通話できるヨントン(映像通話/영상통화)などというファンサービスまである。近い!推しまでの距離が物理的に近い。推し活を推進すれば必ず直接会える距離に推しはいる。 
 
 人生を歩き始めたばかりのナイーブなティーンエイジャーがこの環境に放り込まれたら成功まではいかなくともオタクになるのはそう難しいことではないかもしれない。韓国のオタクたちがハマった世界の深みと、その甘美な入り口には見ていて気が揉まれるのだ。

オタクはへこたれない


 推し活が強制終了しても残るものがある。推し活で獲得したグッズやCDたちだ。

 監督と、スンリを推していた助監督は、それらを燃やすために残すものとそうでないものを選別し始めるが、グッズを取り出すごとにそこに込められたドキドキとときめいた記憶の自慢大会の様相になるのが実に可笑しい。
 燃やして亡きものにしてしまえという気持ちと、端々に発せられる怒りと、続々と吐露される思い出たちは生き生きとしていて、そしてオタクたちの愛らしいこと!

 誰かのオタクになることは湧き上がる感情の発露だし成果物はモチベーションである。監督が推しからもらったサインには「頑張って勉強してソウル大学に入学しろよ」と書かれている。犯罪者になった人からもらった言葉としては迷言すぎて爆笑だが、監督がこのメッセージを原動力にしてきたことは確かだ。

 当時はソウル大学を目標にしてきたオ・セヨン監督だが、作家やPDに興味があった監督はその後、韓国のコンテンツ界に人材を送り込んでいる通称ハンイェジョン、韓国芸術総合学校映像院映画科に学び、このドキュメンタリー「成功したオタク」を作り、釜山映画祭でも上映され自身のファンミーティングまで開くアイドルのような生活を送っている。ソンドクは転んでもただでは起きないのだ。

オタクの情熱とその意味


 監督は実に機知に富んでいる。
 推しのスキャンダルをいち早く報じた記者について苦々しい思いを綴っていた当時の日記を見つけ、1年ほど逡巡し4,000文字ほどの謝罪のメッセージを記者に書きそして会いにいくところである。映画はここで思いもかけない方向に行く。

 この記者(女性)は一報を報じたことで容疑者の推したちから非難され、当時市民とのコミュニケーションの窓だったSNSのすべてのアカウントを閉じた。監督からの長文のメッセージを読み監督に興味を持ったという記者の「パク・クネの支持者に似ている」と言う言葉に、監督は元大統領パク・クネの釈放デモに参加する。

 すでに懲役20年が確定し受刑をしていた元大統領(現在は病気のため赦免されて自宅療養中)を「閣下」とお慕い申し上げるサポーター「太極旗部隊」の熱気に、観ている私もついつい笑いが込み上げてしまうシーンだ。
 犯罪者になった推しのために傷ついた自分を仲間のオタクたちと省み慰めあっていた監督はここで、懲役20年の判決を受けた不完全な人間をそれでも熱烈に愛してしまう、崇拝してしまう、推してしまう行為をまざまざと見せつけられる。
 推し活とは何なのか?その情熱はどこから来るのか?愛するとは何なのか?根本から考えさせらるものがある。

オタクの道は続いていく


 映画の最後、推しに失望し傷ついたオタクたちが再び推しを見つけ幸せそうな姿を見せてくれる。
 推しを熱く崇拝し、裏切られ、自責し、何かを喪失したオタクたちが今また再び勇気を出して日常のエンタメである推し活という道を進むことをやめない。
 オッパは犯罪者になり最早愛することもできないが、オッパを一途に推した気持ちと費やした時間は、オタクたちの歴史だし、誰にも犯すことのできない宝物だと気づく旅はティーンエイジャーには少々無謀だったかもしれないが、ティーンエイジャーだったからこそのオタクの成長過程も見ることができる。

 尊いのは推しでなく、間違いなく推し活しているオタクの愛が尊いと思える映画だ。オタクたちよ!さあ、つぎに言ってみよう!


追)オ・セヨン監督について


 ちなみにこの映画には監督のキョーレツなお母さんが出てくる。彼女の推し活をサポートしたお母さんもまた大好きな俳優に裏切られたオタクで、その俳優(故)に浴びせるとめどない罵倒の言葉はこの映画の中の見もののひとつである(笑)ちょっと凄まじい(笑)

 小津安二郎の映画「お早う」が好きだと言うオ・セヨン監督。お母さんを出演させた監督のユーモア溢れる感性から来るものだろうが、ユーモアのある映画が素晴らしいものだとしアニエス・ヴァルダの「アニエスの浜辺」とエドワード・ヤンの「ヤンヤン 夏の思い出」も人生映画に挙げている。
 そして監督は「ユーモアの中に人生がある」とも言っている。楽しみなクリエーターのひとりになった。


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