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こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ/岡田淳

この森でもなければ
その森でもない
あの森でもなければ
どの森でもない
こそあどの森
こそあどの森


大人になってから、
大人って昔は子供だったんだなって
初めて実感した。

でも、子供の頃は、
大人は大人だったし、お母さんはずっとお母さんで、先生は先生っていう生き物のような気がしてた。

だから、自分たちに対して使ってくれる労力や時間は、特別なことじゃなくて、義務だと思っておりました。


大人っていうのは、最初から大人だったわけじゃなくて、生まれてきて、ご飯食べて勉強して楽しかったり大変だったり、それぞれの物語をもってその人になってる、みたい。

それは自分が大人にならないと気付けないなぁ


私は三姉妹の3番目で、三角屋根のまっしろなちいさなおうちに住んでいた。
夜はねんねのへやで皆で眠る仲良し家族で、
喧嘩をするには武が悪いので、いつも姉に泣かされては押し入れの奥で拗ねて泣いていた。
本と写真が大好きだったけれど、庭や裏山でよく遊んで、今で言う陰キャと陽キャのどちらもが自分の中にあることに特に疑問は持ってなかった。

夢は立派な魔女になることで、
ドラゴンと狼と龍と猫、仲良くなるのは誰がいいか悩んでいたし、まっくろくろすけやトトロにいつ会えるのか、サンタさんにはいつ会えるのか楽しみにしてた。

人は誰でも子どもの頃がある。


前置きが随分長かったけど、
「こそあどの森の物語」シリーズは
幻想と現実が繋がる私の大切な宝物のようなお話

子供の頃に完結して、
今回ついに続編が出た。

懐かしいあのこそあどの森の、大人のお話。

スキッパーとふたごは、勿論大人はずっと大人だと思ってる。でもそうなの、しわしわのおばあちゃんに、ふわふわの赤ちゃんの頃があったなんて、そんなのドラゴンを見つけるくらい現実感のない話だよねぇ。

けれども今は、写真がある。

森に住む大人の、子供の頃の写真を見つけた3人は、順番に子供の頃の話を聞いて周る。

みんなとっておきの子供の頃がある。

これはきっと、夢中でこそあどの森を読んでいた私達への物語だ。毎日忙しない日常に追われ、子供だった自分たちを忘れた、大人になった私たちへの贈り物だ。


おやすみの日の夜に、きらきらした毎日を思い起こすとびきり素敵な物語を。

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ちょうど近くて原画展が開催されていて
喜び勇んで出かけた。必要至急の用事だ。

岡田先生の大きな絵は、暖かくて優しくて、見ているだけで涙が出そうで、何度も飽かずに見ていた。

折よくサイン本を手にして、大切な大切な宝物が増えた。

読書の記録も公開しようと思って、でもその一冊目に悩んで悩んで、大好きな岡田先生の、1番新しい宝物のにすることにした。

感想なのか紹介なのか、まだ定まらないけれど、大切な宝物のお話。

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