自分にとっての幸せに素直に
夏になるとやたらとシーツ類を洗いたくなります。
汗をかいているからという理由ではなく「夏の太陽のにおい」が好きだからです。
洗濯機に入れるときに思い浮かべていることは、夜、ベッドに”がばっ”と横たわったときに「あ~幸せ!」と言うシーン。
そのためだけに、せっせと毎日のように大物を洗い続けています。
ここ1か月ほど、こういう小さな”自分にとっての幸せ”に素直になるようにしていました。
誰かから言われた「こんなふうにするといいよ」「こんなふうに思ってみよう」とか、人や世の中と比較するのをやめるために”一般的なこと”を全部シャットアウトして。
きょうは朝9時半に仕事が終わったので、このまま帰るのはもったいないと、あまり歩いたことがないエリアを散策してみようと思いました。
画面からもおいしさがビシビシ伝わってくるパン屋さんを見つけて、そこを目指しててくてく。
不慣れな場所なのと、すごく細い路地にあるパン屋さんだったので、スマホを見ながらの散策です。
♢
方向音痴なので、スマホを見ていてもしょっちゅう迷うのですが、きょうもいつもと同じように道を間違えてしまいました。
こういうときって、より画面にかじりつくんですよね。
お散歩したくて歩き出したはずなのに、ろくにお店や景色を見ず、小さな画面の地図に依存してしまう。
都内はぎゅっとお店が詰まっているし、あちこち道がつながっているから、少々遠回りしたって、間違えたって、そんなに大した誤差はないはずなんです。
我に返ったのは、パン屋さんに着いて小麦のいい香りを吸い込み、「うーん!幸せ!」と感じた瞬間でした。
思いどおりにいい天気の下、散歩ができていて、道中だって幸せだったはずなのに、無意識のうちに ”最短” や ”むだのないこと” を探してしまっていたなって。
わたしにとっての幸せはたくさんありますが、「知らないことを知る」こともその一つ。
その幸せを得るには最短も取れますが、最短では気づけない場合も多いです。
本で名言に出合うことも、お店でもないのになぜかワンピースが玄関前にかけてある家を発見することも、伊予柑とバナナという初めての組み合わせのパンを食べることも、知らないことを知る瞬間。
自分の足で、目で、耳で感じて取り入れた情報は、一見手間ですが、幸せに直結しています。
人の言っていることだけを聞き、画面を凝視しているだけでは決して得られないたぐいのものです。
♢
この大したことないちっちゃな幸せの積み重ねが、自分にとっての幸せをゆるぎなくしていくと感じています。
ここにどれだけ貪欲になれるかが、鍵のような気がして。
だから、誰かの声にかき消されて感覚を失ってしまわないうちに、少し周りをシャットアウトしてでも自分にとっての幸せに素直になることが、今こそ必要だと思っています。
そういう意味では、きょうは幸せにとても素直になれたということで…。
ダイエット中なのに5つもパンを食べてしまったことは、なかったことにします。(汗)
悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。