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合わない理由を深掘りしてみる

ことしは「食わず嫌い禁止」をベースに物事を選択することにしています。

心の底から「嫌だ!」と思う以外のことは極力チャレンジしてみる。

自分の世界に常に新しいことを取り入れていくと結果的に楽しくなることが多いし、チャレンジしてみて合わなくても”合わないことが分かった”ということ自体が収穫になります。

でも、この”自分に合わなかった”というのを「合いませんでした。以上。」で終わらせてしまうことはちょっともったいない気がしました。

「なぜ合わないと思ったのか」にはたくさんの情報が詰まっているからです。

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先日、友人が主催したサークルに途中まで参加したけどやっぱりやめようと思うという電話がある人からありました。

もともと抜けるのは自由だったので、何かほかに問題でもあるのかなと話を聞いていたらこんなことを言っていたのです。

「自分の中に制限がある感じはするんだけど、
私は今のままの人生に満足している。
これは時間の無駄だと思う。
だから続けない選択をする自分に従おうと思う」

サークルにはやめる人の意思を尊重する、引き止めないというルールがあったのでお話を聞くだけ聞いたのですが、「制限がある感じがしていて、でも満たされていて、それに従う?」と頭の中にクエスチョンがたくさん出てきた時間となりました。

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物事に合わないと感じることはもちろんありますよね。

でもここで「何が合わないのか」をもう少し丁寧に見ていくといろいろなことが見えてくると思います。

その中には”大切にしていること”と”課題”が隠れています。

お話を聞いていくうちに、その人の言う「制限」の中の一つに”自分が100%いいと思えないものは続ける価値がない”という基準が見えてきました。

90%でも95%でもだめなのです。

”100%納得したものなら受け入れる。”

ということは、「行動するときに完璧に納得していること」がその人にとっての第一優先事項であり、求めていることであります。

”100%のものがあれば行動するけど
それ未満は時間の無駄だから今で満足。”

こうなってくると「続けていくことで見える学び」が得られなくなります。

80%の納得感で学び続けてみたら、思わぬところに収穫があった。

60%の納得感で始めてみたら、ふだん絶対に会わないであろう人に出会えた。

こんな「素敵な偶然」を体験して人生を広げていった先の”もっと大きな満足”を視野に入れるチャンスをみずから手放してしまっていることが課題です。

選択はもちろん自由です。

そのとき自分に合う理由だけではなく”合わない”とやめたプロセスを深掘りしてみる癖をつければ…。

どちらを選んだとしても自分の成長の種が手のひらに。

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悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。