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なぜ若者は「地元には何もない」と思い込むのか?

私が大学の卒論で書いたテーマがタイトルのものなんですけども、いまだに明確な答えは出ていません。

コロナ禍で、地元志向の若者が増えているとニュースで見たのですが、これは結果的にそうなっているだけで、若者たちが本当の意味で地元に帰ることを望んだわけではないと思います。(それでも、都会に住むことのデメリットが、幾ばくかの若者に伝わったのは事実でしょう。)

地元に対して、「就職先がない(大企業がないため、安定した就職先は公務員ぐらい)」「遊ぶところがない」「魅力がない」などなど、ネガティブなイメージを持った若者が、それらを求めて卒業後、都会へ移り住むといったパターン。よくある話でしょう。

しかし、そういう理由で都会に行ったものの、「こんなはずじゃなかった」と思いながら暮らしている人もいるでしょう。

私は、そういう人たちに、都会に出る前に、地元の良さに気が付くきっかけがあれば良かったのにな、と思うのです。

隣の芝生は青く見える―まさにこれです。自分の持っている・知っているモノの価値に気が付けず、遠くのキラキラして見えるモノにばかり目が行ってしまう。人間誰しもあるでしょう。

魅力がない土地なんて、存在しません。人が一人でも住んでいれば、そこには何かしら価値のある場所だと思います。

もちろん、地元の良さを理解した上で、挑戦したいことがあるから地元を出ていく、などのような積極的な理由ならば、私から言うことはありません。どうぞ頑張ってください。

問題は、隣の芝生が青く見えている状態の人です。地元に文句を言いながら、表面的な都会の魅力を語るなんて、ナンセンスです。ダサいです。

価値のあるモノが皆キラキラしてて、アピール上手なコンテンツだとは限らないのです。

魅力が伝わりにくいだけで、味わえば味わうほど、知れば知るほどいいモノだと分かる、なんてものが、一見魅力のない地元に溢れている可能性があるのです。

といった導入から書き進めていき、地元にかつて存在したとある地域雑誌の内容をベースに、地元を生きる若者たちの価値観みたいなものを抽出して、「ほら、地元でこんなに楽しく生きていけるじゃん!」という感じで締めくくった記憶があります。

こういうことが実践できればいいよね、というところまでは持っていけたのですが、肝心の「では、自分ならどうしていきたい?」という問いには答えられないまま卒論を完成させ、卒業してしまいました。

これは社会人として生きながらも考えていかなきゃいけないテーマだと思うのですが、何かゆっくり考える時間って意外とないもんだなって思うんです。

だから、時間のある学生のときに、できる限り経験を積み、学び、自分の中に落とし込んでいく必要があるなあと改めて思いました。


おわり。


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