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第3話 無限ループ

2008年に地球の裏側メキシコのグァナファトにてお惣菜デリカ「デリカミツ」を創業して、2020年10月、12年半に渡って喜怒哀楽満載の思い出がつまった宝石箱を胸に代表を引退しました。このnoteではそんな日々を振り返り備忘録として、同じ失敗はしないように、またこれからの新しいストーリーの為に記していきます。

営業許可証を申請する為に必要な書類の大体はそれほど苦労することもなく手に入った。物件の契約書はオーナーのディアナが文具屋で買ってきた簡易なもので直ぐに作ってくれたし、公共料金の領収書も繋がれている電話回線がディアナの母親のものだったから問題はない。デポジットと最初の家賃とを支払った領収書のコピーも、申請書類に添付する物件の写真や簡単な図面も難なく準備できた。

人はやったことのないことでも、やってみればそれなりに出来るもんだ。

シルビアが教えてくれたおかげで、営業許可証を申請するのに必要な書類は1日もかからずに用意できた。ただ一つ、あの優しいシルビアでも流石に見逃してはくれない長期滞在許可証だけはどうしてもどうしていいかわからなかった。

「悪知恵なら任せて」という顔をしている物件オーナーのディアナが
その外見どおり悪知恵を働かせていた。もちろん悪気なんて全くないのだけど、政府や役所のすることなすことを良く思わない人たちはどこにでも一定数以上いて、どうにかして彼らが市民に課す義務を免れることに情熱的になる人たちがいる。ディアナはまさしくそんな人で、事ある事に大学の制度がどうだとか、営業許可なんて役所が申請料を集めたいがばかりに発行しているものだとか、役人達は汚職ばっかりして何も自分達に役に立つことはしていないだとか、そういう事を聞くたびに僕は言葉がわからないふりをして聞き流していた。

「私がその営業許可証の名義人になって申請してあげるわ!」

名案を思いついたらしく、いつも自分からは絶対に連絡してこない彼女が僕のコンビニで買った小さなノキアの携帯電話に電話をかけてきた。

未知の土地で僕のような外国人が起業をするならば、彼女のように信頼ができるパートナーを見つけて、こういったビザがないと出来ない手続きや、もっと言えば税務や労務といった法的に必要な手続き全般を担ってもらうことも可能で、そういったパートナーシップが外国で成功する為に重要な要素になることがある。逆に言えば、そういう人脈もコネも知り合いも何もない状態で外国で起業をしようとしている僕はどちらかというとレアすぎるケースなんだろう。ディアナの提案はそんな僕にとっては願ってもない話だった。

もちろん、信用できれば。。。 の話だ。。

まだ出会って数日間しか経っていなけど、彼女の思いつきの発言に少しづつ違和感を感じるようになっていたし、僕はどちらかというと石橋を叩いても渡らないタイプの人間である。こんなところでゼロからお店を作っていて、どの口が言うんだと言われれば確かにそうけど、何故だか人を簡単に信用できない、それで良かったこともあれば、チャンスを逃してしまったことも多々あるから、どっちが良いのかはわからないけれど、この時のディアナの提案には揺れなかった。
勘違いをしてもらいたくはないけれど、彼女が僕を騙そうとしているとか、意図的に手のひらを返すとかそういう疑念はない、彼女のおかげで何もない僕が異国の地で一歩を踏み出せたのである。感謝しかない。単純に僕は彼女の名義で営業許可証を取るということに対して一歩も踏み出せないでいた。

その直感は後に彼女と彼女の母親が巻き起こした騒動に巻き込まれたときに当たったと実感するわけだけど、この時の僕はその事をしる余地もない。

「お店をやりたいんだけど、ビザってどうすればいい?」

単刀直入に聞いた。移民局の窓口でインテリという言葉はこの人の為にあると言っても過言ではないパコはそんな僕の質問にこう答えた。

「就労ビザを取ればできるよ。」

パコよ。それはもう知ってるよ。FM3でしょ。いや、もう名前なんてどうだっていい。とにかくそれはもう知ってる。知りたいのはどうやったらそれを取れるかだよ。パコと話せる順番がくるまでに移民局に着いてから既に2時間を経過していて、この国の役所にはうんざりしていた。
少し前、僕はパコが働いている移民局に来る前に、別のもっと大きな街の移民局にも行っていた。そこには見るからに愛想の悪い局員が様々なビザの問題で来ている人達に酷い対応をしていた。何時間も待たされ、挙げ句の果てに次の日に来いと言われる。今となってはなんともないことも、当時の僕には理解ができずただただ憤るだけだった。移民局といえば僕たち外国人が一番恐れる役所でもある。彼らに出て行けと言われれば出ていかなければいけないし、彼らには強制的にそれをする権限があるのだ。

だから

「明日来なさい。来れない?それは移民局の問題ではない。」

と言われても従うしかなかったし、その時の僕は無力感でいっぱいだった。
「明日来い」と言われても明日誰かが対応をしてくれる保証もない。

翌日、往復2時間をかけて再来した移民局。また数時間まってようやく局員の一人が対応してくれた。

「ビザを取りたんだけど」

「だったら、明日向こうの窓口に並びなさい。ここでは教えることはできないから。」

そんな事があるのか?一瞬何を言われたのか理解できない。
「明日来い??昨日も同じ事を言われて来たのに。。」
日本ではない何かを望んでここにいるはずなのに、その現実が僕を混乱させ、疲弊させていた。声を荒げて局員に詰め寄るけど、同じこと。

「昨日、此処に来いと言われたんだけど、なんでまた明日向こうに並ばないといけないんだ?」

「明日向こうに並びなさい。ここはビザの申請を書類を提出するところで、質問するところじゃない。」

「だから、どういう書類が必要なのか知りたいだけなんだよ。」

「嫌なら来なくていい。とにかくそれは向こうで聞いてくれ。」

押し問答を何回も何回も繰り返しても何も進まない、まだこういう状況をすり抜ける能力が備わっていないこの頃の僕には無力感と憤りを抱えてその移民局を後にするしかなかった。

「サンミゲルという街にも移民局がある」

僕が移民局で相当な洗礼をうけたことをどこかで知った誰かが教えてくれた。何か解けない問題に直面したとき、とにかくアンテナを張り巡らせて、小さな情報から集めていく。知恵の輪をこちらから、向こう側から、右から左から眺めると、ついさっきまで動かなかった輪が少しだけ動く。それを繰り返していくうちに、輪が外れる。今回の輪っかは手強いけど、どこかに解はあるんじゃないか?そう思って僕はサンミゲル行きのバスへ乗り込んだ。

その街に行くには倍くらいの時間がかかるけど、もうあの移民局には戻りたくないとたどり着いたユネスコの世界遺産に登録されたサンミゲル。その小さな街の端に移民局はあった。街には定年退職してこの街に移住する欧米人が沢山いて、到着した移民局には英語が飛び交い、移住したい欧米人とそれを手助ける弁護士で溢れていて、待ち時間を退屈させない為に設置されたテレビからアニマルプラネットのホストがワニの口を両手で大きく開けて笑っていた。
2日連続門前払いされた別の街の移民局とは大違いの雰囲気に僕は言葉を失ったけど、そうこうしているうちに整理券の番号を呼ばれ、僕はパコのテーブルについてこう聞いた。

「お店を出したいんだけどビザってどうとればいいの?」

パコに辿り着くまでに、別の移民局と同じように2時間ほどの待ち時間があったけど、2時間を経過して得た答えは全く別のものだった。

「就労ビザを取ればできるよ。」

「どうやって就労ビザを取ればいい?」

そう聞いた僕に、彼は一枚の紙に慣れたようにボールペンで丸をしながら

「これと、これと、これを用意して提出してみなさい。自分でお店をするのかい? だったら、そのスキルがあるかどうか証明できるものも必要だよ。でも、とりあえずこの丸印をつけたものを用意して申請すれば、後はまた移民局からなにかしら案内があるから。」

付けられた丸印に書かれている必要書類が何なのかはよくわからなかったけど、窓口で門前払いされたような扱いを受けた別の街の移民局とは比べ物にならない対応をされて混乱していた。もちろん良い混乱だ。何故これだけ対応が違うのか?そんな事を知る必要も文句を言う必要もない。一歩も進めないと思っていたビザ取得への道が目の前に開かれたその現実に僕は嬉しくて震えていた。不可能だと思っていたことが、少し可能になる。この国にいるとそういう経験を沢山して誰もが強くなっていく、僕の物語にもそんなストーリーが沢山あるけれど、パコの対応はまさしく不可能が可能になる第一歩だった。

そう、丸印の内容を理解するまでは。

パコが丁寧につけてくれた丸印には、身分証明書であるパスポートや観光ビザ、そして住んでいるところの公共料金のレシートなど、さほど難しいと思うものは無かった。申請書をちゃんとした文章で書く必要があったけれど、移民局の目の前にある移民専門の弁護士事務所が代行してくれる。それもパコが教えてくれた。

営業許可証

必要書類のその項目を見た瞬間、目を疑った。「営業許可証」?? 何度も見直したけど、そこにはそう書いてある。パコ曰く、簡単に言えば「どこで働くのかを証明するもの」である。つまり、仮にどこかの会社に雇われる為に労働ビザが必要な場合はその会社の所在地や、会社で働く事を証明するジョブオファーのレターが必要で僕のように自分でお店をやる人や、起業して自分の会社を持つ人には、「どこでお店をやるのか?」「その店が存在する証明」「会社の登記」などをである。僕は会社を興す予定ではなかったので、お店をその場所でやるという証明の為に営業許可証を提出しなければいけなかった。 

「市役所に行ったら、営業許可証を申請するためには、FM3かそれ相当の滞在許可証か身分証明証が必要だっていわれたんだけど」

「自分でお店をするんだよね?君がそこで働くなら労働ビザが必要だし、君がオーナーで誰かを雇うなら別だけど、それだと観光ビザが切れたらまた国外へ出て、再度入国しなければいけない。どちらにしても、自分の事業するなら労働ビザをとらなきゃね。それで君は自分のお店をするんでしょ、だったら何処で働くかを証明できる営業許可証を提出してよ。」

つまり。。。

営業許可証を申請するには、FM3つまり滞在許可証が必要で

滞在許可証を申請するには、働く場所を証明できるなにか、僕の場合だと営業許可証が必要。。。

卵がないと鶏は産まれないけど、鶏がいないと卵を産めない

まさにそういうことである。

営業許可証がないと、何処で働くのかを移民局に証明できないから、じゃあ会社を登記でもして、その会社で働くことにすればいいのか? だけど、会社を登記するにしても、観光ビザしかない僕が出来るのか???

これは後で会社を登記する役所に行って聞いたことだけど、外国人でも会社は登記できるけど、やっぱりそれは滞在許可証、FM3、または永住権をもっている外国人に限るということだった。2008年当時の情報。

ビザを取れば営業許可証は申請できるけど、ビザを申請するのには営業許可証がいる。

「パコ。どうすればいい??」

既にパコの机についてから、1時間以上が過ぎていた、後ろを振り返るとまだまだパコの仕事は終わりそうにない。パコは諭すように言った

「とにかく、君が何処で働くのか、お店をするのかを証明してくれないと、労働ビザの申請は進まい。どうにかして営業許可証を取ってきなさい。」

「どうにかしてって言っても、営業許可証を取るにはビザが必要なんだよ。。」

僕は無限に抜けられないループに入り込んでしまっていた。

つづく





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