見出し画像

シン・短歌レッス56

俳句レッスン

ブラシの木。すでに夏の季語になっているのだそうだ。草木は花が季語の目安になるのだろう。ブラシの木が俳句として際立つのはまだ無理なのかもしれない。それ以外で目立たせることができるのか?初夏の句である。

夜泣きする子泣きじじいにブラシの木

怪し(あやし)の花としてのブラシの木は子泣きじじいが似合っているかも。

本歌取りレッスン

『百人一首』

ついでに「うたの日」でも練習(5/15日)。四種目は山辺赤人。逆からやるべきだったか?ボス級ばかりだ。『百人一首』はそういうもんだった。

田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ  山部赤人

『百人一首』

「うたの日」は「藤」だった。

藤棚の向こうに富士の高嶺(たかね)雪花木は茂り浦の裏庭

うたの日

どんまいだったが、こんなもんだろう。理解者はいない。けどこのスタイルを続けてみよう。なんせ先生は定家なわけなのだから。今回は本歌の方が立派過ぎたわけだ。もう一つ現実に寄り添う必要があったのだろうか?幻想世界だとしたら、もっと藤の花が見えた方がいいかもしれない。

藤棚の向こうの富士の高嶺(たかね)雪 風そよぐ花浦の裏庭

藤原定家の和歌

21ゆきなやむ牛のあゆみにたつ塵の風さへあつきなつの小車

韻字は結句(五句目)に置くコトバか?「車」ということなのだが。「小車」は貴族の立派な車ではなく庶民の小さな車(カローラとか?)。そういう庶民の車も貴族の車と同じ所を通る。その道に砂塵が舞うが「あつきなつ」の喧騒が伝わってくる写生歌だった。定家のこのへんのリアリティの歌も作れる力量か?

22大空は梅のにほひに霞みつつくもりもはてぬ春の夜の月

本歌は『新古今集・春上』の大江千里の歌

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき  大江千里

『新古今集・春上』

大江千里の本歌取りなのは、大江千里が漢詩は『白氏(白楽天)文集』の「不明不暗朧々タル月」からの翻案だということの批評性を持った作品だからである。他の歌人の論評では、蘇軾(そしょく)の詩「春夜」も含んでいるという。

ただ藤原定家がこの本歌に惹かれたのは『源氏物語 花宴』で引用されていたからだ。

朧月夜が光源氏の前に現れた時に口ずさんだ歌だという。定家は何よりも『源氏物語』オタクとして、大江千里に嫉妬したはずである。さらにその歌を上回る和歌こそが必要だと思ったのだと思う。オタク歌人として『源氏物語』の登場人物が自身の歌を口ずさむ。これ以上の妄想はないだろう。ただその時は「朧月夜」と呼ばれることがあったかそれも問題だ。

23霜まよふ空にしをれしかりがねの帰るつばさに春雨ぞ降る

帰雁という主題の歌が、それまでは惜別の情を歌ったという。

春霞立つをみすてて行く雁は花なき里に住みやならへる  伊勢

『古今集春上』

定家の歌は上句で霜が羽に付くほどの冬の厳しさを歌い、春雨によってその霜が溶けていく頃に飛び立つ雁の姿そのものを歌う。人生訓のような歌だった。

24春の夜の夢の浮き橋とだえして峰にわかるる横雲の空

「夢の浮き橋」が『源氏物語』の世界だ。

そして本歌は壬生忠岑の恋歌。

風吹けば峰にわかる白雲のたえてつれなき君が心か  壬生忠岑

『古今集・恋歌』

横雲は『文選』の「高唐賦」は、巫山を訪ねた王が美女と出会う物語詩で、雲の化身が美女なのである。

25夕暮はいづれの雲のなごりとて花橘に風のふくらん

夕暮大将の歌だった。花橘は匂いの常緑樹で、これも『源氏物語』に出てきたのだ。夕顔の帖だという。

これはちょっと違うと思う。花橘は「花散里」に出てきた。こっちだろうと思う。

様々な解釈が出来る一首ということなのだろう。それも定家の歌の魅力だ。そしてこれにも本歌がある。

五月待つ花橘の香かけば昔の人の袖の香ぞする  詠み人知らず

『古今集・夏』

定家は『源氏物語』の世界を短歌で蘇らせるのだが、その手法として本歌取りを使っているのかもしれない。本歌からは美的なコトバを用いて『源氏物語』の世界を新たに再構築する。

26わくらばに問はれし人も昔にてそれより庭のあとはたえにき

本歌は在原行平の歌。

わくらばにとふ人あらば須磨の浦にもしほたれつつわぶと答えよ  在原行平

『古今集・雑』

この歌も『源氏物語』の世界を描くとしているのだが、当たり前の「須磨」ではなく「末摘花」だとする。定家は女歌として詠んでいた。ただ『新古今集』の歌題には「閉居の心を
」とあり、それは隠者(男)ということだった。「須磨」で引歌として引用されているのだから「須磨」でいいと思う。そうすれば源氏の気持ちとして通じる。

27梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ

『伊勢物語』の業平になりきった歌だという。それはオタク精神とも呼ぶべき妄想なのだと思う。定家が業平のはずはないではないか?という世間の目を見事に裏切ったと言えるのか。業平の歌は『新古今集春上』の最後に置かれたのである。春下は桜の歌が並ぶ。定家の月(光源氏=業平)好きと梅の花(女)の最後を重ね合わせているのである。

なおこの『伊勢物語四段』の歌は『新古今集』では他の歌人との競作になっていた。

梅が香に昔を問へば春の月答へぬかげぞ袖にうつれる  藤原家隆
梅の花たが袖ふれしにはひぞと春や昔の月にとはばや  源通具
梅の花あかぬ色香も昔にておなじ形見の春の夜の月  俊成女

『新古今・春上』

28駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮

夕暮大将。定家の趣味が分かってきた。上昇よりは下降だった。本歌は『万葉集』。

苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野(さの)の渡りに家もあらなくに  長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)

『万葉っ集巻三』

東国武士に思いを馳せた歌だという。

29君が代に霞をわけしあしたづのさらに沢辺の音(ね)をやなくべき

定家が宮中で暴力事件を起こして除籍させらた(殿上人から落とされた)。後鳥羽院からは昇殿を許されなかったが父俊成の計らいにより、後鳥羽院の歌会に参加した時の歌だそうである。「鳥」の題詠で、定家は鶴に擬人化しているという。

30さくら色の庭の春風あともなし訪(と)はばぞ人の雪とだにみん

本歌は業平。

今日来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花とみましや  在原業平

『古今集・春上』

業平の歌は挨拶歌だが久しぶりに来たことを皮肉る内容で、定家は今日来なかったら雪しか残らないと皮肉っている。それを父俊成の判者の時に詠む大胆さ。定家は桜は好きではないのだ。それは雪かもと見るのだが足跡が付かない桜色の庭だったという内容。皮肉屋な定家だった。

今日の『百人一首』は

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける  家持

「かささぎの橋」というのは、七夕の織り姫と彦星の話。それだと季節が違うので、「かささぎの橋」を奈良は平城京の御殿の階段になぞらえたものだろう。その橋に白い霜が覆っている。元は唐詩選の張継(ちょうけい)「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の一節「月落ち烏(からす)啼いて、霜天に満つ」を元にしたもので、冬の冴えわたる夜空の星を、白い霜に見立てたもの。

山頭火の句

わかれきてつくつくぼうし

上5中7で下に5文字を加えれば定形になるのだがそれをしなかった。この句と関連して、

わかれてきた道がまつすぐ
ますぐな道でさみしい

があるのだが、後句は「道」という随筆で取り上げられていた。

どうしようもないわたしが歩いてゐる

境涯俳句だという。

石田波郷か。俳句に従来の花鳥諷詠俳句に飽き足らず、前衛俳句として出てきたようだ。

涸れきつた川を渡る

山頭火らしい句だけど厳しすぎるような。放哉が恋しくなる。

捨てきれない荷物のおもさまえうしろ

荷物が持てるだけしかないなんて羨ましい。部屋2つの荷物どうするか考えないようにしている。

焼き捨てて日記の灰のこれだけか

これもネットのあっちこっちに書き込んでいるから、いつも死んだらどうなるんだろうと考えてしまう。noteは何年ぐらい残っているものなのかね。半永久的?

山頭火もそう句を作ったが、それ以降行乞記という日記をつけていたのだ。山頭火は随筆も結構書いているんだよな。けっこう未練たらたらなんだと思う。

ぬいてもぬいても草の執着をぬく

こういう句が好きだ。

蜘蛛は網張る私を肯定する

こういう句を作るとどうしたんだ山頭火と心配になる。

映画短歌

『ベニスに死す』

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の声きく時ぞ 秋は悲しき  猿丸太夫

『百人一首』

本歌取りの映画短歌。

夕暮れて海水浴に一人立つ浜の賑わい避けて沖まで

この記事が参加している募集

#今日の短歌

39,052件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?