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光源氏は手紙魔の大王だった

『源氏物語 12 須磨』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第12帖「須磨」。源氏に対する圧力が強くなり、悩んだ末に源氏は須磨への隠棲を決める。縁の人々と涙の別れをし、紫の上の面影を抱いて京を去る。寂しい庵で過ごすうちに季節は巡り、頭中将が訪ねてきた。二人は眠る事も忘れて語り合った。須磨に近い明石の浦に明石の入道という人がいて、源氏に娘を差し上げたいと願う。田舎育ちの娘などもらってくれないと入道の妻は言うが、入道の気持ちは変わらなかった。

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これまで光源氏の恋愛物語がメインかと思ったが思っていたより政治物語ではないか。光源氏はその手腕で女をたぶらかせて権力に近づこうとしたのではないかと。その思惑が見事に外れて右大臣側から疎まれるようになるのだ。

そのことは左大臣側から右大臣への権力の転換期であり、須磨に逃れるのは島流し的な政治への失脚があったとするのだが、まだまだ中央復帰の道を探っているのではないか?

それは光源氏のまめまめしさというか、これまで関係してきた女性に手紙を出すのだがその裏工作(こういう裏工作は十分政治的だった)は女性だけではないのだ。女性の関係性を見て恋愛物語とするのだが政治の世界だ。

そして光源氏の力を見込んで明石の入道は娘を嫁がせようとするのだし、海の中の龍王も光源氏を求めているのである。

それでもここは光源氏の手紙コレクションだった。女性だけではなく男性にも送っているのだが、ここは女性限定として誰に宛てたていたかのクイズ形式で。

(光源氏)
鳥部山もえしけぶりもまがふやと海士(あま)の塩焼く裏見にぞ行く
(返し)
なき人の別れやいとど隔たらむ煙となりし雲居ならでは

(光源氏)
身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は離れじ
(返し)
別れても影だにとどまるものならば鏡をみてもなぐさめてまし

(光源氏)
月かげのやどれる袖はせばくともとめても見ばやあかぬ光を
(返し)
ゆきめぐりつひにすむべき月かげのしばし曇らむ空なながめそ

(光源氏)
逢ふ瀬なき涙の河に沈みしや流るるみをのはじめなりけむ
(返し)
涙河うかぶ水泡(みなわ)も消えぬべし流れてのちの瀬をも待たずて

(○○)
見しはなくあるは悲しき世の果てをそむきしかひもなくなくぞ経(ふ)る
(光源氏の返し)
別れしに悲しきことは尽きにしをまたぞこの世の憂さはまされる

(光源氏)
生ける世の別れをしらで契りつつ命を人に限りけるかな
(返し)
惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな

(光源氏)
こりずの浦のみるめのゆかしき塩焼く海士やいかが思はむ
(返し)
塩垂るることをやくにて松島に年ふる海士もなげきをぞつむ
(別の返し)
浦にたく海士だにつつむ恋なればくゆるけぶりよ行くかたぞなき
(さらに別の返し)
浦人のしほむ袖にくらべ見よ波路へだつる夜の衣を

うきめかる伊勢をの海士を思ひやれ藻塩垂るてふ須磨の浦にて
伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり
伊勢人の波の上漕ぐ小舟にもうきめは刈らで乗らましものを
(光源氏の返し)
海士がつむなげきのなかに塩垂れていつまでも須磨の浦にながめむ

荒れまさる軒のしのぶをながめつつしげくも露のかかる袖かな

上に上げたのですべてではないのだ。さらに東宮や部下たちにもまめに手紙で歌を詠む光源氏だったのだ。上から大宮(葵の母君)、紫の君、三の君(花散里)、尚侍(朧月夜)、藤壺、紫の君、尚侍、六条御息所、などなど。これだけの手紙のやり取りするぐらいまめだったわけだ。多分何通もやり取りがあるのだ。普通の人だったら相手を混線してしまい大事になるのが当然というか、光源氏の手紙魔ぶりが見事な帖であったのだ。


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