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芥川龍之介を読む

今日(7月24日)は、芥川龍之介(1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日(河童忌))の命日なので芥川龍之介を特集します(過去記事から)。芥川は俳句もやっていました。俳号は我鬼。また、芥川龍之介は遺書代わりの俳句を残しています。

「水洟や鼻の先だけ日が暮れる」

最後に鼻だけが息をしている状態で他はすべて死んでしまったということらしい。これを妻に手渡し、医者に渡してくれと。いきなりこんなん読まされてもわかんねーよ。

また愛妻家であったのか妻に宛てた手紙は有名です。

「だって好き同士だったから…」龍之介と妻・文への手紙。


『黄粱夢』

『尾形了斎覚え書』

『地獄変・偸盗』 (新潮文庫) 

“王朝もの”の第二集。芸術と道徳の相剋・矛盾という芥川のもっとも切実な問題を、「宇治拾遺物語」中の絵師良秀をモデルに追及し、古金襴にも似た典雅な色彩と線、迫力ある筆で描いた『地獄変』は、芥川の一代表作である。ほかに、羅生門に群がる盗賊の悽惨な世界に愛のさまざまな姿を浮彫りにした『偸盗』、斬新な構想で作者の懐疑的な人生観を語る『藪の中』など6編を収録する。

「地獄変」(1918年/大正7年)
絵師の良秀と良秀と名付けられたら小猿の対比が鮮やか。絵の完成の為なら娘を犠牲にする者と助けられた恩を忘れず娘と運命を共にする猿と。小猿は娘を助けたかったというより運命を共にしたんだろうな。畜生でも恩を忘れないという教訓話でもないよな。出来上がった絵は素晴らしいものだった。芥川は教訓ぽいところもあるが、その反面の鬼のほうに関心があっあのだろう。良秀は絵師としては娘を犠牲にしてまで絵を完成させたが、父親としては首を吊って死ぬ。鬼もいれば親もいる。

『寒山拾得』

1918(大正7)年3月に執筆された「東洋の秋」の草稿のひとつである。西洋文学との間に懸隔を感じながらも創作のヒントを探そうとする人物が電車の窓から「寒山拾得」を見つけ、懐かしく思う内容。     

俳号は我鬼鴎外ではなく漱石を絡めたエッセイ。漱石『夢十夜』の「運慶」を引き合いに芥川は「寒山拾得」なのか。鴎外(説話文学)寄りで行きますという文学宣言か?

『寒山拾得』森鴎外

初出は「新小説」[1916(大正5)年]。唐の貞観の頃というから西暦で7世紀の初め。閭丘胤という官吏が頭痛を治してくれた旅僧が言うには、閭丘胤の任地する天台三には菩薩の化身が二人いるという。さっそく探し出してみると、これがただの雑役と乞食僧。大まじめに肩書きを名乗り、手を合わせる閭丘胤に、二人は哄笑をあびせて逃げ出してしまう。退官前の鴎外の心境も作品に反映されている。

こっちは中国の説話の語り直しか。説話文学。そういう話だったかと確認する。もう一つその作品を書くことになった経緯が書かれるエッセイ『寒山拾得縁起』が面白い。子供に「寒山拾得」の話を聞かせるのだが興味を持たないという。それで作品として『寒山拾得』を記憶だけで書いた。

『枯野抄』

初出は「新小説」[春陽堂書店、1918(大正7)年]。短編集「傀儡師」[新潮社、1919(大正8)年]に収録。俳聖「松尾芭蕉」の生涯を描いた作品。偉大な師の最期に直面した弟子たちの心情を描いている。芭蕉の死の場面には、芥川の師である夏目漱石の死が投影されているといわれている。

Amazon紹介文

芥川が参考にした『花屋日記』は偽書であるとわかった上で芥川が創作したのは漱石の臨終と重ねたという。芭蕉の臨終に接していた弟子たちが見せる様々な表情や心情が見事に描かれているがこれを書いた作家もエゴイズムに憑かれていた。芭蕉の辞世の句とされる「旅に病む夢は枯野をかけめぐる」も辞世の句ではなかったらしい。そこに芥川の願望がこめられいるのではないか?

参考本:『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』

ちなみに村上春樹がソニー・クリス『アップアップ&ウェイ』のライナーノートで、チャーリー・パーカーの後継者争いのエッセイ?を書いていたが、もしかして芥川『枯野抄』を読んでいたのかな?

『芸術その他』『龍村平蔵氏の芸術』

『葱』

初出は「新小説」[春陽堂書店、1920(大正9)年]。短編集「影燈籠」[春陽堂、1920(大正9)年]に収録された。神保町の「カッフェ」の女給である「お君さん」は無名の芸術家「田中君」に恋している。八百屋の店先の葱が「お君さん」の恋愛感情や芸術観を実生活へと目覚めさせる。

最初に一晩でこの小説を書かなければとする作者。見事に語り終えるのだが、作者の心配事は解決はしはしない。ただモデルとなった少女は作者がものにできたということなのか(作品として)。作者の理想通りに(芥川の理想は生活感のある女性なのでしょうか?)。現実では生物だから作者の思い通りにはならないのだが。モデルと語り手を巡るメタ・フィクションのような。

「お君さん」のモデルは、宇野千代だそうです。まだ作家になる前ですね。無名の芸術家「田中君」は今東光だそうです。出家する前ですね。芥川は後の彼らを知るよしもありませんでした。

『舞踏会』

初出は「新潮」[1920(大正9)年]。「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]などに収録されている。「一」は初めて鹿鳴館の舞踏会に出る「明子」と将校の話、「二」は年老いた「明子」がH老夫人として登場する話。「二」の老夫人の行動の読解については読みが分かれるところである。

ピエール・ロティが日本人を馬鹿にした『秋の日本』の中の一章「江戸の舞踏会」から着想を得ているのだが、ロティの名前が本名なので老婦人には聞き手の質問がわからなかった(読者もわからない。ただ当時の近代化を批評的に描いたとされるのです)。老婦人の中ではロティは紳士だったということなのです。想い出は個人的なものだから文明批評とか関係ないのだと思います(ロマン主義文学)。ロティの文明批評だとする立ち位置(現代文学)とばあさんの華やかな想い出では違う。その間に花火を観る大正時代の作者がいるのかな。

『秋』

初出は「中央公論」[1920(大正9)年]。初刊は「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]。従兄で作家志望の「俊吉」と結婚するはずだった才媛の「信子」は別の青年と結婚し、妹の「照子」と「俊吉」が結婚する。「信子」は自らの寂しさを秋と思う。芥川の作風の新境地として評価された現代小説。

『秋」は女性視点の芥川らしき文学青年と従姉妹の三角関係。実際にあったような話みたいだ。姉の方と仲が良かったのだが男がうだうだしている間に他の男と結婚してしまう。後になって男は妹と結婚する。理想とは違う結婚生活の姉。姉は関西に嫁ぐのだけど夫は妻に気遣いのない人。何年ぶりかで東京に出てきて、妹の家に行くがそこで男と二人だけになる。昔の感情なども戻ってくるが妹が帰ってきて妹の幸せな家庭を羨むが妹は姉に嫉妬する。姉妹とも嫉妬という感情。

同時期に書かれた『東洋の秋』という短編は男の視点から書かれた志賀直哉風作品。別に恋愛小説でもない。達観した文学観。秋の情景のエッセイみたいな短編(実は芥川はあ志賀直哉の筋のない小説を理想としていた。『文学的な、余りに文学的な』)。理想の生き方として「寒山拾得」が出てくるのだ。普賢菩薩。そして、芥川にも『寒山拾得』という短編がある。それほど面白くないけど。(2020/11/14)

『魔術』

初出は「赤い鳥」[鈴木三重吉主宰、1920(大正9)年]。短編集「影燈籠」[春陽堂、1920(大正9)年]に収録。ある晩「私」が人力車で大森の外れに住むインド人「マティラム・ミスラ」を訪ねる。「マティラム・ミスラ」は婆羅門の秘法を学ぶ魔術の大家だった。昔話の話形、〈魔法昔話〉に諷刺をいれた物語。

谷崎との論争『文芸的な、余りに文芸的な』の中で「筋のない小説」を展開したが、この芥川の短編はきっちり起承転結がある物語になってそれが見事である。魔術師に弟子入りする男の話。最初に「催眠術だ」と言って種明かしをしているのに、その夢落ちに見事に嵌められてしまう。

そう言えば谷崎潤一郎にも『魔術師』という短編があった。同じような題名でも谷崎と芥川の資質の違いがよくわかる(谷崎の方が先だそうだ)。谷崎の『人面疽』も似たような小説だけど。谷崎は異世界のイリュージョンを描き出すが芥川は人間の深層世界を描いている。

『沼』

初出は「改造」[1920(大正9)年]。「小品二種」の総題で「東洋の秋(原題「秋」)」と共に発表された。「沙羅の花」[改造社、1922(大正11)年]に収録。なお草稿は「芥川龍之介全集」第21巻に収録された。「おれ」は昼も夜もわからず沼を歩き回る。リフレインが使われた散文詩的な作品。

三途の川じゃなく泥炭な沼。一人称「おれ」の語り手が「スマトラの忘れな草の花」を求め彷徨い歩く。そこで自らの死骸を見つけ(ドッペルゲンガー?)、口の中から茎が伸びて蓮の花が咲く。これが憧れていた「不思議な世界」だと書く。死後の世界の憧れなんだろうか?植物に成り果てた身体感覚はシュール。(2020/03/15)

『妙な話』

初出は「現代」[大日本雄弁会、1921(大正10)年]。「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]に収録された。「私」が旧友の「村上」から、村上の妹の「千枝子」にまつわる怪談じみた妙な話を聞かせられる話。兄妹のやりとりと手紙との比較から、「千枝子」という女の強かさも見出せる作品。

まず語り手の「私(僕)」の不確かさ。最初「村上」の話から妹の「千枝子」の話になって、「夫」の話、その中で登場してくる「赤帽」の話。その「赤帽」は絵の中の人物であるといい、夫人を監視する者だという。

神出鬼没の赤帽が、話の綾をなしている。鏡花の猫の顔をした赤帽の小説というのが気になる(芥川は泉鏡花の影響を受けている)。アニメ『銀河鉄道の夜』に出てきそうな、杉井ギサブローの絵を想像する。この赤帽が、最初が鉄道、そして船(地中海)、自動車(停車場、風車売りの荷が止まっているというナイスな情景)、マルセイユのカフェ(怪我をした夫の話を聞く)そして、絵の中と登場していくのだ。ミステリー仕立ての怪談調の見事な『妙な話』。芥川ならではのストーリーテラーな短編。ラストの落とし所もため息.........。

『山鴫』

初出は「中央公論」[1921(大正10)年]。短編集「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]に収録。「トルストイ」を訪ねた「ツルゲーネフ」が山鴫打ちに出かける話。宇野浩二から技巧面を高く評価されたが、オリジナリティーの希薄さについて指摘する声もある。

ツルゲーネフから見たトルストイの頑固さ。ツルゲーネフの方が実際には年上なのだが、トルストイの方が頑固爺さんとして描かれている。小説から伺えるトルストイのイメージが覆る。でもこれフィクションだよな(と思ったら原典があるという)。

ツルゲーネフの方はフランス帰りで、フランスの新進作家(モーパッサン)やロシアの新進作家(ガルシン自殺した作家で太宰が好きだという)にも好意的だがトルストイは興味を示さない。自分以外の者を信用しないのだ。

狩りに行ったエピソードをそれを明らかにする。。狩りの描写が見事なのはツルゲーネフの自然文学の感じ(『猟人日記』とか手本としたようだ)。野鳥の種類と鳴き声の判別など、ネットで検索しながら読んだ。鳥の鳴き声が情景描写になっていたいるのだ。ナイチンゲールとか。見事過ぎる。

『アグニの神』

初出は「赤い鳥」[鈴木三重吉主宰、1921(大正10)年1月、2月]。短編集「夜来の花」[新潮社、1921(大正10)年]に収録された。上海で誘拐された日本領事の娘「妙子」を救うため、「遠藤」はアグニの神を「妙子」に交霊させて事態を好転させようとする。上海が危険な街だという認識が芥川にあった頃の作品。

芥川が上海外遊から帰ってきた後に書かれた。NHKドラマ「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~」でもそんなシーンがあった。上海の占いババアが日本人娘を誘拐して占いで「アグニ神」に憑依させている。「アグニ神」は火の神。拝火教かな?ミステリーの範疇だが、見事な短編になっている。

『好色』

初出は「改造」[1921(大正10)年]。「春服」[春陽堂、1923(大正12)年]に収録された。エピグラフが「宇治拾遺物語」「今昔物語」「十訓抄」から引用されており、それらを典拠としている。「わたし」は「平中」について軽蔑のようなものを抱いている。典拠から距離が取れていないとする厳しい評がある。

谷崎潤一郎『少将滋幹の母』の1エピソードが『今昔物語第三十第一話』の宮仕えの侍従のうんこを盗む男の話で、芥川に言及していたので探して読んでみた。主人公の平中を平安の「ドン・ファン」としているのだが『伊勢物語』業平よりも滑稽な感じで面白い。平中の女たらしを戯曲風に批評している所とかメタフィクション的。谷崎と芥川の論争『文芸的な、余りに文芸的な』の題材となるような作品で読み比べると興味深い。
(2020/12/12)

『少将滋幹の母』谷崎潤一郎

谷崎の平中は脇役に退き、権力者である藤原時平、彼の叔父で齢八十の老翁藤原国経と国経の美しい妻で50歳以上も若い北の方 (在原棟染の娘) 、そして国経と北の方の間に生まれた男の子滋幹のエピソードを繋げて、最後は母を思う息子と老いて妻に逃げられた父の姿を描いて感動的な話に展開していく。谷崎のストーリーテラーぶりがよく出ている。平中のうんこを盗む話はそれほど違いはないが、谷崎の方がリアルかな。それは老いて妻に逃げられた男の話と繋がり、人間のおぞましさ、欲望の汚さを描いて、その煩悩から解脱していこうとする藻掻き苦しむ父の姿を通して、母の尊さを描いているのは谷崎らしい?あと雷神になって、一族を滅ぼす菅原道真公の話が間に入る。(2020/12/12)

『母』

初出は「中央公論」[1921(大正10)年]。「春服」[春陽堂、1923(大正12)年]に収録。3部構成。上海で赤子を亡くした「野村敏子」が同名の隣室の女「敏子」の赤子の泣き声に堪らない思いを抱えるが、やがてその赤子も亡くなったことを気の毒と思う反面喜んでしまう。文章の構成が巧みに工夫された作品。

芥川の実際の母ではなく、芥川が中国旅行後に書かれた短編小説。上海の旅館でそこにいたたまれない奥さんとその旅館で赤ん坊が死んだ奥さんの出会い。最初は女中から聞いてから出会うのだが、その隣の奥さんも名前が同じ敏子なのだ。また最初の奥さんも赤ん坊が死んでいた。解説を読むとこの二人は別人なんだそうだが、どうもドッペンゲルガーのような分身のような気がする。別人だとした場合は自身も不幸に会いながら他人の不幸に喜びを見出す悪妻の話だ。ただその優越感は自分には赤ん坊がいること。乳が張って母乳の匂いを漂わせていること。

やがて気に入らない上海の旅館を出て、別の土地に転勤となる。そこで優雅な暮らしの中で、一通の手紙(上海の子供を亡くした奥さんから)が届く。その話を夫としながら自分はその奥さんの赤ん坊の死を喜んでいたと告白するのだが、鳥かごの文鳥を外に放して追葬しようと言いだす。最初に発表したときに悪妻の批評が出たから、少しでも良妻のイメージになるよう文鳥のシーンを追加したそうだ。むしろ上海の旅館の話は幽霊話と読んでみるのが正しいのではないか?なおその上海の旅館だが「からゆきさん(売春婦)」の旅館だったそうである。

『神々の微笑』


『将軍』

初出は「改造」[1922(大正11)年]。「将軍」[新潮社、1922(大正11)年]に収録、「沙羅の花」[改造社、1922(大正11)年]に収録された時は著者の自序が付された。全4章で構成されており、日露戦争の旅順総攻撃の話から始まり、戦争から10年後、「N将軍」の部下「中村少将」とその息子である「青年」の話までが描かれる。「N将軍」のモデルは乃木希典。

中国視察から帰国してから書かれた小説。『江南游記』に検閲されて一部伏せ字になったことや編集者が小言を言われたことが書かれている。それでも中国よりはいいとしているのだが。伏せ字になった部分は庶民の兵隊の軍隊の憤りで、もう一方でインテリ上等兵はN将軍を慕っている。N将軍のモデルが日露戦争の乃木将軍とされる。漱石は『こころ』で明治の時代精神として殉死を描いていたが芥川は大正の文学者でその違いを読むと面白い。N将軍は肖像画を残して殉死したが、上等兵の息子は肖像など残さず自殺した。

父親と息子の英雄像の変化。息子はN将軍の肖像画をレンブラントの肖像画とは一緒に飾れないという。N将軍を「善人」として描きながら(父親の見識)、中国人のスパイを処刑したり(日露戦争でロシアのスパイというのは中国視察で実際に目にしたのではないか?)、宴会で下ネタ演劇を検閲しながら母子人情劇を称賛する中に見る権力。スタンダールやユゴーの引用は何を語っているのか?

『上海游記・江南游記 』(講談社文芸文庫)

大正10年3月下旬から7月上旬まで、およそ4ヵ月に亘り、上海・南京・九江・漢口・長沙・洛陽・大同・天津等を遍歴。中華民国10年目の中国をつぶさに見た芥川龍之介が、政治、文化、経済、風俗ほか、当時の中国の世相を鮮やかに描写。芥川独特の諧謔と諦観で綴った大正10年の中国印象記。表題作をはじめ「長江游記」「北京日記抄」及び、絵葉書に象徴的に記した各訪問地の感想「雑信一束」の5篇を収録。

NHKドラマ『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』の原作。ドラマではいまいちわかりにくかったと思うのだが、この記事を書くことになったのは芥川が海軍大学の講師を辞めて大阪毎日新聞社に入社。その最初の記者としての仕事が「上海游記」だった。それは漱石と同じだったわけだが、明治の終わりと大正では社会情勢が幾分違っていた。でもこのルポルタージュはそれほど軍国主義的なというわけでもなく、ただ当時の大勢が日本人が中国人を蔑視していたということを考慮する必要がある。差別的な言葉が多く含まれている。

そういうことを加味した場合でも芥川にジャーナリストの才を求めるのは酷であろう。たぶんこのルポは作家の魔都「上海」の潜入レポート的な風俗記事なのだ。そのことだけでも興味深いのだが、芥川の精神も体調も十分ではなく上海で肋膜炎で入院している。それでも律儀に記事を書いている。芥川の中国のイメージは漢詩や水滸伝の世界で、その頃の上海は租界で西欧化(ヤンキー化と芥川は書いているけど)が激しく、中国人の身なりも落ちぶれ物乞いが多いのを嘆く。まずいい印象はなかった。演劇や娼婦たちの妖しい魅力については美しいと書いている。

一番印象的なのは、上海に住む日本人が見すぼらしい桜に恋い焦がれて、日本に帰りたいと思っていることだった。どんなに上海で出世しても日本が一番だと書いている。婆さん花売りが売る白蘭花よりも。『江南游記』はまだ上海よりも都市化されていない観光地巡り。歴史的な遺跡を巡っては当時の文献と現在の中国とを比較して、どうしてこんなに落ちぶれたてしまったか嘆いている。ただ中国の豪傑を思いながら日本の道徳とは違う善悪を超えた豪傑の意識(ニーチェの超人思想)の憧れを思わず述べている。

『長江游記』三年後にその中国旅行を振り返った記事。当時は日本を懐かしでいたが今では中国を懐かしむ。二番煎じ的な出涸らし感のする記事。ただアメリカ人の夫人とデンマーク人の愛についての議論は面白かった。アメリカ人の東洋人は愛と憐憫の情を履き違えているというような。キリスト的愛を言っているのかな。『北京日記抄』観劇(中国劇)で「胡蝶夢」の記事が興味深い。荘子の妻が浮気したので、荘子が妻を疑って死を装う。荘子の死を悲しむが愛人が弔問にやってくると荘子のことを忘れて「好」の声を上げる。愛人が病気になる。

荘子の脳がいいというので棺桶を叩き割って荘子の脳を取り出そうとする。そうすると愛人は蝶となって飛んでいってしまう。細君は再婚も出来ずに荘子から散々説教されるという風刺劇。なんだこの寓話は夢もない。(2020/02/05)

『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』


初出は「大阪毎日新聞」夕刊[1920(大正9)年]。短編集「春服」[春陽堂、1923(大正12)年]に後半十回分のみ収録。「芥川龍之介全集」第6巻には、削除された前半部分を「素戔嗚尊」「春服」収録作を「老いたる素戔嗚尊」と分け、別作品として収録。構想二年の、素戔嗚尊の冒険譚。執筆は難航し休載が多かった。

中西進『日本神話の世界』を読んで、芥川龍之介『老いたる素戔嗚尊』が出てきたから先にそっちを読んでしまった。順序が逆にになった。こっちの方が断然芥川っぽい。『老いたる~』は二番煎じ。スサノオは高天原の神々とは一線を画す存在で、洗練されておらず容姿は醜く忌み嫌われる部外者なのだ。その野生(自然)ゆえの孤独。ある時、岩の担ぎ上げ競争をする。猪首の若者がスサノオのライバルとして現れたけど、とうとう岩に押し潰され圧死してしまう。せっかく自身と同じ存在の者がいた(同類かも?)と思ったが彼はただ一人の孤独な神だった。

そのために怖れられる存在であるのだが忌み嫌われる存在でもある。そんな彼が恋をする。母の形見である勾玉を渡してくれとスサノオに従う者に頼むのだが彼は損得を推し量ってしまう者であり、裏切ってしまう。経済優先と自然の対立。そのとき、悲しみに打ちひしがれスサノオが暴れてしまう。多勢に無勢、高天原を追い出されて下界に追放される。そこにいるのが大気都姫と老婆と16人の姉妹たち。そこは快楽の日々だがスサノオは元の自分ではなくなり高天原を恋しく思う。その幻影に目覚めそこを逃げ出すが老婆が気づいて地獄絵図という話。(2020/05/01)

『老いたる素戔嗚尊』

芥川が描いた日本の神話。『古事記』よりも『日本書紀』か。スサノオとその娘である須世理比売(すせりひめ)の島に葦原醜男(大国主大神)がやってきて、スサノオの数々の嫌がらせ(試練)をくぐり抜け、すせり姫と結ばれる。特別なひねりはないような。普通に娘を思う世の親父。最後は試練をくぐり抜けた若者に祝詞を捧げる。神話そのまま。

『三つのなぜ』


『彼』『彼第二』、『悪魔』谷崎潤一郎

『猿蟹合戦』

『白』

初出は「女性改造」[改造社、1923(大正12)年]。「三つの宝」[改造社、1928(昭和3)年]に収録。白い犬の「白」はある日犬殺しに出会い、仲良しの「黒君」が捕まりそうになっているのを目撃するが、臆病なため逃げる。その後「白」は数奇な運命を辿っていく。芥川が残した8篇の童話の中で最高傑作と位置づけされている。

寓話的な変身譚。白犬が臆病さから犬殺しに捕まった黒犬を助けずに逃げたら、黒犬に変わっていた。元の飼い主は白犬だと思わなく追い払われる。そこから心が入れ替わり人助けの犬になる。自殺願望の行動が逆に働き、新聞で勇敢な黒犬とニュースになる。そんなことより元の飼い主に会いたいという気持ちになり目覚めると白犬は、飼い主の元に。しかし犬小屋には白い小さな犬が。白は涙を流す。飼い主の兄弟も涙を流す。不条理だけどラストは叙情的な世界。物語の中に救いはあるのだろうか?(2020/03/15)

『侏儒の言葉』

初出は「文藝春秋」[1923(大正12)年~1925(大正14)年、1927(昭和2)年]。芥川没後、随筆評論集「侏儒の言葉」[文藝評論社、1927(昭和2)年]に収録された。定稿の他、遺稿・草稿とがある。皮肉めいた口調で、芸術論や文学論、政治観などが綴られており、芥川の思想の変遷と共に内容は実に多岐にわたる。

『文藝春秋』創刊(1923年)から亡くなるまで冒頭掲載されたビアス『悪魔の辞典』を模して書かれたアフォリズム(エッセイ)。時代的な記事(関東大震災や戦時に向かう日本社会)の中で制約とかあったかもしれないが、かなり鋭く芥川の精神が伺えるような気がする。話題は幅広く心中事件のことなども出ていた。

「侏儒」は「小人」で「役者」という意味あいもあって芥川が自分を卑下した言葉。「戯作者」と同じような意味合いだろうか。そうやって読んで見ると太宰の「道化」との共通性。太宰は芥川の遺稿とか整理するほど萌えだったわけで、太宰の処女作『晩年』はこの『侏儒の言葉』を参考にして書かれたようにも思える。

「公衆は醜聞を愛するものである。白蓮事件、有島事件、武者小路事件ー公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。グルモンはこれに答えている「隠れたる自己の醜聞も当たり前のように見せてくれるから」グルモンの答えはあたっている。が、必ずしもそればかりではない。醜聞さえ起こし得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼等の怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。同時に又実際には存しない彼等の優越感を樹立する、好個の台石を見出すのである。」

輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用いる代わりに新聞の記事を用いたとしても」

今のSNSに通じる言葉だ。「こうした『輿論の世論化』の担い手こそが『善良なる市民』に他ならない」(佐藤卓己『流言のメディア史』)。「善良なる市民」は関東大震災で朝鮮人を虐殺した日本人。芥川も自警団に加わったとか。後で菊池寛に流言だとたしなめられた。

『二人小町』

『おしの』

『あばばば』

初出は「中央公論」[1923(大正12)年]。初出時は副題に「―保吉の手帳の一部―」とある。初刊は「黄雀風」[新潮社、1924(大正13)年]で、収録時に副題が削除されている。「保吉」がいつも煙草を買いに行く店で若い女が店番をしている話。いわゆる〈保吉もの〉の作品であるが、同時代評は不評であった。

この短編は上手いと思いました。「あばばば」は何を言っているのか題名だけではわからないがこの短編を読んだあとでは「あばばば」は幸福な母親の子供を思う言葉の一つとなるおまじないのようになる。芥川龍之介の芸術よりも家庭的な生活の憧れが伺える作品です。

『玄鶴山房』

初出は「中央公論」[1927(昭和2)年]。「大導寺信輔の半生」[岩波書店、1930(昭和5)年]に収録された。奥床しい門構えを持つ「玄鶴山房」の主人である画家の「堀越玄覚」は今や死の床についていた。以前女中をしていた妾の「お芳」が、玄覚との子ども「文太郎」を連れてやってくる。生の本質的な悲劇を描いた作品。

芥川の晩年の短編。『歯車』ほど崩壊感はないけど吉本隆明「芥川龍之介の死」で芥川を芸術至上主義の作家というより中流下層の庶民派作家という、その実生活で藻掻き苦しんだリアリズムの作家という位置づけ。従兄弟のインテリ大学生をプチブルの西洋文学を引用する薄っぺらい人物として描く。中流下層階級の悲劇を描くリアリズムの作家だというのは頷ける。(2020/08/04)

『河童 (集英社文庫)』

河童の住む不思議な国を描きながら、人間の醜さや欲望を鋭くえぐる。自己への痛烈な批判をこめ、死を予感しつつ書かれた晩年の名作8編を収めた作品集。

芥川の晩年の短編集。晩年と言っても自殺したのが35歳だから普通の人だった全盛期と言ってもいいはずなのに、芸術と実人生(生活)の乖離があったのだろう。芥川は漱石に古典を元にしたパロディ『鼻』が認められて古典文学(あるいは西欧文学)を比喩として語る文学であった。晩年になると私小説風の作品が多くなってくる。書かねばならないという使命感なのか、かなり際どいことを比喩ではなく、現実のこととして語る。それは社会の枠をはみ出していく狂人の言葉としてなってしまう。その乖離性(精神病)を読むのは辛い。

『或阿呆の一生』は太宰の『人間失格』の前身のような短編だ。自己を振り返って語る51の文章(数行のツイートのような断片から長いのでも1ページぐらい)の言葉の中に様々な芥川の心の動きが読める。生活者の幸福と芸術家の苦悩。敬愛するストリントベリイは太宰にも出てくる作家だった。

『歯車』は幻覚としてでてくる歯車の恐怖。それが現実として見えていたのだろう。分裂気質の文学(今は統合失調症なのか)まさに精神が歯車によって分裂断片化されていく現実。

『河童』は比喩の文学世界でも芥川の安住する住処ではなくなってしまった様相か?戻った人間世界ではなおさら。芥川の河童の絵は好きだ。

『桃太郎』は戦時に向かう。日本一の桃太郎は、平和に暮らす鬼の島を破壊する人物像として描く。太宰も『御伽草子』で桃太郎を書く予定だったが日本一という強い男児だったので自分は書くことが出来ない。弱者のほうへ目がいってしまうからと。芥川がすでに書いてしまっていたからね。(2020/01/21)

『冬』

[1927(昭和2)年]。創作集「西方の人」[岩波書店、1929(億4)年]に来。行く話で、芥川の義兄西方の人収監・自死をお願いとる。

芥川の最晩年の作品であるのは題名からも伺える。従兄弟が刑務所に入り(当時の治安維持法だろうか?)、面会に行く語り手。冤罪で従兄が刑務所で亡くなったようでもあり、そこははっきり描かれていない。弟と姉が刑務所の待合室に集っている。弟が被っているロシア帽。語り手がユダヤ人から買ったという。なかなか面会出来ずに閉塞感を感じる描写。

その後に初七日の(従兄の)法要があったという何気ない描写。外では万歳、万歳の声。

芥川の『河童』に「冬薔薇」という言葉が出てくる。映画『冬薔薇』を観たが出口なしの状態が今の時代と重なる。

『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』

気鋭の研究者と当代随一の翻訳家がタッグを組み、芥川が選んだ「新しい英米の文芸」を蘇らせる! 旧制高校の英語副読本として編まれたアンソロジー8巻より20の短篇をさらに精選。ポーやスティーヴンソンから本邦初訳の作家まで、芥川自身の作品にもつながる〈怪異・幻想〉の世界を全て新訳で堪能する。イエーツやキャロルなどの芥川による翻訳も収録。

英語教師だった芥川が学生のためにリーダーとして当時としてはモダン(現代的)な英米文学のゴシック・ホラーの選集を出した。英語の読み物だったもので今回新たに翻訳された多数の作品があるがすべての作品がそれほど面白いとは思わなかった(当時のモダンであっても今読むとちょっとね)。もっともアラン・ポーの短編もそれほどでもないと思ったのだから根本的に英米のゴシックホラーは自分には合わないのかもしれない。全体として戦争後の幽霊話が多いのは突然の死によって幽霊でも会いたいという心持ち(東日本大震災でも)なのだろうか?

その頃出始めた心理主義の怪談話は面白いものがある。そっちの方は好みだった。『ジキル博士とハイド氏』のスティーヴンソン『マークハイム』は悪と善の分身譚でドストエフスキー的でこの選集のベスト。『悪魔の辞典』のビアス『月明かりの道』は芥川『藪の中』に影響を与えた興味深い作品(ただ『藪の中』ほど凄いわけでもない)。アウジャーノン・ブラックウッド『スランバル嬢と閉鎖恐怖症』は「閉鎖恐怖症」の心理主義ホラーでこういう作品は好きである。

掘り出し物としては芥川が翻訳したイェーツ『春の心臓』とルイス・キャロル『アリス物語』。イェーツはアイルランド神話に基づく作品で芥川作品と相性がいいが『不思議のアリス』はどっちかっていうと太宰的な感じがする。それでもアリスが不思議な国を不安がる様子が見取れる感じ(物語世界は楽しめない)。むしろオリジナル作品『馬の脚』はさすが芥川である短編でやっぱこれがベストかな。馬の脚を移植する話で、中国旅行の後に書かれたような短編で面白かった。(2020/02/25)

『文芸的な、余りに文芸的な/ 饒舌録ほか』芥川龍之介/ 谷崎潤一郎

昭和二年二月号『新潮』合評会での谷崎の小説に対する芥川発言に端を発し、舞台を『改造』に移して文学史上に残る〈筋のない小説〉を巡る論争が始まった。――芸術とはなにか。何が文学を文学たらしめているのか――本書では二人の文学観の披瀝と応酬を雑誌発表順に配列し、「新潮合評会」とその俎上に載った小説二篇、論争掲載中の昭和二年七月に自殺した芥川への谷崎の追悼七篇を収録する。

福田恆存『芥川龍之介と太宰治』 (講談社文芸文庫)

対照的な文学的軌跡をたどりながら、最終的にはともに自死を選んだ、芥川龍之介と太宰治。「近代的自我」の問題を問うた福田恆存が、その問題意識から二人の傑出した作家に見出したものは何だったのか。初期の作家論を代表する「芥川龍之介1」をはじめ、戦後に書かれた「芥川龍之介2」、太宰の死の前後に書かれた二つの評論を所収。独自の視点で描かれた傑作文芸評論集。

初期に書かれた「芥川龍之介Ⅰ」を読んであまりにも衒学的で精神的な評論で正確にはよくわからなかったが『芥川龍之介Ⅱ』ではその反省からなのかかなり論理の要点を簡潔にまとめて書かれたいる。評論としてはⅡの方がいいと思うのだけど著者が言いたかったことはⅠなのだ。芥川が比喩でしか文学を語れなかったというのは、古典文学の枠組みで自身の文学はその絵の中にという。そこが自然文学派(白樺派)の私小説とは違い安易な自己表出(エゴイズム的な私小説のリアリズム)を避けていた。

それは芥川が西欧文学との対峙から、西欧ではキリスト教の伝統があり自我と理念が分離しているが、未熟な日本では分離できずにそれが日本の近代化の問題であった(エゴイズムと世界理念)。それは「神」のあり方の問題であり、芥川龍之介はその「神」なき世界でのエゴイズムを追求していきながら「否定神学」を語るような文学である。それが「アルチフィス」の文学なのだという。「アルチフィス」(ググっても意味はわからかったけど解説には「人工的虚構」と示されていた)の文学の極地が自我(エゴ)を消滅させる自殺だった。

「君と世界の戦いならば世界を支援せよ」という加藤典洋の言葉(カフカ論の中でだったか?)を彷彿させる。芥川とカフカの文学的な共通性を読み取れる。そうした芥川龍之介の文学は太宰治に系譜として受け継がれていく。芥川龍之介(生→文学→死)の逆ベクトルで太宰は(死→文学→生)につなげていったという太宰讃歌を論じていたのが太宰の生前に評論した「太宰治Ⅰ」だったが、それは太宰の自殺によって見事にひっくり返されてしまった。芥川のエゴの中に見せる情の世界(仏教的な?)文学があったとする。

その延長に太宰の純情の世界(小市民的な「炉辺の幸福」)に寄り添う「道化の文学」があったとするのだが、太宰はその「道化」が虚構ではなくリアルになってしまった「ジョーカー」の文学なのかもしれない。(2020/02/12)

「芥川龍之介の死」『新装版 昭和史発掘 (1) 』松本清張(文春文庫)

松本清張は芥川龍之介の愛人スキャンダルを暴いていく。清張は芥川の文学にはどっちかっていうと否定的(谷崎のいう物語がある小説が好き)。芥川が漱石に認められたのに対して谷崎が荷風に認めらたのを評価している。その後の展開は芥川は技巧に走りすぎ厭世的な文学。谷崎の余裕を評価する。芥川は自然主義文学を気にしすぎ。芥川に私小説は書けなかったが作品の中に芥川の自己が描かれていたのは間違いない。それで自殺の真相は、芥川の遺伝形質というよりは後天的に本を読みすぎたから厭世的になったという(それは違うだろう。元々厭世的だったから文学に囚われたのじゃないの?)

『或阿呆の一生』松本清張によると芥川の女性関係も描かれている。結婚したときに妻が芥川のために壺を買ったけどそれを家政婦の叔母に嗜められて贅沢すぎると注意する。叔母は本当は母親じゃないかという清張説。その後も女にだらしない芥川だった。肉体関係のある愛人がいたけど妊娠説も。それで不敬罪に問われる恐怖から自殺したと清張説。プラトニック・ラブの心中は失敗した(それを受け継いたのが太宰か?)。実際に肉体関係があったら心中できたかもと清張説。(2018/06/19)

(文学再入門)

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