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「光源氏物語」はここで終了

『源氏物語 中』(翻訳)角田光代 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集05)

感想

本編はだいたい与謝野晶子訳で読んでいるので、ここは振り返りとして『源氏物語』「玉鬘 22帖」から「幻 41帖」までを、解説など読みながら。

丸谷才一『輝く日の宮』の内容はちょっとと思うところがあるのだが物語分析は作家だけあって参考になる。丸谷才一によると(実際は小説の登場人物である杉安佐子らの分析)。

『源氏物語』はメインストーリーとなるA群「桐壺」「若紫」「紅葉賀」「花宴」「葵」とあって(さらに続くけど「葵」が切りがいいから)枝葉的な脇道(横道?)としてB群「帚木」「空蝉」「夕顔」「末摘花」とエピソード群がある。

「玉鬘十帖」はB群でエピソード的な物語という位置づけ。それは紫の上を中心とした六条院を舞台とする王朝(宮廷)物語と外部の者たちの物語とに分けられる。夕顔→玉鬘→浮舟という系譜は宮廷から外れた女たちであり、橋本治はその女たちが光源氏らの家父長制(男尊女卑)に対抗する女たちの系譜だと読み取ったのである。ただ「明石」はA群になるのは光源氏が外部に逃れたからなのだろう。

角田光代『源氏物語 中』は、「玉鬘十帖」から始まって中心となる「若菜」(折口信夫がこれを読まないのは『源氏物語』を読んだことにならないと言ったという)でメインストーリーに戻ってくるのだ。

「玉鬘」の物語は外部から来た姫が光源氏の囲われるまでを描いたものだが、橋本治によると紫の上を理想の美として育てた光源氏だったが、自分だけで美を楽しむのに飽き足らず、今度は自分の理想として育てた美をひけらかしたいという気持ちが「養父」というものにさせたという。ただその「養父」も性的関係を持つものだから、ある人にとっては光源氏気持ち悪いになるのだが、当時はそういうモラル(道徳)もあまりなく男尊女卑社会では男の道具としての娘の位置付けだったのだ。だからその娘を政争の道具として利用したりするのだ。

玉鬘は、春の間の紫の上が桜なら山吹として美しさを讃えられる(夕霧評)。玉鬘は「玉鬘十帖」では生き生きと描かれていたがそれ以降は存在が薄い。黒髭の大将というわけのわかない男に持っていかれたから、もう外部の人でしかなくなった。これが兵部卿(蛍宮)と結婚していたらもう少し存在感を持てただろう。それは光源氏の兄妹であることとやはり帝という存在感によるものであろう。しかしながら『源氏物語』ではこの帝たちの影が薄いのだ。それは光源氏が圧倒的な存在であるからで、太陽であるはずの彼らも圧倒的な月の輝きの前では霞むのである。それはこの物語がファンタジーであるからなのだ。夜のファンタジーと言っていいかも。

物語的に圧倒的面白くなるのは『若菜』だろうか。それまでの光源氏に手籠にされる女たちの中で女三宮だけは、わがままで子供で光源氏をジジイ扱いする女性なのだ。そんな女三宮は柏木と関係する。ここはけっこう読みどころがあるが光源氏は脇役に退いているというか女三宮を悲劇のヒロインとすると悪しき王なのである。ただ柏木はそれほどのヒーローにもなれなかったのは家父長制を壊す人でもなかったからだ。よく解釈して光源氏の影に怯えて自滅していく近代的な自我を持ったヒーローか?

「柏木」の後日談は、柏木の霊が夕霧に乗り移ったような悲劇になっていくのだが、ここで「雲居の雁」の存在がそんな悲劇を笑い飛ばしてしまう喜劇となっているのが面白い。「夕霧」の悲喜劇を描いた帖が一番好きだが、それも雲居の雁のキャラ設定の特異さだろうか?ほとんど恋愛は描かれず子だくさんの母親として別世界の話になっていく。だが今のラブコメだったら断然ヒロインは「雲居の雁」だろうと思う。そして夕霧の真面目だが優柔不断な主人公というのも今日的である。

そんな喜劇調で終わるのかと思ったいたら最後に紫の上の帖が待っていた。彼女こそが桃源郷の中心である春の間の女主人であるのだから。ただ彼女が輝いた帖はそれまでにあったかというとそうでもなかったように思える。それは光源氏の絶えず影の女としての位置関係だろう。解説によると紫の上は正妻として認められなかったのだという。光源氏の正妻はあくまで亡くなった葵の上であり、その原因とされる六条御息所の屋敷が光源氏によって桃源郷と変えられたのである。それは幻夢の世界であり、そこの女主人にしかなれなかった紫の上は「幻視の女王」と言ってもいいかもしれない(最近読んでいる葛原妙子のキャッチコピーなんだが)。彼女は子供を産めず、光源氏が他所の女に産ませた子供を育て、六条院を管理して、ただ光源氏を待つ女だったのだ。

和歌から読む『源氏物語』

紫の上は光源氏のいない折々の四季を六上院で待つ女でもあった。『幻』での和歌はそんな紫の上の挽歌になっていた。

(光源氏の年賀の歌)
わが宿は花もてはやす人もなしなににか春のたづね来るらむ
(兵部卿・蛍宮)
香をとめて来つるかひなくおほかたの花のたよりと言ひやなすべき

(女三宮と紫の上が初めて対面したのを思い出した女房の歌)
憂き世にはゆき消えなむと思ひつつ思ひのほかになほぞふる

(梅の花を見て光源氏が詠む歌)
植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らずがほにて来ゐる鶯

(光源氏が朽ちていく庭を見て詠んだ歌)
今はとてあらしや果てむなき人の心とどめあい春の垣根を

(明石の御方の詠んだ歌)
なくなくも帰りにしかな仮の世はいづこもつひの常世ならぬ
雁がゐし苗代水の絶えしよりうつりし花のかげをだに見ず

(花散里が衣替えの衣裳を光源氏に贈って詠んだ歌)
夏衣裁ちかへてける今日ばかりふるき思ひすすみはせぬ
(光源氏の返歌)
羽衣のうすきにかはる今日よりは空蝉の世ぞいとど悲しき

(加茂祭り日、光源氏が葵を手に詠んだ歌)
さもこそはよるべの水に水草ゐめけふのかざしよ名さへ忘るる
(中将の君の返歌)
おほかたは思ひ捨ててし世になれども葵はなほやつみをかすべき

(五月雨の頃の光源氏の詠んだ歌)
なき人をしのぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす
(夕霧の返歌)
ほととぎす君についてなむふるさとの花橘は今ぞさかりと

(ひどく暑い季節に光源氏が詠んだ歌)
つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかことがましき虫の声かな
夜を知る蛍を見てもかなしきは時ぞともなき思ひなりけり

(七夕の日の歌)
たなばたの逢う瀬は雲のよそに見て別れのにはに霧ぞおきそふ
(中将の君の扇に)
君ふる涙は際もなきものを今日をば何の果てといふらむ
人恋ふるわが身も末になりゆけど残り多かる涙なりけり

(九月重陽の節句に)
もろともにおきゐる菊の朝露もひとり袂にかかる秋かな
(十月は「神無月いつも時雨は降りしかど角袖ひたす折はなかりき」の古歌をつぶやいたあとで)
大空をかようふ幻夢にだに見えこぬ魂(たま)の行方たづねよ

この歌は必要ないかも。

(後節の舞姫を思い出して)
宮人は豊明にいそぐ今日日かげもしらで暮らしつるかな

(手紙の整理をして、年末か?)
死出の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつもなほまどふかな
(紫の上の手紙の余白に)
かきつめて見るもかひなし藻塩草おなじ雲居の煙となれ

(十二月の仏名会にて)
春までの命しらず雪のうちに色づく梅を今日かざしてむ
(尊師からの返歌)
千世の春見るべき花と折りおきてわが身ぞ雪とともにふりぬる

(鬼やらい・節分か?これが最後の歌)
もの思ふふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世もけふや尽きぬる

紫の上の挽歌であると共にそれまでの『源氏物語』の登場人物をも歌に織り込んでいる感じである。これが『源氏物語』というか光源氏の幕引きなのだった。

その次の帖はただ題名だけ『雲隠』と記してあるだけである。

参考本

『源氏供養』橋本治 (中公文庫)

丸谷才一『輝く日の宮』


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