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ジョイス「ユリシーズ」の『源氏物語』版

『輝く日の宮』丸谷才一(講談社文庫)

女性国文学者・杉安佐子は『源氏物語』には「輝く日の宮」という巻があったと考えていた。水を扱う会社に勤める長良との恋に悩みながら、安佐子は幻の一帖の謎を追い、研究者としても成長していく。文芸批評や翻訳など丸谷文学のエッセンスが注ぎ込まれ、章ごとに変わる文章のスタイルでも話題を呼んだ、傑作長編小説。

出版社情報

『源氏物語』で紫式部が書いたのに発表されなかった帖(巻)があり、それは最初の光源氏と藤壺の宮が関係した場面で、『桐壺』と『帚木』の間に『輝く日の宮』という帖があったとする女性国文学者を紫式部に重ねたメタフィクション作品。

丸谷才一はジョイスの『ユリシーズ』を翻訳しているので、それの『源氏物語』版というか、『ユリシーズ』と同じように各章で文体を変えているいく文体フェチぶり。

最初は泉鏡花で、これは国文学者の安佐子が若書きの作品なのだが新左翼のテロリスト小説になったために公安からマークされるという。安佐子の父親が学者だったこともあり(紫式部を踏まえている)国文学者に成るはずが常識外れの説を問うたために保守系の学会から目を付けられて、そういう学会の面倒臭さを回避して作家になって、紫式部が世に出せなかった帖を書き上げるというストーリー。

ただ各章で文体が変わるのは正直読みにくい。特に会話体が多い講演会(戯曲形式)の後に三人称の情景描写とか読むと面倒になってくる。こういうのはじっくり味わいながら『源氏物語』の解釈のつもりで読むと面白い。

『源氏物語』もメインストーリーとしてのA群があり後で書き加えられた枝葉的なB群から成り立つという説。それは紫式部の変化というか、道長に雇われ中宮の教育係に成る前と以前で文体が変わったということで、それは道長のベッドトークが含まれていたのではないかという。そうすると紫式部の協力者というか影響を与えた人となるのだ。そこは橋本治の道長復讐説と変わってくる。私は橋本治の批評を読んでしまったので丸谷才一には女性蔑視的な視点を感じてしまうのだった。

特に講演会で意見が対立する保守派の女性国文学者の描き方がえげつない感じがしてしまった。確かにそういう自民党女性議員のような国文学者はいるだろうなとは思うが、女の喧嘩を楽しんで書いているところは趣味が良くないと思ってしまう。

それと道長と紫式部がべったり説もちょっと違うかなと思うのは紫式部に母親の視点が出てくるのでそこは男尊女卑の世界だったとはいえ紫式部にも反発はあったと思うのだ。ただ『源氏物語』の関係がほとんどレイプまがいだったというのはそうかもしれない。そこでやはり嫌悪感が出てくると思うのだ。丸谷才一の説だとやってしまえば男のものだみたいな。特に道長は権力を持っていたのでそれに巻かれていく紫式部を肯定できない気がした。無論道長の検閲によって世に出しかった帖を出せなかったという怨念はあるだろう。怨念ではなく情念だった。それが安佐子に書かせることになるのだが。

ただ道長は今でいう編集者という感じなのかな。そこに出版社の下で働く作家の不服みたいなものはあるのかもしれない。作風としては筒井康隆『文学部唯野教授』と近いのかもしれない。


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