見出し画像

亡命の苦い陽炎今は歌

昨日は引きこもっていたので一昨日の写真です。メタセコイアの定点観測。すっかりスカスカで、ここから新芽が出てくるのだろうか?春は花よりも緑の新芽に目が休まる。柳の新芽とか。

昨日は俳句と短歌を少し研究しようと思ったがダラダラ過ごしてしまった。『短歌 2022年10月号』は、馬場あき子特集。1万首の歌集『馬場あき子全歌集』の刊行記念なのか?
10000÷365=27.3972。一日一首として、27年ですね。不可能じゃないかもしれない。27年も生きれないか?以外に生活詠も多いのです。まあ、毎日詠えばそうなりますね。それでも『鬼の研究』の作家で、もう一つの鬼の面も出てくる歌も上げられています。興味はそっちですね。

つゆの身のつゆの世ながら狂ふべし鬼ならば青き精神の鬼
人間はいかなる怪異あざあざと蛸切りて食ふ蛸はみてゐる
蛇に呑まれし鼠は蛇になりたければ夕べうつとり空をみてゐる
まひまひは小さきまひまひを捕食する夜夜のしづかな消滅の闇
貪婪を利されてはげし海鵜の目鵜匠(うづかさ)にのみ愛されて死ぬ

『馬場あき子全歌集』

馬場あき子の入門書というより、さらに深めて知りたい人にも。1万首の中から一首を選び歌人たちの一首批評が面白い。1万首もあるので生活詠を選んでくる人もいるが、馬場あき子のもう一つの顔『鬼の研究』に繋がる短歌は、食うものと食われるものの関係性(弱肉強食)の中に業を見つめる馬場の視線がある。鬼も青鬼という。青のイメージ「理性・冷静・集中」の色だという。戦後の混乱(飢餓)を生きてきた姿を見る。女はそれでも包丁を研ぎ生きねばならなかったと。鬼の面はそのときに現れる。

(読書メーターから)

又吉直樹X堀本裕樹『芸人と俳人』。芸人の又吉直樹が俳人堀本裕樹から定型句を学ぶ本。それまで作家として、あるいは自由律を作ってきた又吉直樹なので、まったくの初心者とは言えない。俳句を作ることだけじゃなく、読みにも重視した俳句本になっている。又吉の読みは作家ならではの深読み。

第二章「五七五」の定形をマスター。
ここは基礎よりも、必要とされれば字余りは許されるということ。それでも初心者は俳句のリズムを身につけるために定形で読みましょうという。中七の字余りはだらしなくなる。上五か下五なのだが。上五は6文字の単語で収まらない場合か?意味が出てくるのは下五の字余りなのだ。

雪激し抱かれて息のつまりしこと  橋本多佳子

それと挨拶句の作り方。名字よりも名前で作る(親しみやすさ)。三文字だったら、五七五の文頭に文字を持ってくる。又吉直樹だったら「な・お・き」。そして挨拶句の一句。

懐かしき男と仰ぐ帰燕かな  堀本裕樹

見事すぎる。

映画は見なかったがグラミー賞を見た。こういう大きな賞の授賞式は面白いな。受賞したときの感動の表現がアメリカ人はオーバーだから。みんなそこだけアカデミー賞役者のようだった。

後から曲を聞き直す。ボニー・レイットは良かった。

ボニー・レイット『Just Like That... 』 https://music.amazon.co.jp/albums/B09PV3H5XQ?ref=dm_sh_cf94-3ce5-f694-6e4e-12d10

#AmazonMusic

今日の一句。挨拶句か?ボニー・レイットか?

望郷の(ぼうきょうの)
苦い思い出(にがいおもいで)
今は歌(いまはうた)

季語がない。春の季語だな。

望郷の苦い陽炎今は歌(「陽炎」が春の季語)

「望郷」はイマイチだな。「亡命」にしよう

亡命の苦い陽炎今は歌

勝手に亡命歌手にしてしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?