日本の最果て(境界)の旅、林芙美子、宮沢賢治が見たサハリン。
『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』梯 久美子
梯久美子が鉄オタとは知らなかった。特に廃線マニアということで、サハリンに敷かれた旧日本軍の廃線の旅をするのだが、前半はそんな軽いエッセイ的な導入部から始まる。
作家の林芙美子が当時の樺太を旅したのは、日本が国境のある国としてサハリンのソ連との分割統治を見に行くのである。それまで島国であり、今もそうであるから日本に国境線を体験出来る場所は唯一樺太にあったのだ。その前に芙美子は共産党のシンパとして警察に逮捕されていた。そのことがあり、旅の途中で引き返したという。林芙美子は戦争協力者としての前歴がそうした者であったと始めて知った。それとその前に樺太に行った北原白秋の詩とか面白かった。
第二部は宮沢賢治の詩『春と修羅』と妹トシの死と銀河鉄道の関係。銀河鉄道が旧日本軍のサハリンの鉄道であったと推理して行く中で、宮沢賢治が辿ったサハリンの旅を辿っていく。驚くことにそこにチェーホフ『サハリン島』があり、それが最初に翻訳されたときは、「サガレン紀行」であったとするのだ。それを宮沢賢治が読んでいてサハリンに行ったのではないかとする。興味深い紀行文になっていた。
つまり妹の霊が彷徨う最果ての地がサハリンだと賢治は考えていたのである。『銀河鉄道の夜』のモデルは妹との旅であったとするのだ。そこに出てくる「白鳥ステーション」は白鳥湖であるという浪漫。チェーホフが描いた最果ての流刑地というイメージと実際に賢治がそこに行き、「春」の花々を感じる姿を描いたところは、感動的である。ストラヴィンスキー「春の祭典」だったのだろうか?と想像する。
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