雨上がりのクレパ
金曜日、ポツポツと雨が降り出す中傘を忘れた同僚と一本の傘に入りながら、彼女の行きつけだという創作イタリアンの小さなお店に向かっていました。
お互い昔からよく知る間柄でありながら食事に行くのは久しぶりでしたので、私はこの日をとても楽しみにしていました。
「もう涙でるわー!」と言っておしぼりで目頭をふきながら笑う彼女を見て、まだまだおもしろネタはこんなもんじゃないぜと謎に自分を鼓舞し、下戸なものですから柚子ソーダを何杯も飲んで、楽しいフライデーナイトを満喫していました。
料理はどれもこれも絶品で、どうすればこんな食材同士の組み合わせが思いつくのか、どうすればこんな食感を生み出せるのかと店長に詰め寄りたい気持ちが湧いてきます。
日々さまざまな料理の試作にチャレンジされている店長は、その日初めて出したという手ごね生地のピザについて、いつものピザ生地と今日のピザ生地どちらが美味しかったでしょうかと常連の彼女に聞いてきました。
しかしもうその時点でかなり酔っていた彼女は、どっちも最高でっすと壊れたおもちゃのように繰り返し、店長はそっと水を出して笑うしかありませんでした。
私はそのピザ生地があまりにも美味しかったので、なけなしの言葉で感想をお伝えし、その日衝撃を受けた山芋のグリルについても語りはじめました。
香ばしく焼かれた山芋の上にパセリのバターが乗っていたあのお料理、驚くほど美味しかったです、絶妙な焼き具合やバターとパセリの味のマッチングが素晴らしく、シンプルなのに深みのある香りがしました、私もパセリバター作ってみたいです、といったような事を述べたところ申し訳なさそうに店長が言いました。
「あっ…あれは青のりです。青のりと出汁を効かせたバターなんです」
かの有名なDragon Ashは歌いました。
そう。
青そうな奴は大体パセリ。
その会話の直前に、趣味は料理とお菓子作りだと切り出し、最近作ったメニューや、明日は休みなので人生で初めてクレープを作ろうと思っているなどどまるで冒険者の如く自信たっぷりに語っていただけあって、見事に味音痴を晒してしまった恥ずかしさにいてもたってもいられず、思わず“あーちょっと飲みすぎました”と言いそうになったのですが、全力でシラフでした。
薄っぺらい人間性を露呈させてしまいました。
おおよそ5時間、楽しいひとときを過ごして帰宅すると、宅配ボックスに待ちかねていた物が届いていました。
翌日クレープを焼くため、秘密裏にドラえもんから買い取った道具です。
明日、人生で、初めてクレープを焼くんだぞというワクワクした気持ちとモチベーションが、一気に高まっていくのがわかります。
私は道具を袋から出して翌日のことを思い描きながらフライパンにセットしてみました。
シンデレラとガラスの靴ぐらいフィットしちゃってる。
数ミリの隙間しかありませんが果たしてこれで使えるのでしょうか。
フライパンに入らないという悲劇は逃れたものの疑念しか沸き起こらず、何一つシミュレーションできないまま眠りにつきました。
翌日、まずは生地作りからスタートさせました。
小麦粉と砂糖は丁寧に2回ふるいにかけ、中央にくぼみを作った後に溶いた卵を2回に分けて混ぜ合わせていきます。
牛乳も7〜8回に分けて加え、溶かしたバターを混ぜ合わせたら冷蔵庫で30分休ませます。
生地を休ませている間に、具材の準備です。
ツナマヨ、ハムエッグ、チーズ、レタス、キュウリ、トマト、バナナ、イチゴ、生クリーム、チョコレート、デリシャス。
しょっぱいのと甘いのを交互に食べるつもりですが、食べ終わりをどちらにするのかが悩みどころです。
いよいよ生地を焼いていきます。
果たしてお店のように薄くて丸いあの綺麗な生地に焼き上がるのでしょうか。
私は少し緊張しながら左手にタケコプター的なものを握りしめ、右手に持っているお玉で生地をすくって、弱火で熱したフライパンに流し入れました。
するとどうでしょう、生地がどんどん大きな円となって広がっていき、軽くフライパンを傾斜させてみるだけで、見事な満月がフライパンに現れました。
私は左手に握っていたものを、そっとキッチンの天板に置きました。
今後空を飛ぶ機会があれば、その時に使うつもりです。
クレープは全部で7枚焼けました。
焼いた生地と具材を器に盛り、いざクレープパーティの始まりです。
クレープの生地に具材を乗せてみると、その場所や包み方にもコツが必要なことがわかってきました。食べて行くうちに上達していくのも楽しく、どんどん食が進みます。
クレープ生地はほんのり甘くなめらかな舌触りでとても美味しく、どんな具材も包み込んでくれます。
生地の薄さがやさしさを纏い、全てを受け入れてくれるようなその懐の深さに、初めて気が付きました。
薄っぺらでもいいじゃない。
優しく包み込んであげられるじゃない。
ふと窓際を見ると、冷めた目で私を見つめる2匹の猫と、雨が上がって明るさを取り戻した西の空がそこにありました。
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