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ただ、自然である
ふりむけば 又咲いている 花三千 仏三千
先日、諸事情あって訪れた司馬遼太郎記念館に歌碑がありました。
それは、司馬さんが好きだった雑木林のイメージでつくられた庭を抜けたところの小さな公園に設置されている『花供養碑』で、ご本人直筆の文字が大きな石に刻まれています。
なぜ三千なのかと疑問に思って調べてみると、三千という言葉は非常に数の多いことを表す語だそうで、それを知るだけでこの歌から受け取る風景が広がっていきます。
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数多くの植物で彩られた庭は、さぞ四季折々に見せるその姿を楽しめるようになっているのだろうと想像に難しくなく、司馬さんがいかに自然を愛し、自然と共に生きようとした人なのかということに思いを馳せずにはいられません。
雑木林という言葉からは美しさよりも険しさを感じますが人工的にそれを再現した庭には独特の自然美があり、露出している肌の多くを蚊に刺されながらもゆっくりと歩いて、その美しさをめいっぱい体感することができました。
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司馬さんの随筆『二十一世紀に生きる君たちへ』では、“自然こそ不変の価値”“自然という「不変のもの」を基準に置いて人間のことを考えてみたい”などと述べられており、今こそその思想から受け取るべきメッセージがあるのではないかと考えさせられます。
この春も例年通り、年老いた両親が住む大自然に囲まれた実家へと帰省しました。
実家の裏庭はタダ同然の地価ゆえに広さがあり、そこは母の手作り植物園と化しています。
百種類を優に超える植物が植えられていて、自然のままの姿を残しつつ、季節ごとの美しい風景を楽しめるようになっています。
ちょうどこの時期は4月中旬頃から満開を迎えている花が一部散り始め、これから開花する花が大きなつぼみをつけて少しほころびながら、その時を今か今かと待っている変動期です。この季節が一年で一番生命力と希望に満ち溢れているような気がして、いろいろな事情で気が重い帰省もこのシーズンは庭を楽しむという目的があることによって、いつもより少し救われるのです。
しかし今年の庭は全く様子が違いました。
ここ半年ほどで身体を悪くした母は思うように外に出られず、放置されて春を迎えた庭は自然のままの姿に近いどころか、自然そのものに還ってしまっていたのです。
すっぴん風メイクじゃなく、マジですっぴん。
どれが植えた花で、どれが自生した草なのか。
道はどこだ。
正解はどれだ。
ここはどこ私は誰。
「今年は庭を楽しむ気力がなくて、荒れ放題なん…」
食べ放題ならいいが荒れ放題は勘弁してほしい。
悲しそうに告げる母には、焦らずに、気が向いたら少しづつ楽しめばいいということを伝えて励ますしかありません。
私は人類が100年ほど足を踏み入れていないんじゃないかと思わせる圧倒的荒野を前に、呆然と立ち尽くしていました。
しかしながら、個々の植物たちをじっくりと見ていくとそれはそれは美しく、生命力強く自生していることがわかります。耳をすませば、人間の介入など必要としていない、手入れなど大きなお世話だ、枠におさまるなどごめんだと聞こえてくるではありませんか。私だけですか。
大山蓮華は大きな葉っぱを天に向け上へ上へと伸びています。元々、165㎝ある私の身長と変わらないほどでしたが、今では3メートルをとっくに超えているようです。
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木香薔薇は複雑に絡み合いながらたくさんのつぼみをつけています。上下左右に枝を伸ばし自由奔放に生きるその様は人間を近づけないオラオラしさを感じます。オラオラしさ?
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オオデマリは見事に白くて丸い花を大量に咲かせていますがどう見ても頭が重すぎではないでしょうか。頑張って支えている幹が心許なく支えてあげたい気持ちに駆られれます。
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山椒の葉は収穫されぬまま、とにかく沢山の葉を茂らせています。
スーパーで売られている小さなパックで1個190円ぐらいだとするとこの葉を全部売ったらいくらぐらいになるのか。富岳に負けない私の脳内スーパーコンピューターで計算しましたが一向に答えは出ませんでした。故障かな。
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さてこの荒野をどうしたもんかと考えながら一つひとつ植物を愛でていると、ふと、花を家の中に飾りたくなりました。
落ち込んで全く庭に出ようとしない母親も綺麗な花を見れば少しは元気が出て、散策してみたい気持ちになるかもしれないと思ったのです。
私は花を活けるというセンスを一ミリも持ち合わせておらず、これまでの人生でそれを意識的に避けてきたのですが、これを機に今一度チャレンジしてみようと好きな花を摘みました。
クリスマスローズ、スズラン、矢車草、スノードロップ、スノーフレーク、オルレア。
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作品名『ピュアハート』
小学生が学校帰りに野に咲く花を摘んで、ただ花瓶にさしただけの素直さを表現しました。
なお、この作品を仕上げるまで悶絶しながらかなりの時間と労力をかけたことは、お伝えしておきたいと思います。
背後からふふふと笑う声が聞こえました。
「やっぱり家の中にお花があるといいなぁ。ありがとう」
まぁ、いっか。下手でもいっか。
久しぶりに笑う母の顔をみて、自然とはそこに在るだけでいいのだということを再認識しました。
それにしても破壊的センス。
#日記 , #エッセイ , #司馬遼太郎 , #庭 , #花 , #自然 , #ガーデニング , #母 , #帰省 , #田舎暮らし
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