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やりがいがあっても無料にしちゃいけない理由について考えてみる

やりがいがあればお金はいらないのか?
ということについて考えていた折、こちらの記事に出会いました。(読みたい記事がおすすめに表示されるnoteの不思議)

おじばく様、通りすがりに引用すみません🙏

研修中にメールをさばく人はたくさんいる。そんな人たちに対して、なにかを教えたいですか?
自分が培ってきた貴重な経験や知識を。
ぼくは、学ぶ意欲があって、熱量の高い人には、手弁当でも教えに行きます。起業スクールやコーヒー教室も、そのスタンスでやってきました。
その場になんとなく集まっただけの人には、何も教えたくない。
どこか、損した気持ちになるのです。

読んでいて、なんだか最近思い当たることがありました。

私はとある有料の講習を受講しているところなのですが、初回からやる気の感じられない方が何人かいるのです。
やる気の感じられなさが如実に現れているのは、毎週の課題提出。
課題提出後、相互フィードバックする必要があるので期日が決められているのですが、期限になっても空欄なのです。

なぜ有料なのにこんなことが起こるかというと、おそらくこの研修は、個人申し込みと、会社の研修で受けている人が半々なのだと思われます。

研修で受けさせられているとしたら、やる気がないのもしょうがないですよね😓自分の意志じゃないから。

これは、主催者にとってもメリットないのではと思ったりもします。おじばくさんのような気持ちにもなりかねない。
この講習にもビジョンがあって、それに共感して、自分の意志で受講しにきた人にこそ、サービスを提供したいはずですよね。
お金のためとか、はたまたやる気のない人もやる気にさせてみせる…!という気概があるなら別ですが🤔

何が言いたいかというと
私はここに、やりがいはあってもサービス料を無料にしちゃいけない理由があるのではないかと思うのです。。

お金を払うことは、意志です。
痛みを伴うがゆえ、そのサービスをそこまでしても享受したいという意志が生まれるのだと思います(はした金なら効果ないかもですが)

そしてサービス料を取るということは、誠意のない人を集めてしまわないためのバリアになるんじゃないかなと思いました。

お金や時間を差し出してでも、そのサービスを受ける覚悟のある人を選別する。

無料でも、感謝してくれたり、喜んでくれたり、心から必要としている人はいるんだろうとは思いますが、少なくとも「無料だから」という理由で誤った人が来てしまうことを防ぐ手段になるのかなと思いました。

他にも、同業他社の値崩れの原因になってしまうとか、そういうこともあるとは思いますが、やはり、「無料だから…」と搾取されてしまうことを防ぐ意味でも、お金を払って覚悟をもってサービスを受けてもらうことで、提供者も気持ちよく仕事ができるのではないかなと思いました。

以上です。


搾取の感覚は、雇用と被雇用の関係性の中にもあるかもしれないなと思いました。

給料が高くても、時間や労働力を搾取されてはいけないし、低くても心が満たされることはあるかもしれない。

だからこそ私は、お金が有り余るほどあってもなお働こうとする意志に価値を感じているのかもしれません。(それが前回の記事)

昨日今日で考え始めたことなのでまだ思考がほやほやですが、そんなことを考えていました。

ここまでお付き合いくださった方がいましたらありがとうございました🤲

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