青春とは何か(ミニコラム)
夏も終わりを迎えましたね。
今日は自転車で海までサイクリングをしました。
『青春とは何か。』
青春は、結論としては『個人の心の在りようを映し出す地図』であると考えています。
さらに何をもって青春であると人が定義としているかは
『その映し出された地図が、個人の望むものと「一致」しているか』が基準であると考えています。
つまり、サミュエル・ウルマンが言うように
『青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を云う。』わけであると思います。
夏目漱石の『行人』という著書の中で
「自分のしていることが目的(エンド)と一致していないことほど、苦しいことはない。苦しさとは目的(エンド)と方便(ミインズ)が一致しないからだ(aosi 超訳)」と言っています。
例えば、「自分が青春を謳歌したい!」と考え・望んでいるとしましょう。
じゃあ、「青春って何だろう?」とその人が考えたときに、よくあるイメージとして「海辺でバーベキュー」「夏の大会に向けて運動に打ち込む」「友達と一緒に旅行に行く」みたいなのがあったりするかもしれませんね。
(ちなみに僕の中の青春のイメージは「けいおん!」一期の夏合宿です。伝わりますかね。)
では、その人にとっての青春が「海辺でバーベキュー」することであると、信じているとしてみましょうか。
これは問いかけなのですが、「その人が海辺でバーベキューをしない限り、その人は『青春』することはできないのでしょうか?」
青春とは『目的(エンド)=自分の向かうゴール地点』なのでしょうか?
それとも、『方便(ミインズ)=それをするための理由』なのでしょうか?
それとも、『行為=することそのものが』青春なのでしょうか?
『ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。(ウルマン)』
青春とは一定の年齢の人にしかできないのでしょうか?
もしかしたら、『青春』しているときは、『自分が青春』していることに案外気が付かないのかもしれませんね。
『青春とは、奇妙なものだ。 外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。(サルトル)』
もしかしたら、『青春』は、「過去」の「あの時」を振り返ったときに、 「ああ。あの時はよかったなあ」と思う、心の羨望・望郷なのかもしれません。
つまり、『青春』とは「過去を懐かしむ心」のことかもしれませんね。
キルケゴールは「青年は希望に幻影を持ち、老人は思い出に幻影を持つ」という言葉を残しています。
最後に尾崎豊の『十七歳の地図』の歌詞の一節を引用して終わりとします。