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他者の存在が先生の学びを促進する

おはようございます。ヘルシーに冷麺を食べたら、腹が空いて2時に目が覚めるという失態を犯した「あお@aosenn」です。木曜日に、はぁ。。。


さて、今日は「他者の存在が先生の学びを促進する」って言うことについてです。

ボクは常々、教室には一人以上の先生、もしくは指導者がいるべきだと思っています。それは、一人の見方ってのはかなり限定的で、いろんな人の視点が入ることが、子どもの成長には欠かせないからです。

ヒミツキチ森学園ではプロジェクトチークメンバーの見学と、入学検討者の見学は、随時受け付けていて、昨日もプロジェクトチームのメンバーが学園を見学に来てくれました。


そこでの一幕。

メンバーが子どもたちに関わってくださって、それで生まれる子どもの伸びと停滞とがあったんですね。

「ボクだったらこう関わるなぁ」と思いながらも、そこは任せていました。すると、ボクがイメージしていたのと違う子どもの反応があるんです。

「こんな風に声をかけてみるのもありだなぁ」って考えるわけです。

その子は観察の色ぬりをしていたのですが、メンバーの声かけでグーンと進んでいたし、あぁボク一人で考えていたことは、そうじゃなかったんだなぁと心から思いました。

昨年の今頃、学年での振り返りの構想を練り上げました。

それを続けてきたことで、大きな効果があったのですが、実はこの振り返りも同じ教室の場面を見ているわけではありません。

人は誰しも自分のフィルターを通して物事を見ているので、振り返りで話す内容には、その先生のフィルターがかかっていて、もしかしたらそこにあった事実を見落としている可能性が十分にあるなぁって。

昨年度振り返りを続けていて、そこにモニターとかあれば、この状況伝えられるのにな…って思ったのを覚えています。


教室に、自分以外の他者が入り、同じ現象を見ていること…これこそが先生が学んでいくのに大事だと思うんです。

自分一人のフィルター自身が、実はずれていて、それに気づき変えていくことができる…先生にはそんな力がきっとあるからです。


昨日は同時刻に会議とかが入っていて、ボク一人で子どもたちの個別学習、マイプロジェクトを見ていたんですが、プロジェクトメンバーの行動に学びを得ることができました。

同じ現象を違う先生で見ること。

これこそが学びにつながると思っています。そう言う場を作り続けます。

現場からは以上でーす!


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