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虎に翼 第74話感想 (優未のこと)

多くの人々が注目し、日々、様々な意見がSNS上で語られている本作について自分の言葉できちんと感想を書こうと思ったことはなかった。概ね語られているから、いいねを押しておけばいいかなと思っていたのだ。

でも今回だけは書いておきたい。優未のことを。
そう思ったので、私事を交えて少しばかり書かせていただく。
いや、少しじゃないな。かなり長いけれど、よろしければお付き合いください。

           ◇     ◇    ◇

さて、本作の主人公は相手が誰であっても遠慮せず思ったことを口にして、掲げた理想に邁進していく開拓者だ。男性ならば、むしろ大河ドラマの主人公に相応しいタイプだろう。しかし女性なので、その立場は度々ぐらつく。

古い価値観に「はて?」と疑問を投げ続けてここまで歩んできた彼女自身にも無意識のバイアスはあったようだし、世間も寅子に「新しい女性像」を求め、持ち上げながら理想を押しつけている部分があった。そうして、公私に亘って生じていた些細なズレや歪さが積もり積もっていっぺんに形として現れたのが今週の展開であるように思う。

公については事件となって現れた。家裁の顔になりすぎた故、本来の寅子とは異なるイメージで「(女たちにとっての)救いの女神」のように思われてしまった結果、起こってしまったトラブル。でもそれは新たな組織を確立して軌道に乗せるための多岐川戦略として不可欠なピースだった。異動の辞令は、それらを一番冷静に見ていた桂場のファインプレーだ。やはり彼は「公正さを模索し続ける人」なのだと思う。

問題は私の方だ。
自分の前では見せなくなっていた、心から楽しそうに笑う我が子の顔を眺める辛さは相当響いたに違いない。しかも(不足や間違いはあったにせよ)懸命に働いていた職場で斬りつけられそうになった直後だ。普通ならば心が折れても不思議ではない。が、彼女は折れなかった。自らと向き合う覚悟を決めた。

それまでの彼女の態度(主婦を引き受けてくれている花江ちゃんへの感謝がない、押しつけがましい、常に上から、調子に乗ってる等々)を不快に感じて批判している視聴者は、仕事を理由に家庭を顧みなかった男性諸氏を寅子の背後に見て憤っている。
確かに感謝は必要だけど、家族六人養うために必死に働いてきたのに責めすぎだ、完璧を求めないでと擁護する側は現代までも脈々と続いている働く女性たちが抱える無理解との格闘に疲弊し、哀しんでいる。
おそらくどちらも間違いではなく、そうした本音を遠慮なくぶつけ合った上で構造的な問題を見直しませんか?と提起しているのが本作なのだろう。

だから猪爪・佐田家でも家族会議が行われた。
意見のぶつかり合いというより寅子へのダメ出しだったが、これまで無意識とはいえ無言の圧でそれらを封じてきたのが寅子自身だから、彼女は今こそ耳を傾けるべきと判断したのだろう。
「僕にもう興味ないんだなって」
「スンってさせてるのは寅ちゃんだろ」
うん、その通り。
「その道を究めろって言われると、やる気なくなる」
「……そう」
意外そうだったな、寅子。彼女にはイマイチ分からない感覚なのだろう。好きなことは究めたいんじゃないの?っていう。人それぞれなんですけどね。

寅子を責めないでと言っている人々はこれらの意見をきつすぎると感じたようだけれど(まぁ実際言われている本人はグサグサきて痛かったに違いない)、寅子はこれらの言葉を家族から直接聞けてよかったと思っている。
ああして強引にでも聞き出さなければ、ずっと知らないままだったはずだから。

逆に家族は寅子が刺されそうになったことも知らないのに、という意見も見たが、そうしたことは子供たちに伝える必要はない。花江と直明だけには伝えておいてもいいと思うけど、そうすると尚のこと優未を置いていけとなるだろう。
「(稼いでくれて)感謝してるけど、そこまでして頑張って欲しいなんて思ってないのに」と言われるかもしれない。
だが寅子は、ただ感謝されたくて働いているわけでも、家族を養うためだけに働いているのでもない。自分がやりたい仕事をやっている。自身の夢と理想のために闘っているのだ。自分で飛び込むと決めた地獄だ。ロールモデルがない辛さも、周囲に理解されない苦しさも他人に話したところで正確に伝わるはずもなく、それでも諦める気はないのだから、あれもこれも踏み越えて壁をぶっ壊しながら突き進むしかないのだ。

ただ、娘の優未についてはもう少しデリケートな展開で、時間もかかりそうである。

「おりこうさんでいてと呪いをかけてしまってごめんなさい」
頭を下げ、新潟についてきて欲しいと頼む母親に「ハイ」と即答したけれど、彼女の表情は能面のように硬いままだった。

先週あたりから寅子を厳しく批判していた視聴者たちは、ひとえに優未のことが気がかりだったに違いない。確かに彼女はわりとギリギリのラインに立っているように見える。それに気がついたからこそ寅子は「今、この子と離れたらダメだ」と思ったのだろう。きっと後悔する、と。

優未とはまったく違うが、私にも少し思い出すことがあった。
中学一年生のとき、父親が単身赴任で秋田へ異動になった。我が家は当時のごく一般的な中流家庭で、父親もごく平凡なサラリーマン。母親は当時専業主婦。毒親だったわけでも教育ママパパだったわけでもない。ただ、両親とも少しばかりコミュニケーションが下手で、相互理解が足りない家族だったように思う。会話がないわけではなかったが、どことなく距離を感じて我がままを言ったり甘えることができなかった。

直接話すのは照れ臭いけれど、文字でならできるだろうか。そう思って、秋田へ行った父親に手紙を出した。毎日。
どうでもいい日々の出来事を、つらつらと、それでも必死に考えながら、毎日便箋二枚くらいの手紙を出し続けた。
返事は一度も返ってこなかった。
出張ついでに家に戻ってきたときも、一言も触れられなかった。

代わりに母親から「手紙、面白いって言ってたよ。ちゃんと読んでるって」と聞かされて、その言葉は嬉しいけれど「違うよ、そうじゃないよ」としか思わなかった。だってあの手紙は父親に向けて出した、私からの最後のサインだったから。
私のことをちゃんと見て。
話を聞いて。
私はここにいるよ、という13歳の娘の叫びだ。
ただ一言「返事出せなくてごめんな。でもちゃんと読んでるよ」と言葉で返してくれれば、それでよかったのに。諦めずに済んだのに。

結局、私は父親のことを諦めた。
高校のとき両親が不仲になって離婚する際も、当然自分の方についてくるものだと思っていた父に「(お金は出してもらっていたけれど)あなたに育てられた覚えはない」と言って断った。相当ショックだったし腹を立てたのだろう、俺には娘なんかいないと後に語っていたそうだ。
その通り。私たちは親子になり損なった。

幼い頃はそれなりに一緒に仲良く写真に映っていたりするし、休日に一緒に過ごした記憶が皆無なわけではない。でも子供が大きくなっていく過程で、彼は自分のことを何も語らなかった。こちらのことを何も聞かず、関心を一切こちらに向けようとしなかった。
当時はそういう親も多かっただろうし、育てられた覚えがないというのは我ながら相当キツイ言葉を投げつけたものだなぁと思う(ただし離婚前には不倫とか家にお金を入れない等の所業もあったので当然とも言える)が、あれは「あなたの子供にはなれませんでした」という敗北宣言でもあったのだ。

恨みはしなかった代わりに、こちらも切り捨ててしまった。あの瞬間、父は娘を、私は父を失くしたのだ。

優未はまだ切り捨ててはいない。
スンッとしているけれど、心では母を求めている。
でも甘え方が分からない。気持ちのぶつけ方が分からない。ずっとできなかったから、上手くできない。伝えられない。
だからあの表情。即答での「ハイ」。答えなきゃと思っている。
ハイと答えなければ捨てられてしまうかもしれないから。
呆れられて、切り捨てられてしまうかもしれないから。

そんなことはない、何を言っても大丈夫だという自信はまだ持てない。その自信は一朝一夕で得られるものでもない。愛されているという自覚は、親にとって自分が大切な存在だと思える絶対的な自信は日々の触れ合いや交わす言葉、視線、そのすべてで少しずつ積み重ねていくものだ。

でも、あのとき、母はまっすぐ娘の目を見て、私の我がままだけどあなたと離れたくないと言った。
だから大丈夫。
遅くなったけど、あなたのところにちゃんと返事は届いたよ優未。
すぐには信じられないだろうけど、きっとそのうち言える。
「バカ」「自分勝手」「いつも偉そうに」「お母さんなんて大嫌い」
叫んでやればいい。
「ずっと寂しかったのに。我慢してたのに」と。
ごめんねと母が抱きしめてきたら、大声でわんわん泣けばいい。
私にはできなかったけど、あなたはまだ間に合う。
寅子はあなたのお母さんだよ。


そして、寅ちゃん、がんばれ。
公私どっちも苦しくてしんどいだろうけど、がんばれ。
画面のこちら側で毎日応援しているよ。

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