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(長編童話)ダンボールの野良猫(十・一)

 (十・一)鯖の味噌煮
 へーくしゅん。
 響子が目を覚ませば、時既に元旦の正午。
 ふーっ、やっぱ寒ーい。
 鼻をすすりながら隣りの布団を見るももぬけの殻で、ノラ子はいない。あれっ、あの娘は何処。と言うか、もしかしてさっきまでのこと、みんな夢だったりして……。響子は一瞬、ノラ子も失業したこともみーんな、夢詰まり悪夢だったのではないかと期待した。そうだ、何もかも夢だったんだわ、ラッキー。
 ところが恐る恐る六畳一間プラスキッチンの部屋を見回してみると、残念ながら、いたいた我らがノラ子ちゃん。しかもエプロン姿で、キッチンに突っ立っているではないか。何してんの、あの子。訝しがる響子に気付いたのか、ノラ子が振り返り、にこにこ響子に微笑んでみせる。
「ママ、起きてたの。今昼ご飯作ってるから、待ってて。出来上がったら一緒に食べよ」
 食べよって。あんた、勝手にひとんちの台所使わないでよ。と思いつつも穏やかに答える響子。
「のらこさんだっけ。あんた、体の方はもう良いの」
「平気平気。ママ、だから言ったでしょ。少し眠れば大丈夫だって」
 にこッとウインクのノラ子だった。そのかわいさときたら、堪らない。同性の響子ですら、胸キュンキュン。思わず抱き締め、頭など撫で撫でしたい衝動に駆られてしまう。しかしそんな感情に流されていては、相手の思う壺。響子は心を鬼にして、ノラ子に問うた。
「ねえ、あんた。だからその、ママって何」
 すると怒ったようにノラ子。
「だからママ、あんたじゃなくてノラ子。あんたなんて言い方されたら、ノラ子、泣きたくなっちゃう」
 おいおい、まじで何この娘。しかし見れば、瑠璃色の瞳から大粒の涙がキラリ。ええっ、何でこうなんの。戸惑いつつも、慰めねばと響子。

「ごめん、ごめん。泣かなくたっていいでしょ、大人なんだから。そうだ、ねえ、のらこって、どんな字書くの」
「カタカナでノラ、それに漢字の子で、ノラ子。分かった、ママ」
 ノラ子ねえ。分かったけど、やっぱし聴き覚えのある名だわ。何だったっけ。しかし響子は上手く思い出せない。ま、いっか、どうでも。それは置いといて、泣いた烏がもうわろた。機嫌を取り戻したノラ子に、再び響子が尋ねる。
「だからノラ子ちゃん。そのママって何。何でわたしのこと、そう呼ぶの」
 真顔で聞く響子に、けれどノラ子はくすくすっと笑いながら答える。
「だから。ママったら、さっきから何しらばっくれてんの。ママはノラ子のママだから、ママなんでしょ。分かった。ね、そんな恐い顔しないで、スマイル、スマイル、ノラ子のマーマ」
 はあ。駄目だ、こりゃ。この子、完全にいかれてるわ。正月だからって、何処かの病院から逃げ出して来たんじゃないでしょうね。こんな美人なのに、不憫だわ。でも……。警戒する響子。同情は禁物。居座られたりしたら、堪ったもんじゃないわ、まったく。適当にあしらって追っ払うか、さもなくば警察を呼んで。あーあ、正月早々、面倒なことになっちゃったわね、とほほ。
「ママ、出来たわよ、昼ご飯」
 あちゃ、そうだった。炊飯器のご飯が炊けて、鍋の中には、お味噌汁。加えてもう一個の大きな鍋には、何と鯖の味噌煮。おーっ、美味そう。やるじゃない、この子。一人前に料理は出来んのね。折角だからご馳走になろうかしら、元旦なんだし。

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