あおのゼリイ

双極性障害II型と約15年のつきあい。研究者の卵です。浮き沈みが激しく院生生活は停滞気…

あおのゼリイ

双極性障害II型と約15年のつきあい。研究者の卵です。浮き沈みが激しく院生生活は停滞気味でした。2023年度をもって博士後期課程研究指導認定退学。働きながら博士論文完成させます。基本的には週に一度、日記でペースを刻んでみます。

マガジン

  • 博論日記

    2024年度博士論文提出を目指して、調子を整えるために「博論日記」と題して週に1度、よしなしごとを書ことうと試みています。

  • エッセイのようなもの

    noteを始めた当初に書いていたことや過去の手帳からの抜粋も含めた、エッセイのようなものの詰め合わせです。

  • 研究雑記

    いろいろ書きつけてきた、研究に関わるよしなしごとです。

  • 詩のような・短歌のようなもの

    とても稀に、詩のような・短歌のようなものを書くことがあります。

最近の記事

発散から収束へ_博論日記(2024/04/27)

駅までの道に植えられたツツジが見頃を迎えた。今日は朝方雨が降り、その後くもりとなったので、それほど暑さを感じない。ただ、明日は30℃近くまで気温が上がる夏日となるようで「勘弁しておくれー」という気分である。 今週もお味噌汁を作ることには苦戦した。早起きが苦しい。ただ、仕事は無遅刻無欠勤で、無事に1週間過ぎたという気持ちがする。 この1週間お散歩はできなかったのだが、お出かけイベントがあった。京都に観光に来ていた後輩に、八坂神社そばの長楽館のアフタヌーンティーに連れ出してもら

    • 巻き込む力_博論日記(2024/04/20)

      朝4時。木屋町のマクドナルドでスマホを充電しながら夜明けを待っている。 さっきまで「岸政彦の20分休み」をぼんやり聞きながら手帳をつけていた。おじさんにとって「キムタクみたいなおじさん」という形容は塩梅ようなくて「舘ひろしみたいなおじさん」という形容はよい塩梅なんかー。親戚のおっちゃんで、お盆の集まりとかにいてくれたら安心するのは、と想像したら荒俣宏さんの顔が浮かんだ。「荒俣宏みたいなおじさん」いいなあ (めっちゃぼんやり聞いていたので意味取り違えていたらすみません)。

      • 感謝のかたち_博論日記(2024/04/14)

        日曜日の朝バイトを終え、カフェにやってきた。 桜は葉桜、そこかしこの木々で若葉萌出づる。お気に入りの六角堂のイチョウも、小さくかわいらしい葉をたくさんつけている。 今週は一言では言い尽くせない週だった。 生活面では週初めから過食が出始め、週後半は朝8時まで眠る日もあってお味噌汁作りもままならず、黄信号が灯った。 一方、仕事に関しては遅刻せず欠勤せず眠くもならず、最低限のラインはクリアできたと思う。 今週の仕事面でのハイライトは、マウスの耳に個体識別用のタグを専用プライ

        • 2012/06/08_過去日記

          (注意)過去の日記をそのまま書き写した記録ですので、引用文の仮名遣いをはじめとした細部が間違っている可能性があります。引用箇所に関心を持たれた方はぜひ原典に当たってみてください。 * グレゴリー・ベイトソンは、学習Ⅱ(*1)から学習Ⅲ(*2)のレベルに到達した感覚をこの詩に託した。 今西錦司の提唱した自然学にも通ずるだろうか。 *1 学習Ⅱ:自分の性格、価値観、流儀、原則など幼少に端を発する変わりにくい強固なもの。 *2 学習Ⅲ:自分の中の暗黙の前提があらわになっ

        発散から収束へ_博論日記(2024/04/27)

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          6本
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          11本
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          5本

        記事

          まずまずの始まり_博論日記(2024/04/06)

          4月1日(月)から新生活が始まった。 ・勤務先の研究室の指導役の方がとても仕事に習熟していらして頼りになるとともに、非常に親しみやすい方なので初日からリラックスして働けたこと ・先週設定したデイリースケジュールを大筋ではクリアできたこと ・火曜日:終業後、指導教員(博論主査の先生)と面談 ・水曜日:終業後、副査の先生と面談(チームミーティングに途中参加) この4点を鑑みても、間違いなく「まずまずの始まり」と言ってよいと思う。 また、さっそく大学内に席を残したメリットを感

          まずまずの始まり_博論日記(2024/04/06)

          研究の雑記 vol.3

          ■2010/02/13 ・旭山動物園HPトップページ 「人を知らんと欲すれば、まず獣を知れ。  もしもこの世に動物がいなければ、私たちは自分をしる手がかりさえ  つかめなかっただろう」  by Gonges Louis Leclenc de Buffon ■2010/04/03 ・赤嶺淳ブログ(2010/03/14) 「幅ひろい解釈が可能な「生物多様性」は、自然保護をうったえる際には、まったく便利なことばではあります。が、その一方で、野生生物を利用してきた人びとの生活をおび

          研究の雑記 vol.3

          あおみどり vol.2

          2010年4月、「おはなし会」の記録(当事者研究) 2月、いい子ちゃん型思い込み症候群と名付けたが、かっこつけ型思い込み症候群だという気がしてきた。 怖くなるとあおみどりに包まれてフリーズしてしまう。過去を振り返れない。 一旦「到着しました」というようなメールもできない。どこまでやって、どこまでやらなかったのかということさえ把握していない。ひとまとめで怖いことになっている。 (2010/04/22)

          あおみどり vol.2

          短歌のようなもの

          プレーリードッグ 光浴び けぶる君の背 飛び石に   友の足裏 まどろみのなか 無題 訳もなく 魚類図鑑を はらはらと   奇々おどろし 生きる場はありて (2010年)

          短歌のようなもの

          さあ始まり_博論日記(2024/03/31)

          学生生活も今日で終わり。 一昨日あたりからぐっと暖かくなった。今朝5時半に家を出る時、ちょっと考えてコートを着るのをやめた。ヒートテックに長袖のタートルネックのニット、それに半袖のニットを重ねたら、もうじゅうぶんと思えた。 9時。バイトが終わって外に出てみると、曇天ながら出勤時よりも明らかに気温が高い。喫茶店で作業をしてから散歩しようと思っていたけれど、屋内にまた逆戻りするのがもったいなく感じられて、のんびり歩き出した。 ふと人の賑わう気配を感じて、なんの気なしにひょい

          さあ始まり_博論日記(2024/03/31)

          飛ぶために屈む_博論日記(2024/03/24)

          学生生活の終わりまで、あと7日。 今日は雨。朝バイト終わりにやってきたベローチェで、窓の外を眺めている。 研究室に行く前に済ませておきたかった仕事があったのだが、データを自室にあるPCのローカルに置いてきてしまい、入店したもののなんだか宙ぶらりんな気持ちでぼんやりしている。 午後にnoteを書くつもりだったが、今ここで書いてしまうか。 ただ、今週はお天気が不安定だったこともあって、お散歩写真がない。 写真フォルダをごそごそとしていたら、坂口恭平さんの作品展に行った時の写

          飛ぶために屈む_博論日記(2024/03/24)

          研究の雑記 vol.2

          生きてゆくということの意味がわからないからこそ、世代を越えて連綿と続いてきた人の暮らしに目を向けたい。 生きてゆくということの意味がわからないからこそ、他の生物の生のあり方に目を向けたい。 「生きてゆくということの意味」は、必ずしも言語化されなくともよい。 ただ、目を向けずには捕捉できないなにがしかであることはわかる。 頭の中で理屈をこねくりまわして見出すことのできる性質のものではない。 身の回りに存在する生きているもの(生命体なのか有機物なのか)に注目してみるのもよい

          研究の雑記 vol.2

          あおみどり

          2010年2月、「おはなし会」の記録(当事者研究) 自分の困りごとに名前をつけてみる(対象化し、「内なる精神」という見方でなく「自分の中の異文化」として見る)。対象化した「彼」が話し、言葉の通ずるものだとすれば、対話(コミュニケーション)が可能であり、相手を知るフィールドワークができる。それはすなわち、人類学的手法・手順・見方が可能だということだ。 わたしを悩ますものの名は「あおみどり」だ。 あおみどり過去にあったできごとが詰まっている箱(こわいものBOX)を覆うもの。

          研究の雑記 vol.1

          「生命の時間」を感じたかった。 わたしはヒトで、あなたは〇〇。どうしても違う。異なることの尊厳。 と同時に、わたしたちはたちは同じ「生命の時間」を生きている。 わたしはそれを感じたくて、ここまでやってきた。 エコツーリズムというパッケージ以前のところ。わたしたちヒトと〇〇とで異なっているのだけど、関わりの「あわい」がある。異なることに敬意を表しながら、関わりの「あわい」にわたしは立ちたかった。 その「あわい」のフレームには、必ず、そこで生きる人々が入っている。 修士課

          研究の雑記 vol.1

          飢えている"ひつじ"のわたし

          大学院修士課程課題研究ゼミの原稿審査会にて(2011年11月30日) 。 * 飢えている"ひつじ"のわたし1.結論  今年度は修士論文を提出することができません。提出するには書かなければなりません。書くためには生活しなければなりません。生活とは、螺旋のようにひとつづきのものだと思います。今のわたしの生活はきれぎれで、膨大なエネルギーをつかって息たえだえに飛び移っている状態です。10/6の修論進捗状況発表会以後、「書く」ために与えられた時間を「生活する」基盤をつくるために

          飢えている"ひつじ"のわたし

          わたくしごと(2013年_過去日記)

          「わたくしごと」 悟り ことなかれ主義 箴言 今西錦司と星野道夫 そうか 共通するのは 生命讃歌だ 「わたし」という生も含まれている 長くかかった ひとりでは 世界を引き受けられるはずがない (2013年)

          わたくしごと(2013年_過去日記)

          サルベージ_博論日記(2024/03/17)

          学生生活の終わりまで、あと14日。 近所の白木蓮が咲いた。 沈丁花の香りも漂い、気の早い桜もぽつぽつと花びらを開きつつある。春はもうそこまで来ている。 初めて自室の机でnoteを書いている。なかなか新鮮で好もしい。 今週は活動的に過ごすことができて、その結果、目に見えて変化があった。というのも、自室を模様替えしたのだ。布団を敷く向きが変わるなど些細な変化が嬉しくて、うきうきと久しぶりに早朝2時頃から作業をしたり、好調である。 今日は、土曜日のお散歩写真(バイト先から大学

          サルベージ_博論日記(2024/03/17)