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感謝のかたち_博論日記(2024/04/14)

日曜日の朝バイトを終え、カフェにやってきた。

桜は葉桜、そこかしこの木々で若葉萌出づる。お気に入りの六角堂のイチョウも、小さくかわいらしい葉をたくさんつけている。

今週は一言では言い尽くせない週だった。

生活面では週初めから過食が出始め、週後半は朝8時まで眠る日もあってお味噌汁作りもままならず、黄信号が灯った。

一方、仕事に関しては遅刻せず欠勤せず眠くもならず、最低限のラインはクリアできたと思う。
今週の仕事面でのハイライトは、マウスの耳に個体識別用のタグを専用プライヤーで付ける仕事をさせてもらったことだ。約15年前、ウミガメ保護団体のインターンシップでウミガメのヒレに金属製とプラスチック製のタグをつける仕事をしたことがあるのだが、それ以来のタグ付けで緊張した。ウミガメはなにせ大きいし体表が固いので保定は容易だったのだが、マウスは小さい上に哺乳類なので毛皮がたゆんとしていてうまく保定できない。
私はウミガメの時にもうっかり噛まれてしまったくらいどんくさい(漁師さんに「ウミガメの顔の前に手を出すやつがおるかい」と笑われてしまった)。マウスを前におっかなびっくりだったが、しっかり保定してさっと終わらせないとマウスがかえって痛い思いをするので、自分にしては思い切りよく行った。
指導役の方につきっきりで教えていただいてタグ付けはつつがなく終わったのだが、ケージ交換の時に果敢に脱出しようとしたマウスを捕まえようとして噛まれてしまった。流血するほどではなくて幸いだったが、二度以上噛まれるとアレルギーを発症してしまう人も少なくないらしく、気をつけなければならない。
仕事は目まぐるしくあっという間に時間が過ぎる。一週目と印象は変わらず、私はこの仕事を嫌いではない。

一方の研究面では、まず火曜日ミーティングで有用なtipsを教えてもらい「よし、次はこの作業をしよう」という具体的な設定ができた。のだが、作業時間が確保できない。先に書いたように身体が睡眠時間を欲し始めたことと、次に書く金曜からの出張に行くために前倒しで仕事を進めようと残業したので、論文に割く時間を捻出できなかった。むむむ。
今日は体調も精神状態もよい塩梅なので、頑張ろうと思う。

さて、金曜からの出張の話である。この話を今日は書きたかった。
この出張は水族館での実験の補助業務をするためのもので、私はその業務の役得で、なんと幼少からの夢を叶えてしまった……! 夢を叶えてくれた出張に招聘してくれた先生と実験計画立案者の後輩には感謝してもしきれない。

私の博士課程での研究はやわらかくいうと「人間ととある絶滅危惧の動物の共存のありようを探る」というもので社会科学的なのだが、そのとある絶滅危惧の動物(以降、Aと呼ぶ)の行動生態研究チームに所属して研究を進めてきた。
今回の出張はそのAを飼育している水族館で後輩が実験を実施するにあたり人手を必要としていたことから声をかけてもらった。他のメンバーは木曜日出発の二泊三日のスケジュールだったが、私は金曜に半休を取って午後から出張し一泊するスケジュールだった(今週は生活面が乱れて気持ちも落ち着かなかったが、往路の移動時間、電車内でかなり持ち直すことができてありがたかった)。

その水族館で飼育されている動物種Aのマルコ(仮名)は、私にとって非常にかけがえのない存在だ。9歳の時に初めてマルコを見て、私は「Aの飼育係か研究者になる」と決めてしまった。それはもう、キッパリと決めてしまった。だからこそ楽をできたし(非常に安定した思春期を過ごしたのはそのせいもあるだろう)、同時に苦しんだ(「決着」をつけるまで降りられなくなってしまった)。

30年近くの間、マルコに会いに何度となく訪れたその水族館。バックヤードツアーに参加したこともある。けれどマルコの水槽の裏側に行く機会はなかった。

「いつかバックヤードに入れてもらって、マルコとガラス越しでなく、直接対面できたらいいなあ」

これは私の長年の夢だった。

それが今回、叶ったわけである。実験の合間、なんとマルコの肌に触れさせてもらった。ぷにんとした触感に「おおお!」と心臓がバクバクした。
しかし意外だったのは、念願の肌に触れたことよりも、目がはっきりと合ったことの方に心が大きく跳ねた。

時間にして数秒もなかったと思う。でも、マルコは私の前にゆっくりと浮上しながら、じっと私を見つめ続けていた。見つめられていることを強く感じた。
その時、メルロ=ポンティの「<見る>ということが<離れて持つ>ということであり」(モーリス・メルロ=ポンティ『眼と精神』:滝浦静雄、木田元訳)という記述が鮮やかに思い出された。
マルコは離れていたが、私の存在を確かに持った。持たれている、という感覚があった。その感覚を持ちながら、私もマルコという存在を持った。これは私にとって非常に感動的なことだった。

その意味をもっとつきつめ言語化していくことは、ここでは控える。今はシンプルな感動として抱いておきたい。

ただひとつはっきりしたことは、論文を投稿すること、博論を書くこと、博論を書籍にすることは、マルコに対する感謝のかたちだということだ。
マルコは明らかに私をここまで歩かせてくれた。マルコが水族館に来てくれたこと、マルコをケアする水族館スタッフの方々の尽力とマルコ自身の生きる力で今も元気な姿を見せ続けてくれていること。私はどのようにして報えるだろうか。

私は博士課程に進んで野生のAの生息地でフィールドワークをし、データを集めた。これを論文にすることは単に学術的な意味にとどまらない。繰り返しになるが、マルコへの感謝のかたちだと思った。

生活の糧を得るための仕事をしながら、論文仕事をするのはなかなかに難しい。でも、私はマルコに離れて持たれたのだ。やり遂げよう。

出張を終えて皆と別れ、一人、音楽を聴きながら夜道を歩いた。不意に流れてきたmiletの"Anytime Anywhere"の歌詞に泣いてしまった。

<To Do>
・投稿論文2:修正(4月31日〆切)
 ・Fig 全体修正 (来週火曜ミーティングで見せる)
 ・査読者2_コメント番号22に対する回答文書作成(来週zoomミーティング依頼)

・投稿論文1:再査読修正(6月30日〆切)

・システマティック・レビュー:二次チェック中
・博論本文:
 5月(予備審査委員会立ち上げ願い)
  7月予備審査?
  9月口頭試問?

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