引き寄せは自然についてくる
(注・・・ため語で綴っています。気に入らない場合は、スルーしてくださいね。)
内側を創れれば、外側はそのようになる
なんというか、
ようやく、しっくりきたというか。
「引き寄せ」という表現を疑いもなく、
使ってたけど、
それは引き寄せる、、、というより、内側の現れ。
宇宙の法則でも言われているような、
「創造のプロセス」だと。
全ては、引き寄せるというより、
(そういう状態もありだけど、微妙にニアミス)
「自分が創る」
「創造のプロセス」
文字面としては、理解していたけど、
何か今朝は、「確信めいた」思いになっちゃったんだよね。
内側が外側に反映する、
外側は内側の結果なだけ、
良い外側を「引き寄せるのに」内側の波動を高く、、
というより、
内側を創れれば、外側は、そのようになる。
「引き寄せありき」でなく
「内側の創造ありき」
内側の創造がジャーニー
シンプルに書いちゃってるけど、
この「内側の創造」が、
ジャーニー(旅)なんだよね。
そのジャーニー自体が
人生とも言えるし、
自分を知ってゆく作業とも言えるし、
自分のマスターになる作業とも言えるし、
自分の魂(意識)を向上し続ける作業とも言える。
ただ、
こうやって、私みたいに、
いつも、「自分とは?」とか
「人生とは?」
とか掘り下げてなくても、
「生きていれば」
必ず、
「自分のやっていること=興味のあること」
を通して、多かれ少なかれ、
学びがあるんだよね。
学べるように、人生では、
いろんな「経験」として降ってくるわけで。
人生やってるだけで、
「全員」
成長、進化し続けているから。
(補足・・・人ぞれぞれ、魂の段階や年齢が違うとも言うけど、
学びのスピードが人によって違う、と言う表現がしっくりくる。
命の物的性質自体が波動数だからだよね。)
生まれ持ってきたもの
人それぞれに、生まれた時に与えられた
遺伝子情報(ご先祖様の情報の掛け合わせ)
によって、
この人生で使う体や脳や見た目の特徴などの、
スペックは
ある程度決められてやってくる。
おまけに、
生家の家庭環境、両親、家族環境まで最初は「周囲の状況」として
くっついてくるんだよね。笑
(すごいチャレンジングだと思うんだけど。笑)
でも、
それにとらわれなくていいんだよね。
こんな、脳のスペック、顔で、体格好で、両親で、
家庭環境で生まれてきたんだけど、
材料はそんな取り合わせなんだけど、
でもね、作る料理の選択は、無限大だからね。
自分で自由に創造しただけ選択肢を創れるんだよね。
そして選んだように、料理ができてゆく、創れる。
その材料で定番の料理を作る人、
一味変えた料理を作る人、
想像もできない創作料理を楽しむ人、
ひょっとして、
料理でなくて、お菓子にしちゃう人もいるかもしれないし、
食べ物だけど、インテリアにしちゃう人がいるかもしれない、
素材を栽培して増やす方に興味のある人もいるかもしれないし、
素材を研究して、遺伝子組み換え品を作る人もいるかもしれない、
素材で、何を作るかは、その人が好きなように、
好きなだけの可能性が無限にそこにある。
これがパラレルワールドよね。
無数に放射線状に無限に可能性は広がってる。
自分の思いが全て
そして、その可能性は、
自分がこうしたい!って思うことで、
外側に、1つの現実として
反映され出す。
(「選ぶ」って大切なんだわ〜。本当。
「選ぶ」を意識すること。
「強く思うこと」が選ぶことになっちゃってるから、
「強く思う」を意識することとも言えようか。
選べない優柔不断な私なんかは、結果、
選べない「思い」を選んでることになっちゃってる。)
それが宇宙の法則でいうところの創造のプロセス。
「引き寄せ」るんじゃない、
そもそも内側にあるものが外側に反映されるだけの
内側の創造のプロセス。
これ!って決めた時から、
イメージができて、
イメージできると創造が始まっちゃうわけよね。
その状態を「引き寄せ」って説明してるってことだね。
ちなみに、
強くこれ!って思わないと、
その時なんとなく思っている状態の中から
一番強い思いが、物的に創られ始まるんだよね。
「引き寄せ」は目標にならない
だから、
「引き寄せ」を目標にしちゃってる感じがするけど、
本質は、
「本来自分が望んでいるような意思決定をし続けること」
が目標になるということだよね。
それは、
「自分が内側を創造するプロセス」
であり、
そして実は、なんと、
「自分自身を創造しているプロセス」
ということでもあった、という。。。。
自分を創っている、
創っていい、
(与えられるのではなくて)自分で創るもんなんだよ、
ということが提示されてるんだよね、
常に提示されてたんだよね。
なんという。。。。
謙虚さの方向性
マザーテレサが
思考に気をつけなさい、それは、いつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それは、いつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それは、いつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それは、いつか運命になるから。
って言ったのと同じ。
賢人たちが異口同音で、
同じようなことを古今東西で言っているのと同じ。
全ては、自分が自由に創造できる自分の内側の反映。
自分が宇宙、
自分が相手、反映、
自分が原因、
自分が結果を作っている、
自分が全てって、
自分が全ての始まりだし、
反映なんだよって、
こと、、
言葉のあやみたいだけど。
だから人生は、自分を知る旅だってこと。
自分しかいないんだよ。
自分だけなんだよ。
(自分を突き詰め続ければ、他人に益するんだよ。)
終わりのない旅だってこと。
「自分を知る」
「自分を制御する」
ことに終わりはないから。
そこに終わりがあると思ったら、
「謙虚さ」をなくすよ。
自分はここはもうクリアした!なんて思ったら、
「謙虚さ」をなくすよ。
「謙虚さ」をなくしたら、
「自分が自分の成長を止める」
って意味。
人に対してじゃないの、
外側に対してじゃないの、
他人にどう思われるのは、いいの。
他人にどう見えるかはどうでもいいの。
(でも、これが反社会的な行動OK!ということではないよ、勿論。
それに自分が納得する見た目をすれば自分も周りも気持ちいいしね。)
自分が自分で謙虚でい続けることが
自分が内面を創造し続けるための
最優先ということなのであって。
そのために、自分の意識の手綱を常に引いて
自分をコントロールする、創造する。
どれだけ思ったようにコントロールできたか、
創れたか、
が人生の楽しさなんだよね。
そのコントロールゲームの設定が
日々の生活、
仕事
人間関係
お金
パートナーシップ
能力の追求
などの要素として目の前にあり、
日々自分の選んだ「アバターゲーム」として
目の前に降ってくるんだよね。
今回の投稿の背景
ここからは、丁寧語です。
ほぼ毎朝、朝活の一環として、
人間の意識レベルを科学的に説明した、
ホーキンズ博士の原文に触れて、
「意識磨き」をしています。
形而上学と言って、
科学的には説明しきれない、でも、
系統立った考え方、理論で、
正統と感じざるをえないような哲学や宗教、
考え方やスピ系の考え方を、
ホーキンズ博士は、
「意識レベル」という切り口から、
科学的に計測され、説明されているんです。
日本語でも何冊か著書が出ています。
それを毎朝、
山本さんという方が、
facebookで、
ホーキンズ博士の原文を引用しながら
投稿してくださっているのを読んでいます。
それを読んでいて、降りてきた感覚を今回の投稿として書きました。
貴方の愛のエナジーを有難う💖