木村拓哉から読み解く純文学のすゝめ
気がつけば、昨日までの4日間連続で投稿しているのは、どれも本・映画についてインプットしたうえで、感想、またはそのようなものをアウトプットとしていたため、ネタには困らなかったが、時間はとられた。
2~3時間はインプットに時間がかかり、そもそもインプットという言葉が正確なのかは分からない汗とにかくその後に1~2時間かけてアウトプットしていた。ほんとうに、ずいぶんnoteしてる笑
でも、今日は違う。昨日ランニングの際、ふとタイトルが浮かんだ。noteをはじめたおかげで、たぶんこんなことを考えるようになった。どうかな?
けっこう、気に入ったタイトルだ。
そう、今日は考えたことを徒然とアウトプットする。元ネタはなしだ。僕はただ、純文学みたいに、自由に書く。いま、23時23分。ゾロだ!なんと素晴らしい!30分で書こう。それで終わりだ。誰かの為じゃない、他でもない僕の為に書く。そういう内容になるだろう。
タイトルには、前回に引き続きキムタクを据えた。
たぶん書きながら、僕は次はこんなことが言いたかったのではないのだろうか。と、実は薄々感じていた。そしてそれが、ランニングの際、気がつけばドラフトして、いま、アウトプットしている。
ん?
まて、アウトプット・・・まあ、いいか笑
そうだ、ついでに、次の記事ではランニングについて書こう。決めた。
木村拓哉について、まず昨日記事でこう書いた。↓
そして、僕の好きな作家で説明する。
たとえば
村上春樹も中村文則も、きっと彼らは海外文学を好んでいることもあるせいか、とにかく分かる。
圧倒的クセ
これは、完全に「スタイル※」
※ほかに、色々書いてますが、この記事で書いたことです。読んでみて!
たとえば新作で、つまるところ読んだことが無くたって、作者を隠されていたって、たぶん、利き酒みたいにして分かる。という話だ。
2人には、彼ら特有の文法もしくは文体がある、だから分かる。
中村文則のデビュー作『銃』の冒頭を引用する。
クセありでしょ!そして好き。めっちゃカッコいい。で、これって、カミュでしょ!
またさ、村上春樹はもはや不要だと思うけど、クセでしょ。日本文学の古典とは違うよね。海外文学を読んできた書き方だ。
彼は好きな本を3冊あげた
『グレートギャッツビー』
『カラマーゾフの兄弟』
『長い別れ』だ。
どこかでこう答えていた。
とにかくね、
ああ時間だ!まだまだ話したいことはある。でも、どうやら今は時間もなければ、それをうまく言葉にできそうにない。今日のところは一旦さらっと読み返して、公開する。ひどい話だ。ひとりよがりだ汗
だけど、いつか続編を書こう。そう思った。
そうだ、
木村拓哉については昨日、下の記事で色々と愛を綴った。ここまで読んでくれたんだ、よかったら読んでみて欲しい。よろしく。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
また次の記事も読んでくれたら嬉しい(過去記事も)。それでは。
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