タイピストの手先

送信履歴♭7 返信を急いでくれ

「気になることはないのじゃろうか?」
赤い小さな人がほかの4人に訊いた。言葉も思いももううまく共有できなくなっている。
「言われてみれば」と緑の小さな人が思い当たる節を思い浮かべて言った。
何が? 緑の小さな人、リーダーの思い当たる節が伝わってこない黄色の小さな人が、共有できなくなっていることに苛立ちのようなものを覚え、尋ねた。

もう伝わらなくなっている!

みんなに問いかけを投じた赤い小さな人、プルマンを除く4人が同時に同じことを思ったが、それは思ったことを共有したからではない。たまたま同じ結論にたどり着く設問が、正しい回答に集まっただけのことだった。
そうなのじゃ。命運の月が現れたころと時を同じくして、奇怪な現象が起こり始めた。記録マシンが勝手に騒ぎ出し、わしらの気持ちが伸びていかん。気持ちが伸びないと届くことはないのじゃ。逆に、気持ちをつなぐ相手からの触手も--これはたとえじゃ、わしらについておる腕のことじゃない。気持ちをつかむ心の手じゃ。わかるかの?--感じなくなっておる。それが共有できなくなった原因じゃ。
だとすると、どうして気持ちが伸びなくなってしまったか、それがわからんことには手の打うちようがない。手も足も出ん。

「タイピスト」と言ってプルマンはタイピストに目を向けた。
「何?」、と心中穏やかではなくなった気持ちを表情に浮かべた黄色い小さな人がプルマンを見つめた。
気持ちは伸びてこないが、気持ちを集めようとしていることを確かめてからプルマンが続けた。
「返信を急いでくれ。今すぐ、打ってみるのじゃ」
「今すぐ?」、タイピストは動揺した。それから「返信するって言われても、その先が難しい。いったい何を書けばいいのさ」とタイピストは慌てふためく。言い方はいつものクールなタイピストではなかった。パニックを起こしたような、地から足が浮いてしまったような話し方。不安定なしゃべり方でタイピストは必死に言葉をつなげている。「僕は耳にしたことを打ち込むだけで、書き言葉は綴れない」、最後のほうは悲壮な声になっていた。

プルマンが動揺したタイピストを見かねて唇の端を噛む。それから緑の小さな人に目を向け、言った。
「リーダー、おまえならできるな?」
だがリーダーもまた仰天を顔に浮かべ、あたふたと手をばたつかせた。よほどの驚きだったのだろう、二の句が継げない。
プルマンはその仰天ぶりから、答えは「ノー」だと判断した。

しかたない、とプルマンは次に目を移した。その先に青い小さな人がいる。カットマンは黄と緑とは違って、自信に満ちあふれて胸を張り、自分が指されるのを待ち構えるようにプルマンを見すえていた。
プルマンの目がカットマンのそれと重なる。だがそれは、流れの中でたまたま合った目線で、結びつくことはなかった。視線はカットマンを素通りし、その背後にいた紫の小さな人で止まった。
カットマンはたとえようのない不快な感情を抱いた。
今までこんなとらえようのない不思議な感情を抱いたことはないし、いやな思いに陥ったこともない。
なんなんだ、この感情は?
カットマンには「苛まれる」という表現ができなかった。理解する必要がないからだった。それはほかの4人にも言えた。自分が苛んだことがないから、人を苛ませることがどのようなことなのかもわからない。
だけど、無知が傷つける痛みの深みは計り知れない。全人格否定的な一太刀にやられるようなものだ。受ける者の激痛はいたたまれない。

不意にカットマンを「従うだけの者」という鋭い一撃が貫いた。
痛いっ! 何だ、これは?
痛みを感じたところを確かめてみたけれど、カットマンの体には傷ひとつついていなかった。突かれた痛みだけがじんじんと残っている。
何だったんだ? 今のは? カットマンを周囲を見まわしたが、犯人をとらえることはできなかった。
それに、“従うだけの者”の意味するところは何?

カットマンの悶々とした思いをよそに、[わたしか?]、ファイルキーパーが口をもごもごと動かし、漏れ出す空気に極小の声を乗せた。
ファイルキーパーにはすでに、空気を振動させ伝えないことには--耳に伝える声で発しないことには--伝わらないことをすでに把握していた。
それから[保存したものの中から引き出しつなぎ合わせれば、できないことはないと思う]とかすれ消え入りそうな極小の声で言った。

「おそらく打ち込んだ文字を取り込むのは、あの4つ目の月じゃ。ぽっかり空いたクレーターからひゅうひゅうと吸い込む音が聞こえておった。あれが、ここの大事なものを吸い込み始めているのじゃと思う。ほかに考えられることはないからのう。
この一大事を解決できるのは、おそらく吸い込まれた先に在るもの。“もの”が“者”か“モノ”かはわからぬが、そう考えなければ道理が合わない。
そしてまた、青くあがる焔はおそらく吸い込まれた先から送り込まれてくるものじゃ。
このことはあくまでも仮説にすぎん。だから合っているかどうかは確かではない。
じゃが、物事がシンプルで揉め事のない我らの世界が、これだけざわめきだっておるのじゃ。重なる異変を並べその意味するところを考えたら、そのような結論が出たというだけじゃ。

やってくれるか、ファイルキーパー、そしてタイピスト。
これで納得してくれるか、リーダーとカットマン」

プルマンは4人の顔を順に追っていった。一人ひとり、よく知った顔のはずなのに、まるで今一度心に刻み付けるように慎重で深く慈しみ深く、その視線はそれぞれの小さな人の顔を見すえていった。

一度は素通りされたカットマンは、しかと見つめられたことでその顔が心なしかゆるんでいた。

(続く)

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。