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もみじ (#シロクマ文芸部)

紅葉鳥もみじどりって言うんだけどね」
器用そうな手先の使いかたをする看護師が、一枚のシールを台紙から剥がして、娘の指先にちょこんと乗せた。
小さな人差し指の先にくっついている、“紅葉鳥”と呼ばれるその鳥を娘はじっと見ていた。
そのシールは、初め白色だったが、娘の指に触れた部分がじんわり紅く染まっていった。
「これをおばあちゃんの腕に貼ってあげてね」
看護師に促され、娘はシールを落とさないよう一歩一歩、ゆっくりと母に近づいていった。
母の横に立った娘は、母の腕が、すでに何本かの管に繋がれていたからか、シールを貼る場所に困っている様子だった。
「ここがいいんじゃない?」
私が腕の内側を指差すと、娘は丁寧にシールを貼った。
娘が、剥がれないようシールを上からさすると、母の柔らかい腕の内側の皮膚はよく動いた。
母の腕にシールを貼った娘は、振り返り、私に満足そうな笑顔を向けた。
「かわいいね、とりさん」
「かわいいね。ね、見て。いま鳥さんはなに色になった?」
娘はもう一度母の腕に貼ったシールを覗き込んだ。
「あか!」
「もみじみたいに真っ赤になったね。おばあちゃん、今年はもみじ見に行かれないから喜ぶかもね」
娘は嬉しそうに、少し恥ずかしそうに私に抱きついた。

病院からの帰り、せっかくだからと皇居周りの紅葉の中を娘と歩いた。
自由に歩き回り、きれいな葉を集める娘を見ながら母のことを思った。
母と紅葉を見たのは大人になってからだ。もちろん、幼い頃も母に連れられて紅葉の下を歩いたのかもしれないが、私の記憶の中にその光景はない。

働き詰めだった母が、体調を崩して仕事を休んだ期間に行った京都で、母と二人で紅葉を見た。
母はしきりに「すごいねえ」と言っていた気がする。その時の母がどんな表情だったかは、なぜだか思い出すことが出来ない。
他人行儀な旅の終わり、母が言った。
「なんか、あんたもあっという間に大人になって。女二人だけになっちゃったね」
母は笑っていた。私は、その時の母の言葉に強く抗いたくなったことを覚えている。
確かに、私の子供時代のほとんどを母が一人で養ってくれたのだから、感謝していない訳がない。ただ、私はあっという間に大きくなった訳では無い。
寂しい一人の夜をたくさん覚えている私にとって、母の言葉は残酷だった。
「あのとき、再婚も考えたんだけどね。どうも、いつか別れるかもしれないと思うと決められなくて」
私は母が話している相手のことを思い出した。何度か会ったことがあり、悪い人ではなさそうだった。そんなに親しい仲だったとは知らなかったが、結婚を意識する関係であったのなら再婚すればよかったのにと思った。
その男の人が働いて、母が家にいてくれたらどんなに良かっただろう。
母にとっては、手のかからなくなった娘との旅行は楽しかったのだろう。私をれっきとした大人として扱い、当時の事情を遠慮なく話してくる母の言葉の数々に、私の中にいる、“当時子供だった私”は傷ついていた。

「なんでおばあちゃんは、もみじを見られないの?」
娘は集めたもみじを私の手のひらに一枚ずつ乗せながら尋ねた。
「具合が良くないから。お外に出ると、寒くて風邪をひいちゃうんだって」
「え、ぜんぜんさむくないじゃん!」
娘はそう言って笑った。
「このもみじをおばあちゃんにあげたらいいよね?」
私を見る娘の瞳がきれいだった。彼女の見ている世界は、今とても美しいのだと思ったら、私は嬉しかった。
「そうだね。次会ったときに飾ってあげようね」

病院に呼ばれたのは翌日だった。
病院からの電話を受けながら、頭の片隅では、娘が集めたもみじがしおれる前で良かったなどと思っていた。

娘は袋にたくさん詰めたもみじを、嬉しそうに眺めながら昨日と同じ電車に揺られている。
「おばあちゃんいつも寝てるけど、おきてくれるかな」
娘は独り言を言ったのだろうから、私はそれには答えなかった。

母の病室ではいつも通り、顔馴染みの看護師がいて迎えてくれた。
娘は部屋に入ると母に近づき、腕のシールを見た。
「あ」
娘が声をあげた。
「いろがかわってる」
娘が母の腕に貼られたシールを見て喜んでいる。
私は腰をかがめて娘と視線を合わせた。
「なにいろになった?」
私が聞くと、娘は少しの間悩んでから言った。
「おれんじ?きんいろ?」
「そうだね、なんか昨日より格好良くなったね」
私がそう言うと娘は嬉しそうにした。
「もう、もみじどりじゃないね」
娘が言った。
私はこらえていたものを抑えられなくなってしゃがみこんだ。
言葉無く触れた母の手は冷たかった。
泣いている私を見て、驚いた娘も泣き出してしまった。
「おばあちゃんのシール、不死鳥みたいだね。きれい」
やっとそう言って娘の頭を撫でた。
娘の涙を拭ってやりながら、机の上に置いたもみじの袋が目に止まった。
「おばあちゃんに見せてあげて」
娘は黙って頷くと、袋を開けて、寝ている母の隣の机に、もみじを並べていった。
「お母さん、京都のもみじ、きれいだったね」
あのとき、言えなかった『きれいだね』の一言を、娘が並べてくれたもみじを見て、ようやく伝えることが出来た。



[完]


#シロクマ文芸部
#紅葉鳥

今週もよろしくお願いします°・*:.。.☆

※架空の「鳥」の話として書きました🐦






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