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読書ノート | 締め殺しの樹

作品名 : 締め殺しの樹
著者名 : 河﨑秋子
読了日 : 2022年3月3日

この作家については『土に贖う』という北海道の開拓期の人々を題材にした短編集を先に読んでいて、凍てつく大地に太い脚のどさんこが駆け巡るような力強い作品を描く人だという印象を持っていた。

私はタイトルをあまり意識せずに読み始める癖がある。
この作品の読みはじめの頃は『おしん』のような貧しい少女が奉公先でこき使われながらも、耐え忍び、やがて幸せな家庭と仕事を手に入れる女一代記だと思っていた。しかし、主人公ミサエの少女時代は昭和であり、設定としてはミサエには家族がおらず、親の代で縁のあった根室の酪農家に使用人として貰われていく話だとわかってくる。その貰われた吉岡家で奴隷のようにこき使われ、人間としての尊厳もことごとく奪われるのだが、ある富山の薬売りの口利きで、札幌の薬問屋に雇われ、根室から脱出する。
女一代記というよりも、根室のある集落一帯を描いたサーガものだと気づいたのは、保健婦になってミサエが再び吉岡家のある集落に戻ったときだ。そこでようやくタイトルが『締め殺しの樹』であったことを意識できた。
札幌で人間としての尊厳を取り戻し、生きる術を身に着けるまでの青春期はほとんど描かれず、禍々しい人間関係が渦巻く根室の集落での新たな登場人物が描かれていく。恋愛から結婚にかけてのロマンスもほとんど描かれず、ミサエの夫も口先だけの料簡が狭い男として彼女を苦しめる。ミサエの娘が幼くして自殺するという展開まで来て、しんどさだけが付き纏うこの物語、なにかに似てると考えていたら、ウィリアム・フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』を思い出した。
『アブサロム、アブサロム!』は伝聞語りという独特な文体の印象が強いが、アメリカ合衆国南部のミシシッピ州ヨクナパトーファ郡という架空の土地に生きる3つの家族を描いたサーガ作品だ。日本に奴隷制度はないが、ミサエのような生い立ちにし、入植地での働き手として幼少期から労働を強いられていたら、似たような状況にはなる。その設定には無理があると反論できない力強さがあって、しんどいと思いながらもページをめくる手は早くなっていった。
物語がミサエから吉岡家へ養子に出した息子・雄介の話へと移り、最後に衝撃の血縁関係と怨念の理由が明かされ、作者はフォークナーをやりたい説が確信に変わった。枯れた樹木が風雪に耐え魑魅魍魎がうごめく土地に入植する人々の泥臭い生き様を、フォークナーと同様のスケール感で描けるのは、日本では北海道だけだと作者は言いたいのではなかろうか。
作中、タイトルの由来が仏教の教えから来ていることが明かされるが、『アブサロム、アブサロム!』も旧約聖書『サムエル記』のからの由来のタイトルであり、作者が敢えて被せている気がしてならなかった。


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