博士号を取得しての大いなる解放とその先にするべきこと【研究者日記】
先日は僕が博士課程の大学院にいた時の後輩が、無事に博士号の学位を取ったとのことなので、おめでとうございますのZOOM飲み会でした。
その当時の、僕のラスト後輩という感じの後輩で、無事学位とれて良かったです。よくすすきのに飲みにでてたいたので、久々に集まって飲み会して楽しかったです。
そんなこんなで今日は博士号取得に際しておこるあれこれについてご紹介します。博士だけではなくて修士や卒論、あるいはそのほかの資格取得にも通ずる話です、よかったら読んでみてください。
博士号取得までの道程
学位取るのって大変なんですよ、ホントに。
というのも学位取るまでに、博士課程は3年間勉強したりもするんですけど、何よりもプロセスとしては「博士論文を書くのが一番の目的」です。
心理系の博士課程だと研究を3つか4つ、多いと6つか7つ研究をしてそれを1連の流れを作っていきます。
一連の流れの例でいうと、まず、その分野の先行研究レビュー(すなわちこの分野の論文を全部読む)、問題点や新しく解明する点を明らかにする。
その心理的概念を測定する物差しを作って、その背景になる理論を構築する。
そして、1時点でどういうことが起こっているか?を研究で明らかにし、それを時系列で追う。
操作を加えて(たとえば、介入とか心理療法をする)とどのような変化があるかを調べる。
最後にこれまでの結果を考察するという流れを作り、なおかつ新しい発想を作らないと論文にならないので、自分のオリジナリティーとか先行研究とかを踏まえて作業をしていきます。
(なかなか骨が折れますね…。頑張ったので、僕の博論も出しとこ。)
いろいろな生活スタイルの博士課程
僕の場合は、学術振興会の特別研究員といって、文部科学省から生活支援金(?)をもらって、なおかつ研究費ももらって博士課程にいることができたので、ちょっと楽させてもらえました。
(バイトできなかったり、病院で臨床できなかったりと当時はいろいろと思うことはあったが)
今回学位をとった後輩もそうなんですが、仕事しながら学位を取得する人も多かいので、そういう人からすると本当に大変だなと思います。
3年間から4年間ぐらいかけて研究を進めていって、それで最終的に一つの論文にまとめるんですけれども、その論文をまとめた最後に審査会というのがあります。
博士論文の審査までの流れ
博士も修士もそうなんですけど、教員の審査があって、僕のときはメインで審査してくれる主査の先生が一人、サブで審査してくれる副査の先生が二人いて、その先生方に審査してもらいました。
僕のいた大学院は10月くらいに博士論文を書き上げて提出して、11月に予備審査、本審査にあたって、どういうところをまず直してほしいかとかという意向のコメントがされる、というのを審査委員の先生の前で発表して、修正して本審査に進みます。
審査自体は僕の場合は、スムーズに進みました。
サイドストーリーがたっくさんあります。この予備審査とか本審査とか提出時期って本当にいろいろなストーリーが起こります。
博士論文提出のトラブル
まずよくあるのが院生室のプリンターが壊れるですね。
提出する人が何人もいて、過剰にプリンターに負荷をかけるので、動かなくなっちゃって印刷できないじゃんみたいなこととかが起こります。
あとはストレスがめちゃくちゃかかるので、何か不和が起こりがちです。喧嘩が起きたりとか、言い争いが起こったりとか、いろいろあります。
あとは先輩がカップ麺をたくさん買ってきてくれるというのもあります(金澤さんありがとう)。泊まり込みで作業する人もたくさんいますからね。
僕の時のトラブル
僕の時の話です。予備審査の日が全然決まってなくて、いつなんだろうって思っていたんです。
そんな時にぱんだ先生と一緒にCBT Case Campという名前の症例検討会を札幌で主催していて、それに結構コミットしていて、頑張って企画して症例検討会が終わったーで疲れ果てたタイミングで当時のボスから電話が来たんです。
用件は別の要件だったんですが、会話の途中で、
「あれ?そういえばお前明日博論の広聴会やけど聞いとるか?」
みたいな感じのことを言ってくるのです。
「え?明日すか?」みたいなのかんじで「そや」っていうので、「(・・・何言ってんだろう?)」と思って、その先生がいろいろなところなんかか事務さんとか審査の先生とか聞いてもらったところ、
何故か審査の日が僕にだけ連絡来てなかったらしくて、大慌てでその資料を当時の教授に送って確認してもらって、そんな感じで何とか次の日までに資料を完成させて、審査ができたということがありました( #発表者にだけは連絡してくれ )。
危機察知能力は割かし高いほうで、何か嫌な予感はするなと思って、一応資料を作ってたんすよ、30枚ぐらいのスライドで。
それがあったから良かったようなものの、これなかったらどうしてたんだろうと思って。
いやあ懐かしい話ですが、さすがに前の日は勘弁してくれよと思いました。でも無事に学位とらせてもらえたので良かったですね。
その時は、それこそアメリカの学会に行って、その後に症例検討会やってそのまま博論の審査会だったので、症例検討会のときにはもう疲れ果てて死にそうになってたんですけど、
その電話の時に、症例検討会主宰のぱんだ先生こと太田さんのこころsofaにいかせてもらって、当時のボスと電話させてもらったんですけど、だいぶ太田さんには支えになってもらっていろいろ励ましてもらい、太田さんの娘さんも気を使って私の膝の上にのってきてくれて、めちゃくちゃ励ましてくれたということがありました。
いろいろな人に支えられていきているなと思って、本当にありがたいもんだと思います。
博士をとったあとが勝負だ!
そういうエピソードが起こるので(?)、博士課程とか修士課程も取れるまではそれに向けてめちゃくちゃ頑張らなきゃいけなくて、めちゃくちゃストレスがかかるんです。
学位を取った後は「良かったあ、できた、終わったな」みたいな感じの達成感があるんですけど、博士号を取得するにあたって、それに向けて努力する分に用意してあった時間が、ぽっかり空いてしまいます。
自由度高くなるのは僕としてはいいことだと思いますし、その後どうするかなあというところに全振りできると、学位とった甲斐もあって、社会貢献なりとか、自分の価値に向かって進めるところもあります。
例えば、公認心理師の資格も同じだと思うんですけど、資格取ってそれで終わりじゃなくて、資格取るにあてていた時間の分、他のことにあてられるようになっているので、資格を取った後に仕事をされてもいいでしょうし、違うことしたくなって違うことをして過ごすのもいいのかなと思います。
当時のボスに良く教えてもらっていた言葉があります。
「足の裏についた米粒のようなもんで、取らないと気になるが、とっても食えない」
学位を取ること自体で何か職を得られるわけではなくて、そのプロセスの中で培ってきた知識や経験をこれからの人生に生かしてこそ活路が見出させるというものです。
少なくとも学位や資格が必要とされる側面もあるのですが、そうではなく、「これからにどう活用していくか?」が重要なのではないかなと思います。
少なくとも穴が開くと暇になるのでは何かしましょう~。
それでは最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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