人生には余白がだいじだなあと京都のお寺で気づいた話【研究者日記】
最近忙しかったなあとに気づいたときには、もうこころの余裕がないよねって状態に追い込まれていることがまあまああります。
そのときは引き受けてもだいじょうぶかなって思って引き受けるんですけど、先のことなんでまあいっかああってなって、そのときがくるとあれけっこう時間ないぞみたいなことになります。
そういうある種「ヤバさ」みたいなもんには、日常を生きていると気づきません。いや、気づけません。
話は変わって、先日、京都に行きました。伏見稲荷大社とかにいって、観光客多いなあとか、修学旅行生、みんなこれて良かったなあとか感慨深くなってた一方で、ちょっとひと疲れしてました。
京都って街を歩いているだけでも雰囲気がいいんですね。そのあたりにお寺とか神社あるしって感じで。なんか歩いてた時に吸い込まれるように、あーなんかこのお寺に入るなあみたいな感じで入ったんですね。
おお、なんだここは、静寂に包まれた時間。裸足に踏みしめるは、木の冷たくも暖かい感覚、そしてこの庭園。
これまでお寺のお庭になにかを感じたことは一度もなかったのですが、これはとても心地の良い感覚に包まれている。
静かな時間を過ごす場所で、庭にもすべてが詰め込まれているわけではない。この余白というのが、なんとなく良い気持ちを生み出している。
ふと、じぶんの生活には余白がなく、なかなかにあくせくしていることに気づく。ああ、余白ってのはだいじだなぁ。
直接に言葉で言われるわけでもなく、なんらかの要素によって気づく時間。先人がどういった思いでこの庭園をつくったのかはわかりませんが、少なくとも悠久の時間を経てから、わたしには気づきを与えてくれた。
個人的解釈としては、この余白の美しさを通して、そんなに急ぐな、もっと余白を持ちなさいと語っていることと考えることにした。
日本的美、わびさびとか余白の美しさ。日本人はおそらく昔から忙しくせっせと生活していたのだろう。たぶんこの庭園が私に伝えてくれていることも、生活に当てはめて考えるということなのだろう、と思ったところ。
たまにでもいいので、そういう静かな時間を過ごせる場所に身を置いて過ごしてみるのもいいもんだなと思いました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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