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不注意なじぶんを受容する【心理学】

福島県の医学部で学生教育をしながら、心理カウンセラーをしたり、研究をしたり、YouTubeの運営をしたりしてるあおきしゅんたろうです。

昨日に引き続き、サムネイル用に野菜の写真をアートっぽく加工するのにハマっているわたしです(#そんな暇あったらnote書け)。

さて、今日は自分を受け入れるという話をします。それに先立って、わたしが不注意をさく裂させたエピソードをお届けします。

忙しいと、さまざまなことを情報処理を頭がするので、そのぶん他のことに頭が回らなくなります。

頭の機能がきゅってなるので、なかなか頭が回らなくなってきます。

そういうときにはいろいろと不都合が出てくるのですが、わたしの場合は不注意がさく裂するようになります。

最近だと、まだ付けてもいないマスクをごみステーションに捨ててしまったりとかですね。

前も疲れてる時にがんばってお弁当を作ったんですけど、間違って弁当をそのままゴミ捨て場に捨ててしまって、ごみ袋の方を鞄に入れて大学の方に持っていくということとかもありました。

それから、角に足ぶつけて痛いみたいな感じになったりとか、何か人にぶつかりそうになったりとかもあります。

この間は、段ボールを持とうとして段ボールで指を切ったりとか、知らぬ間に親指が血まみれになっていてめっちゃ焦りました。

過去に学会シーズンで忙しい時は、その頃住んでいた札幌から、2週間連続東京に行っていたんですけど、2回とも飛行機を取り間違えるという…。

1回目は札幌から東京に行く飛行機を行きと帰り、どっちも札幌から東京の行きをとってしまい、

もうひとつは日付を間違って前日にもう飛行機が飛んでしまったみたいなことがありました。しかも学会でお金を使い果たし、航空券買えず、残念!ということもありました(#父に電話し振り込んでもらった)

そういう感じでですね。やっぱりスパークすると、やっぱりろくなことが起こらなかったりしますし、いろいろな方々とか自分に何か余計な負荷がかかってしまうってのがあるので注意しましょうということです。

しかし、注意しましょうというたからとて、何かそれだけでうまくいくわけでもないし、何か自分ってダメやなぁみたいな感じで思ったりとかもすることもあると思います。

そんなときに、じぶんの場合は、本当に周りの大人のひと、父母もそうだし、じいちゃんばあちゃんもそう、学校の先生方もそう、先輩たちもそう。

そんな不注意な自分ながらも、大人のひとたちに受け容れられて育ってきたなと思います。

一方、そういうじぶんで怒られることもたくさんありました。なんか昔のことを色々と考えてみると、中学校のころは、生意気な口聞いて先輩に胸ぐらつかまれたりもしたし、高校も髪を染めたまま行って怒られたこともあったし、大学でもボスにはなかなか怒られました。

その反面、高校の先生は、その当時バンドをやっていて、東京からバンドが来るから、その日の試験を休みたいって言ったら、そういうのを理解してくれてて、試験休んでライブしてきていいよと言ってくれたりとか、そういうこともありました。

大人も優しく叱ってくれたんでしょうし、仲間も仲間で受け容れてくれる、変な人たちだったなあとも思います。

こういった原体験めいたものがあって、自分のやってることをすごく良いという言ってくれる人もいれば、怒ってくる人もいます。

自己肯定感という自己啓発の分野で取り上げられる言葉がありますけど、じぶん自身は自己肯定感がそんなに高いわけじゃないなと思っています。

後輩の菊地さんから「あおき先生はじぶんのこともっとすごいと思ってください」と言われますけど、なんかそういうふうにはあまり思えないんですよね。

すごいかどうかよりも、自分は自分のままでもいいのかなって。

自分にはいろいろな要素があって、そういうのを良いという人もいれば、そうじゃなく怒ってくる人もいるし、ネガティブにとらえるひともいる。

ひとの見方によって、何か色々な視点があって良いし、それが多様性なんだろうと思っています。

心理学でいうとウェルビーイングの要素である「自己受容」「アクセプタンス」あたりが、じぶんとしてはしっくりきます。

自分がポジティブだな、いいなって、思えない場合は(もちろん思ってもいいんです)、必ずしもポジティブに思わなくてもいいのかなと思います。

ポジティブじゃなくてもいいし、一方で、ネガティブになる必要性もない。

不注意炸裂のじぶんでもまあいいんじゃないかというような、何かそれぐらいの感じでいいのかなあってじぶんでは思いますし、それが自己受容なんだろうなあと思います。

ウェルビーイング療法の書籍には適切なレベルの自己受容について、「じぶんの良い点も悪い点も受け入れている」と書いてあります。

過去を振り返ってみると、自分でやってることで怒られることもあるし、それを良いと言ってくれる人もいるし、何か自分は変なやつだなと思うけど、でもそのままで、それでいいんじゃない?みたいな感じです。

いろんな環境があるので、そううまくいかないわい、ってこともあると思うんですけど、何か自分は自分のままでいいやっていうように思って生きていけるのがいいのかなって、心理学的にもそうですし、個人的にもそう思ったりしました。

それでは、最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました!

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筆者 あおきしゅんたろうは福島県立医科大学で大学教員をしています。大学では医療コミュニケーションについての医学教育を担当しており、臨床心理士・公認心理師として認知行動療法を専門に活動しています。この記事は、所属機関を代表する意見ではなく、あくまで僕自身の考えや研究エビデンスを基に書いています。

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