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忙しすぎても、暇すぎてもヤバい。

福島県立医科大学で大学教員と研究者をしているあおきしゅんたろうです。どうもいろいろな仕事をしていると、時間のバランスがうまくとれずどうしたらいいんだべかと苦慮する毎日です。

という自戒の意味も込めて、今回は「時間の使い方とこころの健康が関連していて、忙しすぎても暇すぎてもヤバいですよ」という話をします。

結論はこのまんまです。なんでヤバいの???という話をしていきます。

時間の使い方って、こころの健康を保つうえでの本質的な話なんじゃないかなと個人的には思っているところです。人間の営みの中心的なことですからね。

途中から有料記事ですが、エッセンスの部分は無料版で十分お伝えできていると思います。有料記事部分はさらに踏み込んだ話(ほぼ持論)をしていますので、興味ある方はぜひご購入お願いいたします(有料記事の売上は全額メンタルヘルスや心理学関係の情報発信のための費用として使わせていただきます)。

稼働時間が長いと、単純にストレスが増える。


相当昔から言われていることですが、稼働時間が長いことは単純にストレスになります。「仕事の量的負担」とも言われています。

「過労死」という言葉を耳にしたことはありますでしょうか。大幅な残業や休みのない仕事では、単純に体が壊れてしまいます。

こころも同じです。休む時間がないと、疲労がたまり、睡眠もうまくとれなくなります。疲労や睡眠の問題はうつの症状でもあり、うつの原因にもなります。

さらには、休みがないと、ストレス発散をする時間がとれません。ストレスが溜まっていくと、気分がうつうつとしてきます。そして、いろんなことが楽しめなくなります。

ストレスがたまると、集中力が低下し、ミスも増えてきます。普段なら些細なことであっても、気にさわってしまったりもします。

稼働時間が長いことはこういった悪循環を続けてしまう要因にもなるんですね。

とはいえ暇もアカン。


忙しいとメンタルがやられてしまうのはなんとなく理解できると思います。ただし、暇も良くないのですね。それはなぜでしょうか?

絶望を基に考えてみましょう。絶望がうつのリスクになることはよく知られています。絶望とは「先の見通しが見えなくなったときに、お先真っ暗だ、もうどうすることもできない」と考えてしまうことです。

何もすることがない生活、暇であること、生きる意味が見いだせないことが絶望を生みます。なぜなら、前に進んでいる感覚も持てなく、やることがない日々がずーっと続く、これってきっと先の見通しが見えなくなるにはじゅうぶんな条件なんだろうなぁと思います。

なんにもすることがないと、ひとは考えます。なにかして、没頭しているときに、考え事をする暇もないと思います。なにもすることがないと、ひとは考えるのです。

考える内容がポジティブなことやニュートラルなことであればいいかもしれませんが、考える時間が長いとネガティブなことがどうしても差し込んできてしまいます。暇であると、物理的に考え込んでしまうんですね。

そうすると、どうしてもこころの健康がおびやかされてきます。

ずーっと何かに没頭していたものがなくなってしまった。


ここまでは、稼働し過ぎ/あるいは暇過ぎのどちらかに振っての話でした。ここからは「落差」の話をしてみたいと思います。

仕事に没頭している人が、何らかの理由で働けなくなってしまった、あるいは命を懸けてきたプロジェクトが撤退になってしまった、というようにこれまでに多くの時間を割いてきた事柄が突然失われてしまうことがあります。

そういった体験はまず喪失体験となります。皆さんも経験したことがあるかもしれません。死によってひとを失うこと、別れによって大好きな人とさよならすること、ペットのワンちゃんと離別すること。喪失体験は悲しみを生みます。

仕事もそうです。ずーっといのちをかけて没頭してきたプロジェクトがおじゃんに、退職して仕事をしなくても良くなった。まず喪失体験による悲しみがきます。さて、次になにをする…?

ぱっと、思いつきますか?

1つの事柄のみに没頭してきたとき、他にやることが見出せなくなります。やりかたもわからない、どうしていいかわからない。そうすると前セクションの暇によるメンタルの悪化方面にいってしまいます。

燃え尽き症候群いわゆるバーンアウトの原理です。没頭してた事柄が大きいぶんだけ落差が大きくくるので、余計にメンタルに負荷がかかるんですね。

バランスよく時間を使うとは?

ただただ暇、やることがないって場合は、何か始めた方がいいと思います。意味がある、満足できる活動時間が長いほうが、ストレスは少なくなることが研究でわかっています。

長時間働いている場合も、その労働がじぶんにとって価値のあることであればいいのかもしれませんが、ただただ時間を使っている場合はそのストレスははかりしれません。こちらは休み休み仕事をされるようにしたほうがいいと思います。

じぶんの意志でやりたいこととして、休む時間をあえて作るようにするのがいいと思います。神社・お寺で静かな時間を過ごす。自然の中で、ゆっくりしたチルな時間を過ごす。仕事を少し早く切り上げて、近くのカフェや酒場で過ごす。などなどいろいろやることを考えてみましょう。

極端ではない落差をあえて生活の中で作ることで、コントロール不能な落差がきたときにも耐性をつけておくことが必要なのかなと思います。ずーっと稼働しっぱなしだと、不可抗力で強制的に時間ができたときに過ごすことができなくなります。

前の記事でも話しましたが、生活の中にあえて余白を作ってみることが大事なんじゃないかなと思っています。

最後に、新しい意味をこの世に作る場合、没頭して一つの事柄を突き詰める存在も必要です。みなさんはそういったひとつの事柄をつきつめたくて、その活動に取り組んでいますか?

一度立ち止まって考えてみましょう。ほかにやることがなくて、ただただ目の前の活動をこなすことが、やるべきことになっていませんか?その場合は、上で話した時間の使い方になってるかもしれません。

仕事ばかりではなく、プライベートにも少し力を入れてみる、やってみたい副業に時間を使う、健康のために散歩するなど、いろいろな事柄に自分の時間を分散させてあげてください。そうした時間が10年後のじぶんを守ることにもつながると思います。

もちろん、ひとつのことを突き詰めて、新しい何かを創ろうという方のことも、わたしは応援しています。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

さらに興味ある方は、心理学者2人で時間の使い方とこころの健康について話した動画のディレクターズカット版があります。よかったら聞いてみてくださいませ。無料で誰にでも見られるとちょっととあれかなという内容も含まれているので、有料記事にしてます。有料記事の売上は全額メンタルヘルスや心理学関係の情報発信のための費用として使わせていただきます。

もう少し踏み込んだあおきの私見も書いてます。時間の使い方と精神疾患の話、人生の壁と結婚や子育ての話、嫌な事柄から目を背けるために仕事に没頭する話です。よかったら読んでみてください~。


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