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文章でモテようとした小6の僕

僕は文章を書くのが好き。

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小6の時、やたらと日記の宿題が出た。

担任の石田先生は教育実習を終えて着任したばかりの24歳。
今でいう、「たぬき顔」で、ちょっと素朴で、落ち着いた雰囲気を持っていた。

当時の僕は、女性といえばクラスの女子と母親くらいしか知らず、どっちもギャーギャーしていたので、落ち着きがあって、しかもかわいい石田先生に惚れてしまった。

どうにか振り向いてほしい。
むろん、12歳の僕が一回り上の先生と付き合えるなど思いもしない。
そこは子どもなりにわかっていた。

しかし、どうにかして構ってほしい。他の児童とは違った、「青木」を特別扱いしてほしい。そう思っていた。

そこで色々先生を調査してみた。
他の先生に趣味とか出身とか聞いた。読書が趣味らしかった。文学部出身で中学の国語の教員免許も持っているらしかった。

確かに、石田先生はよく日記の宿題を出す。納得だ。

そこで僕はどうにか面白い文章を書いて先生に振り向いてもらおうと企んだ。面白い文章を書くためには、読書が必要だと思い、語彙力向上のために、ドラえもんの漫画を買った。文学?無理である。

今まで、「今日はサッカーをした。楽しかった。」で終わらせていた日記を、原稿用紙2枚分の400文字に及ぶ大作を作って出すようになった。

この見違える改心ぶりに先生は若干引いていたものの、「最近、青木はよく書くねえ」と褒めてくれるようになった。頭を撫でてくれた。思春期に突入していた僕はなんだかソワソワした。先生にしてみたら、犬を撫でるようなものだっただろうが、エロいことで頭がいっぱいの小6の僕にとってはそれどころではない。

その日は頭を洗わなかった。

その後、日記に全力を出し続け、恋に明け暮れた僕の他教科の成績はどんどん落ちていった。今思えば、公立小学校のテストだから大丈夫だったが親は心配していた。何があったのだと。僕は「今は恋に忙しい」などとは言えるわけもなく、「最近、野球で疲れちゃって」と週末の野球を理由にまた日記に力を入れた。

卒業が近づく頃には、いろんな本を読むようになり、文章を書くのも楽しくなっていた。ドラえもんは卒業した。

肝心の恋はというと、いまだに「頭ポンポン」を超えることはなく、若干停滞していた。小6で、エロいことが大好きな僕は先生とイチャイチャしたいなあと考えては股間を膨らませ、ひたすら文章でアプローチした。

放課後は用もないのに教室に居残り先生とおしゃべりした。
本当は他の仕事もあるだろうに、先生は構ってくれた。教員の仕事の大変さを知るのはそれから8年後になるのだが、本当に申し訳ないことをしたのと同時に、その、3回くらいの放課後(120%個人的)イチャイチャは小学校6年間の強い思い出として残っている。

そんなこんなで卒業して11年経つ。

大好きだった石田先生は、僕が大嫌いだった山岡先生と結婚し今では4児の母になった。

恋破れた僕は今日もひねくれた文章を書いている。



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