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三田と三田(みたとさんだ)

あらすじ

 三田太一(みたたいち)の大学生活は5年目を迎えていた。留年と休学でモラトリアムを延長していた。奨学金という名の借金は膨らみ続け、いい加減卒業しようとゼミの教授、三田哲雄(さんだてつお)の研究室に卒論のアドバイスをもらいに行く。しかし哲雄は一向に教えず無駄話ばかり。腹が立つ一方、時々的を得たことを言う哲雄に徐々に心を開いていく。何も解決しないけどちょっとだけ何かが解決するモラトリアム小説。

登場人物

①三田太一(みたたいち)
大学3年 / 23歳 / 日焼け / 三田ゼミ / 趣味:筋トレ / 旧姓:青柳

②三田哲雄(さんだてつお)
53歳 / 教授 / ひげ / 趣味:飲み歩き / 既婚



第1章:研究室404


「ところで、君はいつになったら、卒業するつもりなんだい」

 三田哲雄(さんだてつお)は自分の研究室でPCをいじっている僕、三田太一(みたたいち)にため息混じりに問うた。

「んー、それは先生次第です」
 一瞬哲雄の方を見て、僕は即答して全く進んでいないWordの画面を見せた。「次、どうしたらいいですか?」と聞くと「そこの地図印刷してこい」とだけ教えてくれた。僕は「了解です!」と敬礼をしておどけた。

「全く、、、君の卒論だろうに」
言葉とは裏腹に哲雄はガハガハ爆笑していた。「そこまで開き直れるのも才能だな」と付け加えて。

 哲雄はもみあげからもみあげまで繋がったモサモサの白髭を確認するように触りながら僕の方を見て「そういえば」と切り出した。

 「君と俺は苗字が一緒じゃないか」

 「読み方は違いますけどね」

 「まあ、そうだけどさ、三田、なんてあんまりいないから一部で親子説が出てるんだよ。知ってた?」

 「まあ、最初はゼミの奴らに聞かれましたけど。てか、親子じゃなくて孫じゃないすか」

 「それはあれだ、俺が若見えするからさ」

 「そりゃ、ないですね。リップサービスっすよ」

 哲雄は再びガハガハ笑い、髭を触った。これは本人には内緒だが、哲雄は「三田」という名前と白髭にちなんで「サンタさん」と学生に呼ばれている。彼の授業で単位が取れなかった学生は決まって、「今年はサンタさん来なかったわー」と嘆く。ちなみに僕のところには2度来なかった。ちくしょう。

 研究室に通い始めて3ヶ月、夏休みに突入したにもかかわらず、僕は哲雄の元に通っていた。夏休みに下宿先から電車で1時間かけて行くのは不本意であるが、自力では卒業できる見込みがないので炎天下と極寒を出入りして大学に向かっていた。哲雄の研究室は広大なキャンパスの隅にあって(哲雄が追いやられているのではなく単に学科の研究棟がそこにあるだけである)、そこは4号館で、4階にあった。

 1時間以上の電車と徒歩でクタクタになっていた僕は『節電のため階段を使いましょう!』という呼びかけを華麗にスルーしてエレベーターに乗り込んだ。隅にあるだけあって、この研究棟はボロくて、エレベータは点検こそされているものの(認証ステッカーがある)、音はでかいし、揺れるし、時々「止まるんじゃ、、」というほどだった。エレベーターの「4階です」のアナウンスの一瞬の間の後に、ズンっと着地の振動らしきものがこのエレベーターの名物である。

 エレベーターを出ると古い紙の匂いが漂う。廊下をサンダルでペタペタ歩いていると途中で何人か白衣を着た学生、おそらく院生とすれ違い反射的にぺこりとお辞儀をして去った。四階の角、非常階段の扉隣にある『404 三田』と印字されたプレートがついた部屋の前についた。ドア横にはスイッチ式の標識があって『在室』になっていた。

 ノックをする。返事がない。

 再びノックをする。返事がない。

 死んでるんじゃ。次返事がなかったら事務室に報告しに行こう。

 と、その時「はーーーーい」と寝ぼけたような哲雄の声が返ってきた。

 「三田です。今大丈夫でしょうか」
 「どうぞー」

 研究室に入ると哲雄がソファで寝転んでいた。昼寝をしていたのだろう。生きていてよかったなんて馬鹿げたことを思いながら入った。
 研究室は8帖ほどの広さで、入って左手に洗面台、部屋の両サイドに本棚、真ん中にテーブルとソファ、窓際に教授用のデスクがドアの方を向いて置かれている。そのどれもが年季が入っていて、古い紙の匂いと哲雄のタバコの匂い(こっそり吸っているダメなのに)が混ざっていて、絶妙な「高尚感」が醸し出されている。

 僕はソファに座る前に「これが現在の状況です」と卒論のレポートを渡した。正直全然進んでいない。やる気がないのだから仕方がないのだけども。と言うか哲雄もそれを知った上で僕の面倒を見ている。いや、見ている、とは言い難い。いつもどうでもいい話ばっかだし、なんなら酒臭い日もしょっちゅうある。哲雄は「まあ、いいんじゃない?」と僕の目を見て返した。普段はメガネだからか、何もつけていない哲雄の目はいつもより小ぶりで、ぱっと見では別人にさえ思える。

 哲雄は「よっこいしょ」と重い腰をあげ、自分のデスクに戻った。「昼ごはんの後は眠くなるね」と僕に言ったのか独り言かわからない声でつぶやいた。

 「卒論、三田の好きなことをやってもいいのにねえ」
 「それがないから足繁く通っています」
 「まあそういう学生いるけどさ、それなりに。でも三田はそれに加えてやる気もないだろ」
 「はい」
 「ちょっとは嘘つけよ」
 即答する僕に哲雄は吹き出した。

 「やる気がないのに俺のところ通うのは君が初めてだよ」

 「まあ、そろそろ卒業しようかなって」

 哲雄はまた笑った。大学教授、研究者の給与水準は決して高いとは言えないこの国で、真面目に授業をしない教授は一定数いる。

 とはいえ文句を言われても困るので、オフィスアワーで来た学生にはしっかり教える。このスタンスは効率的だ。

 学生にしたって、全員がやる気マックスなわけがない。「大卒が欲しい」「高校を出てすぐ就職したくない」「遊びたい」そういう学生も一定数いるし、僕もそっち側だ。

 哲雄も言うように、僕はマジでやる気がない。「なんでここに入ったの?」と同じゼミの福田さんに何度も聞かれた。

 哲雄は割といいやつだと思う。教授に「やつ」は不適切だろうが、まあ、いい人なのだ。やる気がないのが見え見え、そんなやつがいくら自分の部屋に来ても嫌な顔ひとつせずに招き入れる。アドバイスをちゃちゃっとしてすぐに追い出せばいいものを、むしろ早く帰りた僕の妨害をするかのように雑談を始める。アドバイスはろくにしない。謎なやつだ。

 やる気がない、こればっかりはどうしようもない。
 だって滑り止めなのだ。入れそうなところをノールックで受験したらこここに来てしまったのだ。いや、責任はある。そう思うが、同時に「やっちまった」感もある。

 哲雄はゼミ授業の資料を見ながら「先週の発表はやっちまったなあ」と僕の方を見てニヤついた。先週の発表で僕は教室が凍りつくような滑り倒した発表をした。

 哲雄は時計を見るなり、「そろそろ帰るかなあ」とつぶやいた。「いつもより早いですね」と言いながら哲雄の言葉に合わせてPCの電源を切った。

 「今日は学生通りの学習屋が飲み放題安いんだよ」

 学生通りとは我が校から最寄駅への道中にある商店街で、学生街であることからそう呼ばれている。学習屋というのはその一角にある居酒屋だ。学習と酒、この組み合わせはどうかと店主のネーミングセンスを疑うが、ここに行く時事情を知らない人に言えば「真面目なんだね」とか言われるから、まあ、恩恵もある。その点はセンスあると思っている。

 哲雄は太一に「一緒に行くか?」と誘われたので「奢りですか?」と聞き返したらそうだと言うので行くことにした。

 4号館を出た。外は涼しくなっていた。ひんやりとした風が心地よい。エアコンとは違った自然の冷たさはやはり生物的に、遺伝子レベルで心地よさを感じるようになっているのだろう。

 哲雄と雑談しながらキャンパスを歩いているとカップルとすれ違った。哲雄は「三田はいねえのか」とニヤニヤしながら聞くので「いないっす」とぶっきらぼうに答えた。哲雄はガハハと笑って「俺はいるよ」と言った。既婚者だからな。

 学校を出て、右に200mほど歩くと商店街に着く。学生がたくさん住んでいるので学生街のようになっており、学割がきく店が多くあって、懐が寒い貧乏学生にはありがたい存在となっていた。

 「学習屋」と、そこらへんで拾ってきたような板に筆でデカデカと書かれた看板の下の引き戸を開ける。ガラガラガラガラと音を立てて入るとバイトの学生らしきスタッフが元気よく「いらっしゃい!」と挨拶した。この店では客を学生扱いする設定なので「ませ」はつかない。フランクでまるで貧乏学生にでもなったかのような気分になれるのもあって意外と中年層から支持がある。哲雄もここにくると少し上機嫌になって、以前きた時は泥酔して「かねないよー貧乏学生にお恵みをー」なんて言っていたからよほど気に入っている店なのだろう。


・・・・・・


 





第2章:三田太一


 23になった。現役で入った大学生活は5年目に突入した。

 三田太一(みたたいち)は4畳半のアパートで大学から来たガイダンス資料をゴミ箱に投げ捨てた。

 思えば初めから違和感があったのだ。

 滑り止めで入った学部は自分の興味に1mmもかすっていないところだった。理系で、全国的には珍しい分野を扱う学部なこともあり、集まる学生は意識が高く、なんとなく浮いていた。

 その珍しさが相まって、逆に倍率、偏差値は低く、太一のような滑り止めでも簡単に入れるのだった。それほどマニアックな学部で素人が気軽に足を踏み入れていいような場所ではなかったのだ。

 しかし、とりあえず「大卒」が欲しかったので、たいして考えもせずに入った。そもそも大学なんてぼけっとしてたら卒業できるだろうと思っていたし、周りの大人は口を揃えて「大学は人生の夏休み」なんて言うもんだから、どこも同じだと思っていた。

 それが間違いだった。

 思い描いていた大学生活はなかった。

 突如与えられた「自由」

 履修登録でパニックになり、サークルのキラキラ女子に圧倒され、毎日の間に電車でボロボロになった。

 ちなみに、「大学生になったら自動的に彼女ができる」は幻想だった。

・・・・・・

 大学1年目は割と頑張った。

 必修科目が多く、朝から晩まで週5日通った。高校生活とほぼ変わらず、変わったのは1コマ90分になっただけだった。

 大学1年目を終えた時点で単位は上限マックス取った。ガイダンスで隣に座っていた友達第一号の関口くんがめちゃくちゃできるやつだったので、1年目の成績はほぼ彼の実績と言っても過言ではない。

 問題は2年目だった。大学の春休みは2ヶ月以上あって、これが「人生の夏休み」と言われる要因の1つだろう。

 長い長い春休みで学生のモラトリアムは加速する。それが良い方向に進めばいいのだが、太一はそうではなかった。

 興味が全くない学問を毎日朝から晩まで受けるのは拷問に等しく、1年はなんとか耐えられたが今後難しくなるであろう授業についていける自信がなかった。

 春休みで僕は「このまま大学にいる意味あるのか」と思うようになり、いわゆる自分探しの迷子になった。

 春休み明けのガイダンスに出席し、今年も膨大な実験や授業に加えて3年次にゼミに配属されるからそのための課題も出ることを知らされた。3年になればそれに加えて卒論、そして就活と一気に「大人」なってしまう。

 僕は加速する「大人になること」に対して焦りや恐怖を感じ、より一層「このままでいいのか」と思うようになった。

 




 きっかけは金だった。休学と留年をそれぞれしていた太一の大学生活は5年目に入った。学費はかさみ、奨学金の返済も大変なことになりそう、しかも大学には在籍期限というものがあり、まあそれはまだ大丈夫だが、とにかく「卒業しないとな」と思い始めたのだった。

第3章:三田と三田


4年になって卒論の目処が立った、確か、9月ごろだった。

いつものように哲雄の部屋に入り浸っていると(この頃は昼寝もするようになっていた)哲雄が「今週末空いてる?」とふと思い出したように聞いてきた。

「空いてますけど、何か手伝いですか?」

「いやいや、三田の卒論はいい感じだからいっぱいどうだ」
クイッと呑む仕草をしてニヤッとした。

聞いた瞬間、過去に哲雄に呼び出されて介抱した記憶が蘇り「お断りします」と即答しようとした。ただ、何やらただのお祝い会ではなさそうな、軽快さの中に若干の神妙な口調を含ませていた感じがしたので、一瞬、時間にすると1秒ほどだが考え気づいたら

「いいですよ。何時にどこです?」

と返事をしていた。哲雄は珍しく、僕にもわかるほど大きなホッとしたリアクションを見せた。僕はこのあと聞かされる事実など知る由もなく、ただ、「何かあるのかな」くらいにしか思っていなかった。

・・・・・・

哲雄に指定されたのは、とあるマジックバーだった。

 大学の最寄り駅から電車で30分、そこから歩いて10分、大通りから3本入った、入り組んだ路地裏にあった雑居ビルだった。1人では気づけないし、絶対来ないエリアだった。
 いかついお兄さんたちのガールズバーやパブの勧誘を足早にスルーして逃げ込みようにエレベーターに乗った。やたら大きいゴウンゴウンとした音に一抹の不安を覚えたが、本体とは不釣り合いな比較的新しいモニターや大手セキュリティ会社のステッカーを見て少し安心した。
 6階建てなのに4階までしか運転していないという奇妙な雑居ビルの3階で降りると左手前に指定された店のドアがあった。

 店に入るとすでに哲雄は店主と思しき男性と軽快なトークを繰り広げており、僕が入るのを躊躇っているのに気がつくと、「おー、こっちこっち」と手招きした。

 手招きされるままに僕は哲雄の左隣に座った。
 哲雄の目の前の灰皿には大量の吸い殻と、酒があった(酒についてはよくわからない)。そしてずいぶん酔っていた。

 「何時に来たんです?」

 「うーーん、何時だっけ?ははは」
と店主に振ったら「3時間前なので、8時くらいですね」と僕の方を向いてニコッと教えてくれた。




哲雄は先日人間ドックに行ったらしい。
ここ数ヶ月体調が優れなかったので、普段は渋るところが今回は積極的だった。(と別の教授から聞いた)

「肝臓ガンなのにまだ飲み続けるんですか」

「ガンよりも酒が飲めない方がしんどい」

「肝臓ガンって言われた時怖くなかったんですか」

「全く?むしろ不調の原因がわかってよかったよ」

普段から浴びるように飲んでるからそりゃ飲み過ぎが原因だろう、と心の中で僕はツッコミを入れた。

「でも死ぬんですよね?病気も余命も宣告されたのにつらくないんです?」

ふーっとため息をついて哲雄は言った。

「病名ってのはな、アイデンティティなんだよ」

「え?」

「"原因不明謎の体調不良"より"肝臓ガン"って名前がある方が安心するだろ。しかもおれは肝臓ガンです!ってラベルが増えてより"おれ"は強固な存在となった」
ガハハハと笑いながら三田は言った。笑いすぎて顔がぐしゃぐしゃになった。後半は意味不明だったが、よほど嬉しいのだろうか。

「はぁ」
(何言ってんだ)

「名前があるから安心して酒が飲める」
急に、今度はニヤッと澄ました笑いにチェンジして言った。

それは違うだろうとこれまた喉元まで出てきたが抑え込んだ。色々飛躍しすぎている気がするが、まあ、そういう生き物なのだろう。ただ、アイデンティティについてはほんの少し、ほんの少しだけわかった気がした。

アイデンティティが増えることは安心感にもなる。三田のアレはどうかと思うが、少なくとも僕はまだ"大学3年"というありふれたアイデンティティしかない。

自分とは何か。自分がこの世に存在していることの証明はできるか。世間での共通認識でのラベリングによるもの、「大学3年生」「肝臓がん」「教授」など他者からの認識のされ方と、自分の内面で完結するものがある。「2000年に生まれた」「にんじんが嫌い」「女の子が好き」などだ。

就活をしたり、長い大学生活でこういうことをよく考えるようになったがそれはまだ見つかっていなかった。

fin


生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。