付着.42 教育と歴史と汚いオッサンの話。あ、難しいことじゃないよ。チョンマゲ探しだよ。
今回は「れ」だ。
学生時代に勉強しそびれたことが沢山ある。せっかく時間も環境もあったのに。興味を持たなかった自分がいけないのだが、教育する側の観点からみても改革は必要だと思う。
今日のテーマは「歴史」である。
歴史の印象といえば、年号、同じような名前の人々、戦い。それら全ての暗記だ。「暗記」これが諸悪の根源と言っても過言ではないだろう。
そもそも、歴史の勉強がなぜ大切かを考えれば暗記をメインに置くことよりも、人間の辿ってきた足跡や教訓、世界の動きとそれを俯瞰で見つめる目を養うことだと考える。
どういった経緯で今、自分達が生きているのか。その上でどのように生きていくのか。これを考察することが歴史の勉強なのではなかろうか。
授業名は「社会」という大枠の中の歴史という分野だったが、社会=暗記。その概念が確実に歴史から興味を奪っていたと思う。年号なんて曖昧でもいいのだ。人物もそう。それより先に歴史という物語に興味を抱かせることが大切であり、下手すると「社会」ではなく「国語」や「道徳」などの授業で扱ってもいいくらいである。
例えば国語の授業。1つの物語として一時代を朗読していけば、いきなり年号や名前ありきで考えることはなくなるだろうし、物語が楽しければ勝手に名前も年号も覚えるのだ。
小説で主人公の名前を最後まで覚えられなかったら物語は読めないだろう。
毎回これはー誰だっけ?などと考えていたら進めない。つまり、大切なのは物語の方であり、名前や数字は物語を把握する為の標識みたいなものだ。
順番を間違えているから、興味が持てなくなることは沢山存在する。そして、歴史に興味を持てないということはとても悲しいことだ。テストの出し方も、戦いや改革の年号。人物名をメインで出題するのではなく、その事柄からどう世界が変わったのか、人々が何を思い行動を起こしたのか。それを問うたらどうだろう。(昔の教育の話なので、現在はそうなっているのかもしれないが。)
少なくとも興味を抱く少年は増えるのではないか。前にも書いたかもしれないが、主要5科目の合計点が2桁だった俺だ。そして、30~40点は国語が占めていた。
物語として捉えれば、歴史も小説も変わらない。歴史を物語として楽しめるようになったら、今度は「道徳」として物語から得た教訓や目を背けてはならない人間の本質、現在を生きる一人としての自分を学べばいいのだ。
この歳になって思う。歴史を知らないのは、自分を知らないのと同じではないのかと。地に足がついてないのではないのかと。とか言いつつ、単純に面白い物語を見逃していたんだなぁ。とも思う。
今更、歴史を1から学んで立ち振舞いを変えて、立派に人生を歩もうなどと言えるほど俺は大人ではないし、人間できてはいない。
酒も煙草も女の子も好きな、よくいる汚いオッサンだ。音楽と読書も嗜むくらいで、秀でたものは何も持っていない。
それでも、歴史。勉強しとけばよかったなぁ。という想いは持っている。
家の本棚はそれなりに充実している方だと思うが、歴史に関する本はない。歴史に近いものと言えば世界遺産や西洋美術、偉人や作家の言葉や物語の本が少しと、相模原の事件に関する本だろう。
この春から何か始めたいとは思っていたし、先日までは素敵な恋しよーぜなんて言ってたが、まだまだ不自由な暮らしが続くのだ。1度くらい歴史について深く学んでもいいのではないかと思う。
格好つける気はない。違うジャンルの本が本棚に増えるのも楽しいじゃないか。そのくらいの気持ちで、歴史の本を買いにいきたい。
明日をいい日にするのは、こんな好奇心から始まるのかもしれないね。
歴史は暗記。歴史は暗い。イメージはいつだって、自分自身で変えられるはずだ。
俺は今、どうやったらチョンマゲが作れるのかを知りたいんだ。
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