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タイピング日記を書いて(タイピングして)いて感じたこと。について、いまのぼくが感じたこと。



人の文章、先達の作家の文章を模写している。単純に、作家の息づかいを感じる。


なるほど、この作家は、こういうところで、間を置いてモノを考えている(いた?)のかもしれない。と感じた。

きっと、そういう呼吸で、ミステリー(犯人像、社会背景など)を見つめ、自分がこさえた謎に沈んでいき、迷い、出てくるんだな。と感じる。

それに、いろんな文体を読むのって、単純に、楽しい。「ああ、この作家さん、こういう先達の作品に影響されたんだな」としみじみ思う。「いっちょ読んでみるかな。」なんて唸ったりもする。その作家当人の作品もまだ、読んでもないのに。笑。そういうところってありますよね。みなさんの好きな村上春樹さんが「レイモンド・チャンドラー」が大好きで、読んでみたら名探偵「フィリップ・マーロウ」にハマっちゃいました。みたいにね。


さらに、つくづく感じいったのは、ミステリーの作り方、アプローチの仕方、さらに言えば物語の作り方、作家の生き方なんてものにも、正解がないんだ。正解がないのが人生なんだ。笑。
そうそう、そうなんだ。自分の作品でいいんだ。大作家から「勇気をもって書け、それでいいんだ」なんて言われないと、いまだだれからも認められていない、いまの自分は、なかなか自信がつかないものね。


はるか昔のお坊さんが、さらに昔の聖人が書いた経典を写経したり、手塚治虫が虫を、パブロピカソや川端康成が風景や人物を模写したように、スケッチはやっぱり大切なんだな。思ったのである。

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