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銭湯に浸かりたい。20230126thu210

716文字・15min

ゆっくりと銭湯に浸かりたい。
マンガの原案を書き始めた頃(いっても2週間まえ)は、肩の力が入りすぎてゴリゴリに説明していた。
文字数も制限の1話8000文字いっぱい使って書いた。
が、ここ数話、慣れてくると、脚本の巧者であれば原案・筋立てを書くのに1話2000文字あれば足りる気がする。
小説もおなじで、ぎっちぎちに文字で詰めない方が行間(解釈の幅)は生まれるし、書いている自分で、物語の伸び代を発見することもある。
ぜんぶ「そこで」説明しようとすると書き手が息苦しくなって、キャラが自由に動きまわる伸び代が狭まる気がする。
キャラが本来自由に動きまわる可能性(可動域)を、神の手である筆者が傲慢な説明のために奪っている。自家撞着に陥るわけだ。

もう一つ。
アイデアは緊張からは生まれない。
アイデアは緊張から離れた瞬間に浮かびあがる。
いくら机に座って緊張しつづけてもアイデアは浮かばない。
だれかとおしゃべりをしたり、友人から薦められた音楽を聞いてみたり、見知らぬ外国のニュースを見たり、ふと昔(の甘いか苦いかは置いておき)を思いだしたり、夢(悪夢かも置いておき)を見たり、銭湯に浸かったり、妄想に耽ったりして、進行中の壁(懸案)とぶつかって化学反応が起こったときが机に向かうときだ。


だから、銭湯に行きたいのである。
国道に出て、北に行けばホテルの外湯、南に下れば農協が経営する憩いの湯だ。両方ともワンコインである。
明日、早めに起きて、国道にでてみて、路面が凍ってなければ行こうと思うのである。
好きな噺家で桂枝雀(二代目)がいる。
座右の銘は「笑いは緩急」だそうだ。
アイデアのひりだしかたにも、真面目一徹(一直線)ではなく、緩急が必要なのだ。
ガッハッハ。

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