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短編『虎ノ門病院にて』(10枚)

 25年も前の事になる。

 当時、僕は19歳。

 僕が上京して(当時は横浜だけれど)初めてのバイトは『ナースエイド』と言うアルバイトをやった。

 ナースエイドとは看護助手で看護婦の免許がなくても出来る仕事(食器の後片づけ、尿の検査とトイレの掃除、尿瓶の回収、点滴や麻薬の運搬、患者さんの検査の付き添いなど、薬の補充)を病院の看護婦さんは患者の心のケア、事務、雑務、食事の運搬、手術の補佐などをする。僕はとにかく色々やった。

 ある日ナースステーションにて。

「あーやだやだ、あのオヤジお尻触るのよー」

「1106の佐々木さんでしょ。あれ、絶対ボケてないわよ。ボケてる振りしてるのよ。私も触られたもの。お尻触る時だけ眼が真剣だもん。」

「やっぱり、そうよねー。私行くのやだ。これから佐々木さんの部屋行く時ジャンケンで決めようよ。私エロオヤジの所、行きたくないもん」

「賛成―!  」 …ベルの音  …ピピ …ピピピ …ピピピ…

「あっ佐々木さんだ。1106号室だもの」

 ジャンケンを始める看護婦たち。あー。白衣の天使か……   これが… 

 場所は虎ノ門病院11諧呼吸器内科(虎ノ門病院は凄い大きな病院。確か、地下7階~ 14階まであって地下4階に補給科というのがあって、僕がよくそこに患者さんたちの1日分の点滴や医者の注文によってモルヒネや麻薬を取りにいく場所がある。1階は外来やX線やCTスキャン、内視鏡検査が出来る階。因みに僕の働いていた11階は呼吸器内科で入院している患者さんのほとんどは胃癌(それも末期の患者が多かった)場所柄もあって霞ヶ関の近くで政治家や国の重要人たちが良く来た僕の時には女優、山田五十鈴が個室で入院していた)

「蒼ヰ君、1004の片岡さんX線検査お願いね、場所分かるよね」

「はい」

 おばあちゃんの患者さんだった。耳元で大きな声で喋らないとまず聞いてもらえない。耳が遠いのだ。余り反応してくれない。と言うより、伝えたいことを『伝えたい』と頑張っているのだけれど身体がどうしても動かないらしい。口は何時も半開き状態。

 僕はどうして言いか分からなかった。話しかけることも出来ず。ただ黙って車椅子を押して行く。X線検査室までやっと辿り着いたとき。何か、片岡さんが僕に伝えてきた。言葉ではなく何かで。僕はただ観ていた。片岡さんが身体をとても強張らせて、僕に何かを訴えかけてきたのだ。殆ど喋れない片岡さんは身体を使うしか術がない。僕の腕をギュッと掴む。結構力強い。

「どうしたの?」

(ウ…  ウウ……   ウ……  ウウ…   ウ~…   )

「えっ何?  」

「どうしたの?」

 片岡さんの目から涙が零れていた。僕は焦った。

「もう着いたよ。怖いの?大丈夫だよ。もう、ちゃんと着いたよ」

 違うらしい。僕は焦る。片岡さんはさらにギュッと力強く僕の腕を握り締める。片岡さんの言葉は、僕の腕を掴むという行為だけだった。

「痛いよ片岡さん」

「ん?」

「片岡さん、もしかしてトイレ?   」

 片岡さんは僕に伝えたい力をスッと抜く。

 そうだったのだ。片岡さんはただ、トイレに行きたかっただけだったのだ。

「ちょっと待っててね。」

 僕は懸命にトイレを探した。走った。走ってはいけない廊下を走った。

 ない。

 トイレが見つからない。普通に歩いていると自然に眼に入ってくるトイレのマークが見つからない。

「 …あった!!!   」

 すごく近い所にあった。僕はすぐ片岡さんの所に戻り、トイレの前まで連れて来た。いや、車椅子を押してきた。勿論、女性用トイレ。

 僕は男性だ。がそんなの気なんてしてられない。僕が補助してあげないと片岡さんは何も出来ない。僕は片岡さんの履いているパジャマを脱がし、無造作に便器に車椅子から移動させるために片岡さんの身体を掴んだ所、ビクッと片岡さんは震えた。

「えっ?」

 片岡さんはとても痛がっていた。僕はもう一度わき腹を触る。片岡さんの脇からは10本近くの管が刺さっていた。片岡さんは涙ぐんでいる。

「ゴメンネ片岡さん。」

 僕はどうにか管を避けて便器に座らせ、背を向けて終わるのをジッと待つ。背を向けているけど、チラッと見る。チラッと。片岡さんは喋らないから、終わったかどうか分からないのだ。だから背を向けながらチラッと見る。終わったのを確認し、僕は拭いてあげる。下の毛はおばあちゃんだから真っ白だった。(ゴメンネ片岡さん。)片岡さんは涙ぐんでいた。

「ゴメンネ片岡さん」

 片岡さんにパジャマを着せて何事も無かったようにX線検査室の前にもう一度立つ。

「11諧の片岡さんです。よろしくお願いします。」

 僕は検査室の前のベンチで検査が終わるのを待つ。ジッと座って待っていた。(片岡さん痛かったかな…   涙ぐんでいたな…   アレで良かったのかな?)

「ゴメンネ片岡さん」

 僕は片岡さんを押して11階に戻ってきた。

「あっ蒼ヰ君。今度平山さんCTスキャンね。場所は…    」

「わかります」

「サンキュー」

 今度は平山さん。おじいちゃんだ。精悍な顔つきをしていていた。なにか少しカッコいい。だけど凄く顔が浅黒い。というより青っぽいのだ。

 今度の平山さんとても明るくお喋り好き。僕は少しホッとして。しかし、さっきの片岡さんの事も引きずりながら少しうつむいていた。エレベーターの中で、とても大きな声で、

「おっどうした?    元気ないぞう。若いのに元気出せ!   ほれっ!!!    」

「はい。元気いいですね。平山さん」

「元気良くないよ。僕、もう末期だよ。胃癌の末期。もう駄目なんだよ、僕。」(そんな事言わないでよ、それも大きな声で…   )平山さんはいまの防衛大学の教官だったらしい。とても得意げに、自分の経歴を話してくれる。戦争の経験だとか。昔、良く仲間と同じ釜の飯を食った。あの時代が懐かしい。だとか。とても饒舌に話してくれた。でも会話の合間、合間に、

「僕には先がないから楽しくやらないと」

 平山さんは笑顔だった。

「あと3ヶ月持たない、覚悟しておいて下さいって言われちゃった。そんな覚悟なんて出来ないよねー蒼ヰ君。はっはっはっは」

 話せば話すほど僕がつらくなる。ここはエレベーターのなかだし恥ずかしいし、辛くなる。

  …一週間後。

「あっ蒼ヰ君。これ、補給科に戻してきて。麻薬だから気をつけてね」

 それは『塩酸モルヒネ』だった。激しい痛みや激痛を少しでも緩和させる『麻薬』というお薬。

「どおして、戻すのですか?」

「退院したのよ、その人」

「行ってきます。」

 僕はチラッと薬袋を見てみる。

『死亡退院の為返却』と書いてある、名前は『平山孝雄』。


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