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人の記事みて我がふりなおせ


2022新年、元日の記事である。

朝一から、九年選手のパソコンが、十回か十一回ほど固まった。

かきかけの記事もネットにのこっておらず、最初からかき直しである。

七回とか八回なら、記事のネタにもシャレにもなるのだが。

寿命か。

寿命でもなんでも、いまはパソコンを買い換える金などない。

去年の秋、パソコンが壊れた際に使用できる(といってもクレジットカードでの借金の額面の話だが)予備費が、災難に遭った。

FXの詐欺であった。被害額24万円也(ちょうどノートバソコン一台分。笑)。

本題はそんなことではない。

タイトルどおり、人の記事みて我がふりなおせ。である。

上記の「鮎の骨」のほぐしかたの、ふじこさんの新年の挨拶の記事を読んで思うところがあった。

ただの淡々とした普通の挨拶である。問題はそこ。普通の淡々としたことをやる。

今年からプロの作家の弟子になった。

こんなIT技術ひしめく令和の時代に、大時代的な「徒弟制度」そのシステムのなかにずっぽりとじぶんを入れて文筆の修行する。そんなこと時代錯誤だぜ、親分。などと思われるかもしれないが。

当人のぼくは真剣なのである。

ぼくも大時代な書き手なのだ。若い子の文章はかけない。

割りきって、九州から東京にでてかばん持ちから始める。

「別府の温泉歌手になりたいためにかいているのか」

と師匠にいわれ、借金をさらに膨らませる覚悟で東京にでることにした。

師匠のことばを簡単にいえばこうだ。

別府に温泉歌手がいるとする。その歌手はコロムビアレコードに所属をしてレコードもCDもだしている。別府を歩けば有名人だから声はかけられる。舞台に立てばお捻りも貰う。コンサートが終わればじぶんのCDを売ってその日の売りあげが日銭になる。だが、全国の知名度はない。

が、歌はうまい。

別府の歌姫はまぎれもなく、中央テレビで歌う歌手と遜色のないほど、歌は上手なのである。

プライドなのか。別府のお山の大将で満足するのか、地元愛か。それは別府の歌姫の生きかただ。

「別府と東京の違いはなにかわかるか? 」

といわれぼくは考えこみ黙ってしまう。

「簡単なことだ、東京は人が多い。チャンスが多い。居酒屋で裏の席に文藝春秋の編集者が飲んでるなんてこと、別府にあるか? 」

「ないです」

「東京は、あるんだよ。普通に」

ぼくは別府の歌姫で人生を終わらせたくはなかった。

これは本題ではない。ふじこさんの記事を読んで新年におもった今回のマクラである。

ふじこさんのただの淡々とした普通の挨拶の記事である。

問題はそこ。普通の淡々としたことをやる。

ぼくは一度、ドロップアウトしている。

大学時代は劇団を旗揚げして失敗した(noteに載せたぼくの小説にやたら舞台がでてくるのはそういうことですね)。

劇団の同期は矢内原美邦、岸田戯曲賞。本谷有希子が芥川賞。ほかの続けている同期の劇団もベテランの域だ。大学教授クラスからそれ相応の地位がある。

ふじこさんの記事の積みあげをよみぼくは、一歩一歩、淡々と積みあげている日常、それが恐ろしく怖かった。

(ああ、いずれ、でるな)感が。


ココで記事は終わるはずだった。のだが、

やはり、終わりにする。

ぼくの右手が「それはかくな」ととまった。

どうもぼくの企業秘密のようである。


おっと、ぼくの左手が「いまの元日の勢いのうちにかいておけ」と。


さて、Kくんというのがいる。その子は別のところでブログをやっていてたまに覗くのだが。まるでじぶんの数年前のように思うのである。

彼はブログでじぶんの意見ばかりをかいている。

たとえば、最近の時勢や事件やじぶんの応援するアーティストの傲慢さや炎上事件についてを、一所懸命にかいている。

ぼくはKくんのようなことはやらなかった。が、ぼくも、Kくんとほとんど同じだったのである。

つまりぼくも、じぶんの小説のなかで「じぶんの怒り」「ぼくが思った悲しき思い」「ぼく個人の憧憬」などを入れこんだ時期があった。

小説ではこの「じぶん」「ぼく」「私」つまり作者の私情は排除しなければならない。「作文」と「物語」「小説」の違いはそれだ。前にもかいたが「自ら腕を切ってじぶんの血を他人にみせる私小説」だってじぶんの意見を入れてはいけない。物語は主人公のものだ。物語の舞台から書き手のじぶんを引っこめる。書き手は黒子に徹して「主人公を痛めつける」あるいは「壁を克服させる」それが書き手の仕事だ。

ちょいと文芸論になって脱線したが、そういうお粗末なことをぼくは以前やっていたわけだ。

ぼくは重度の躁うつがあって、二度、閉鎖病棟に放りこまれている。一度は北イタリア。二度目は京都。二回とも発狂したあとに通報され、レスキュー隊や警察に補足された。護送入院であった。

イタリアと日本の精神科の閉鎖病棟に入院した経験は、おそらく日本ではぼくだけだ。と主治医はいう。

読者は「それこそ格好のネタじゃないか。それをかけばいいんじゃないか」

と思うかもしれない。確かにネタは一級品だ。もしそれを書きあげれたらば、芥川賞など一撃で落とせるだろう。親の、祖母や祖父の介護がテーマ(モチーフ)で芥川賞を獲っているのが二、三本ある。

だがぼくはそれがかけない。なぜかかけなかった。

師匠は、なぜそのぼくが、じぶんで閉鎖病棟で経験したことが、じぶんの小説にかけないのかを知っていた。

私小説がもし成功するとすれば、

「じぶんと同じ人物をまったく外側から見つめる環境でなければならない」

つまり、太宰治の「人間失格」は太宰治じしんをかいたわけではない。

(上記の映画はちょっと違うけどね。笑。でもノリノリで良いですよね!)

「人間失格の主人公」=「私」の題材になる人物が太宰治の友人のなかにいたりする。「そいつ」を太宰治が見つめ、丸裸にする。それが作家の仕事になる。

ココでぼくがふと思ったのが又吉直樹の「火花」だった。

ぼくの頭の意識のながれがわかった読者も、途中から、

「あ、太宰治がでてきて、私小説のモデル探しをする作家ってもしかしたら…  」

 となったはずである。超のつく太宰治ファンの又吉直樹は、おそらくじぶんの芸人先輩のなかに「モデル」を発見した。(あるいはモデルの集合体かもしれないが)

ぼくの場合でいうならば「閉鎖病棟に入院している間には、ぼくのまるでドッペルゲンガーのようなぼくと同じ患者と出会えなかった」わけだ。

作家になる、資質、資格、運、腕、色々あろうが、粛々と生きて、かく、それしかないのである。

この記事も。オチが、サゲが、ダメである。

(やっぱり、あそこで記事をきりあげた方が絶対によかった。笑)

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