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セラピストの立場について


わたし自身が経験を通して考察した「セラピスト」という立場について、記述したいと思います。

わたしは、家族問題を抱えた環境で幼少期から10代を過ごしてきました。
わたしの母は夫婦・嫁姑関係性の問題に苦悩する状況であっても離婚しない代わりに、
自分の子どもに対して過度の期待と干渉を向けるようになっていきました。

それは「子どものために辛くても頑張る」という、ある種の自己犠牲的・献身的愛情表現、ともいえるものでもありましたが、
高校生のわたしにはこの過干渉によるストレスに耐え切れず、不眠や拒食症的症状を伴う自律神経失調症に苦しむ経験をしました。

大学進学で一人暮らしを始めてから、ようやく自分自身と家族の関係性の問題について整理・把握し、自分の中で消化し対処するために、臨床心理学の各理論や心理療法等を独学で学び始めました。
父母の成育歴やパーソナリティの特性を調べたり、問題の発生や維持要因の各種分析方法、介入方法を学んだりと、
なるべく公平で、複眼的視点から問題を捉えることに努めました。

こうした内省的な作業は、自分や家族の見たくない部分にも直面していく苦痛を伴う過程でもあるため、
時には滞りながら、スローペースでも労力と時間をかけてコツコツと進めていきました。

その後、母は持病の悪化から長期入院に至り、他界いたしました。
母の他界後も、母の人生について、母自身による捉え方(認識の仕方)と、わたしによる捉え方との差異・ギャップについて考察し続けてきました。

わたしの中で一番引っかかり、苦悩した点は、母子関係における「矛盾」でした。
母は「子どもは生きがい」と明言し、確かに母なりの献身的愛情を子どもに注いでくれましたし、
わたしも不快感を覚える場面もありながらも、なるべくその愛情に応える「いい子」であるように努めてはきました。
――しかし、最終的には、わたし(子ども)は、母の人生を肯定させるまでの存在にはなれなかったのです!

母は、最期まで自分の人生について悲観・悲嘆してしてた――それは、病室で、自分には帰る場所がない、居場所がない、という内容の発言を繰り返していました。

わたしは、いったい母に対してどのような言葉をかけて、どのような行動をすれば、母の心は救われて、心の平穏、やすらき、安心・安定感を実感することができたのだろうか?
――そもそも、真に母の心を救うものは、何だったのだろうか。
――絶対的な安心・安定感、自分の存在を無条件に受容してもらえる、自分の存在価値を与えてくれる人・場所だったのか。

――無条件に受容してくれるパートナーの存在がいれば、
または愛情に応えてくれる信頼できる子どもの存在がいれば、
母はどのような状況でも、自分の人生に何か肯定的な意味を見出すことができたのだろうか?

人は自分の内側に孤独や絶望感が強まっていくと、外側に救いとなる何かを求めてしまいます。
しかし、内側で生じた孤独や絶望感は、結局、内側の内発的動力(気づき)によって統合、解消されてくしかないように思います。
重要なカギとなるのは、自分自身が自分の内的世界で生じている葛藤や矛盾に意識を向け、パターン化された反応過程を整理し、受容し、統合していく作業ではないでしょうか。

わたしは家族問題の経験を通じて、最も深く痛感したことは、
非日常な関係性である「セラピスト」第3者的立場の存在の重要性でした。
やはり、重要な関係性の間で心理カウンセリングや心理療法を行うというのは、基本的には無理だと思うのです。
重要な関係性の間では、決して吐露できない感情や想いは誰でもあります。
母も自分の人生において、子どもに対して言えない、言いたくない自己矛盾の内容もあるでしょう。

できるだけ侵襲性が少なく、自己制御や自己正当化の必要のない場で、素直に歪曲せずに表出して、それを受容してもらえること。
自分自身の内的過程を大切に扱い、また同時に、大切に扱われることを体感すること。
わたしは、そうしたセラピストの存在とその過程の場がとても重要だと思っています。
もし母にも、こうした個人の内省的作業に寄り添い、サポートできるセラピストの存在がいたなら――と思うことがあります。

わたしは、母が抱き続けた人生に対する意味づけを自発的に変容させる契機をつくることはできませんでしたが、
これからセラピストの活動を通じて、苦悩を抱える方の内省・内観的作業プロセスの中で、人生に対して主体的に独自の意味・価値を再構成していく場に臨在し、サポートすることができたら、幸いに思います。














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