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客観を見失ったときに気をつけて

主観でのめり込みすぎて、自分に「おいおい」と言いたくなる、フリーライターのaoikaraです。

周りが見えなくなるほどに、と言いたいところだけど、周りに人がいないので迷惑をかけるということはない。一人だけでいる時間が長いからこそ、主観も客観も自分の中にあり、交互に入り交じって自分を見ている。

客観視しようとするのは、周りに人がいないから、そして誰かに何かを言われる前にまずは自覚をしておこう、というブレーキみたいなところもある。ブレーキが強すぎて、結果的に何も思っていない、何もしていないのと同じ、という結果に陥ることも少なくない。

だけど、客観を見失って、主観が強くなってしまっているときがあるなと思う。何かに夢中になるのは素敵なことだけど、時間が溶けるように、私生活にまで侵食してくるのはちょっと待て、となる。

それは“のめり込んでいる”とか“沼”なのではなくて、“依存”なんじゃないかと、自分に言いたくなる。

たぶん依存心は強い。自分に揺るぎないものがないからだ。すぐどこかに寄りかかってしまいそうな自分がいて、寄りかかろうと自分の軸がめちゃくちゃ傾いている感がある。

自分の軸を太く、強くするよりも、寄りかかるほうがラクだからなんだよね。でも、寄りかかるものは勝手にいなくなってしまうことだってあるよ。それが怖いからまた依存するんだよね。でも、客観的に見て怖いとわかっているから、依存しているような気持ちは全力で隠すよね。勝手に自分でつらくなるよね。

それなら自分の芯をぶっとくしようぜ。という自分への呼びかけ。

2023年7月22日(土)

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