aoikara
毎日書きます。スケジュールはハードルを高く。内容はハードルを低く。
「#〇〇」で出されるお題について書いたnoteをまとめます。
毎週月曜日に、1週間分のライターとしての仕事の報告をします。
ライターをしている上で気づいたことをメモ。反省と課題とこれから生かしたいこと、人から学んだこと、成功も失敗も、記録と引き出しに。
안녕하세요、저는 아오이카라 입니다! こんにちは、私はaoikaraです! と、読めるように、少しだけ書けるようにもなった、aoikaraです。最近、1日30分ほど、Duolingoというアプリで韓国語を勉強している。 Duolingoは外国語を学習するための無料アプリで、私はもともと英語を勉強していた。ただ目的は特にない。英語で話せるようになりたいとか、海外の友達が欲しいとか、洋画を字幕や吹き替えではなく観てみたいとか、好きな洋書を原作で読みたいとか、ない。 でも、
美しいものを目にしたとき、「ずっと見ていられるな」という気持ちになる。ときどき、ずっと見ていたくなるものを欲する。ぼうっと、ただただ見ていたい気持ちになる。 川を眺めていた。近づくほど、川の流れる音がして、遠ざかるほど、流れる音も遠くなる。遠くから見ているとはじけるほどきらめいていた水面が、近くで見るとたくさんの波が重なりあって編み目のようになっている。 それぞれの流れがぶつかり合うように重なって、また流れて、同じほうへと流れていく。水面だけでは見えない波が、日差しにさら
映画「落下の解剖学」を観たので感想を書きます。以下、ネタバレあり。 映画「落下の解剖学」あらすじ あぶり出される自分の中の偏見と先入観 物語の始まりから、事が起きるまで、ずっと不穏な空気が流れている。観ているだけなのに、なんとなく居心地が悪い。酒を飲んでいる中年の女性が、自分の自宅で若い女性から話を聞かれているような、聞いているような、つかみどころのない会話をしていて、上の階からとんでもなく大きな音楽が流れてきて、こんなんじゃ話もできないねと若い女性は帰っていく。 音
なかなかアウトプットできていない、aoikaraです。 やるべきことに追われていて、それはそれで幸せなことだなと思いながらも、なかなかアウトプットができていない。インプットもできているのかというと疑問だけれど、仕事でもプライベートでも何かをするとなると結果的にインプットしていることも多い。能動的ではなくなると、受動的にインプットはされるので、能動的になるしかないアウトプットが足りていないという体感。 noteもだし、SNSもすっかり更新しなくなったし、ブログも今は閉めてい
「うねり」という言葉に漢字がないと、今知ったaoikaraです。なんとなく読めないし書けないけど漢字でこうやって書くんだな、みたいな漢字なのだろうと思っていたらそもそも漢字がなかった。 幼い頃から直毛だと思っていたのだけれど、最近になって髪がうねるようになってきた。すとんと落ちるはずの髪の毛が、ふんわり、ゆんわり、うねっている。“ゆんわり”は私の造語。 調べてみると大人になってからくせ毛になる人もいるらしく、加齢で髪が乾燥しやすくなって、水分が足りてなくてうねるというのも
走ってた、aoikaraです。 理由は簡単。電車に間に合わなさそうだから。 歩いたら間に合わないな。早歩きなら行けるか。いや無理そうだな。で、走る。けど走り続ける体力はないから、ときどき歩く。そして、また走る。歩く。繰り返し。 記憶違いで出発時刻を間違っていて、出発2分前にホームに到着した。ギリギリ間に合った。おかげさまで、とても肌寒い日なのに顔を真っ赤にして汗だくで、何かから全速力で逃げてきた人にしか見えない状態で電車に揺られていた。 私は走るのが苦手。理由は体力が
1年半ほど介護していた飼い犬が旅立ってから、しばらく経って、犬がお世話になっていた場所に挨拶をしに行くことになった。犬の年齢を考えると、10年以上もお世話になっていた場所だった。 犬がいなくなったばかりの頃、喪失体験とは人それぞれだと、心理士さんから話を聞いた。犬を失った悲しみでたずねたわけではなく、それとは関係ないことで話をする機会があって、聞いてみた。 心理士さんに会う日はほかにも人に会う予定があって、犬がいなくなって悲しいけれど、その日までには“大丈夫”にならなけれ
舌を噛んだ。昼食を食べているとき。昼食を食べるって、頭痛が痛いみたいに見えて、歌を歌う的な文だな。そんなことはどうでもいい、昼食を食べているときに舌を噛んだ。 「舌を噛んでやる!」なんていう絶望も、衝動性も、ないのにね、今はね。勇気なんていう呼び方はしたくないからね。 たまに舌を噛むことはあったけど、本当に久しぶりで、痛いというより何やっているんだろうと自分のしょうもないうっかりみたいなものに呆れて、ちょっとがっかりして、ティッシュで血を押さえていた。今は血は収まり、昼食
昨日、「書けない」と綴ったnoteのあとに、「書きたい」という気持ちが湧いてきて、言葉が出てくる感覚になり、たくさん言葉を紡いだ。蓋が開いて、あふれ出るほどではないけれど、湧いてくるような感覚はあってうれしかった。 伝えたかった言葉を伝えた。ひとつだけではなくいろんな場所で。伝えようと思ったら言葉が出てくるし、伝わって受け取ってくれる人がいることがありがたかった。 「できない」と思うことはあるけれど、やってみたら「できる」きっかけにはなるかもしれない。簡単に「できる」こと
ぜんぶ夏のせいだ、と言いたくなるくらい暑い。暑いと何もかもの力が奪われる。体力とか、思考力とか。他責になってしまいそうな「環境が悪いから」も、今なら言えそうなくらいに暑い。 久しぶりにnoteを書いた。何度か、書こうと思っていたり、そもそも書くつもりがなかったりした。今日は書こうと思っていた。前に書こうと思っていたときと同じように、何を書けばいいのかわからなくなっていた。 前も、書かなくなると、書けなくなる、ということを書いていたけど、久しぶりにnoteを書こうとするたび
「私はいいけど、aoikaraはどうかな?」なんて言ったことはない、aoikaraです。 会話の中で、「自分はいいけど」と言葉を紡ぐ人がいる。そのたび、私は「YAZAWAはどうかな?」と言葉をつないでいる。脳内で。口には出さない。 これ私の誤用なんだけど。正しくは「俺はいいけど、YAZAWAはなんて言うかな?」だから。矢沢永吉さんの名言、とされる。ソースがないから真偽は不明。真偽が不明なのかも不明。 さらにもって(“皿に盛って”ではない)、私の脳内では「俺はいいけど、Y
なくてもいいけど、あったらうれしい、そんな文章を書いている、aoikaraです。 なくてもいいけど、あったらうれしい、そんなものがたくさんある。私にとっては、たとえばパンとか。最近でいえば、たまに飲むコーヒーだとか。そして人にとって、文章なんてのも同じで。 もちろん、必須にだってなり得る。人間には食事が必要で、パンも食事だし。人間には飲み物が必要で、コーヒーは飲み物だし。人間には言葉が必要で、文章は言葉だし。 でも、代わりがある。パンがなければお菓子を食べればいいじゃな
週に1、2度のコーヒーを楽しんでいる、aoikaraです。 胃腸が強い方ではなく、カフェインが刺激になることもあり、普段はコーヒーを飲んでいない。10年くらい前、インスタントコーヒーにハマって毎日飲んでいたときもあるけど、今は昔。 たまに、数ヶ月に一度とか、カフェなどに行ったときに飲む。飲むと、「うーん、コーヒーだ!」と、アホみたいな感想を抱く。普段コーヒーを飲まないので、くわしい違いなんかはわからない。ただ、味は知っている。昔、感じたことのある感覚を脳が思い出すように、
弱いところだらけな、aoikaraです。 ドラマ鑑賞が趣味で、2024年4月クールもいろんなドラマを観ている。そのひとつが「アンメット」。杉咲花さん演じる脳外科医が主人公。彼女は記憶喪失で、ある時期から新しいことを記憶できず、一日が終わって眠ると、前日までの記憶を忘れてしまう。新しく覚えたことは全て日記に書いていて、早朝に起きて今日までの日記を読み、記憶を保管して、一応は医者として、とはいえ医療業務はしないで病院で働いている。 それでも彼女は医者として、自分の記憶喪失を受
最近なんだか調子がいい、aoikaraです。 なんだか、不思議と調子がいい。たしかに、調子がよくなるように自分ができることは続けてきた。やり続けてきて、結果が出るタイミングがこれでもかというほど重なるので、ちょっと怖くすらもある。 調子がよすぎて、どこかでこけそうだな。調子が悪くなりそうだな。調子が悪くなったとき、また舵を戻せるのかな。 悪い状態だと不安が続くのに、良い状態でも不安になる。というより、自分で不安を作っている。 うまくいかないときに「なんて自分はダメなん
同じような毎日を送りがちなaoikaraです。 現状維持が心地いい私は、ついつい現状に甘えてしまう。変化を求めず、同じことを繰り返すことに安心感を覚えてしまう。 でも、私が変わらなくても周りは変わる。周りというのは人とか、社会とか、世間とか。変わらないことが置いて行かれた理由なんだと思うから、変わろうと思って、変わってきた部分もある。でも、安心するとそこに居続けるクセは残っているように感じる。 とはいえ、半ば強制的に変わる、変えられることもある。自分が普段使いしていたも