aoikara

中卒フリーライター。基本はうち、ときどきはそと、まめではない。

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マガジン

  • なんでもない出来事を書く日記

    毎日書きます。スケジュールはハードルを高く。内容はハードルを低く。

  • ☑ ライターのお仕事週報

    毎週月曜日に、1週間分のライターとしての仕事の報告をします。

  • 「#お題」

    「#〇〇」で出されるお題について書いたnoteをまとめます。

  • ライターとしての気づきメモ

    ライターをしている上で気づいたことをメモ。反省と課題とこれから生かしたいこと、人から学んだこと、成功も失敗も、記録と引き出しに。

  • 何度でも読み返したい自分のためのnote

最近の記事

映画「落下の解剖学」感想|無自覚な偏見をあぶり出す

映画「落下の解剖学」を観たので感想を書きます。以下、ネタバレあり。 映画「落下の解剖学」あらすじ あぶり出される自分の中の偏見と先入観 物語の始まりから、事が起きるまで、ずっと不穏な空気が流れている。観ているだけなのに、なんとなく居心地が悪い。酒を飲んでいる中年の女性が、自分の自宅で若い女性から話を聞かれているような、聞いているような、つかみどころのない会話をしていて、上の階からとんでもなく大きな音楽が流れてきて、こんなんじゃ話もできないねと若い女性は帰っていく。 音

    • アウトしてプットしたい気分

      なかなかアウトプットできていない、aoikaraです。 やるべきことに追われていて、それはそれで幸せなことだなと思いながらも、なかなかアウトプットができていない。インプットもできているのかというと疑問だけれど、仕事でもプライベートでも何かをするとなると結果的にインプットしていることも多い。能動的ではなくなると、受動的にインプットはされるので、能動的になるしかないアウトプットが足りていないという体感。 noteもだし、SNSもすっかり更新しなくなったし、ブログも今は閉めてい

      • うねりに漢字はないけどいい感じ

        「うねり」という言葉に漢字がないと、今知ったaoikaraです。なんとなく読めないし書けないけど漢字でこうやって書くんだな、みたいな漢字なのだろうと思っていたらそもそも漢字がなかった。 幼い頃から直毛だと思っていたのだけれど、最近になって髪がうねるようになってきた。すとんと落ちるはずの髪の毛が、ふんわり、ゆんわり、うねっている。“ゆんわり”は私の造語。 調べてみると大人になってからくせ毛になる人もいるらしく、加齢で髪が乾燥しやすくなって、水分が足りてなくてうねるというのも

        • 走り出すのは、いつだって理由がある

          走ってた、aoikaraです。 理由は簡単。電車に間に合わなさそうだから。 歩いたら間に合わないな。早歩きなら行けるか。いや無理そうだな。で、走る。けど走り続ける体力はないから、ときどき歩く。そして、また走る。歩く。繰り返し。 記憶違いで出発時刻を間違っていて、出発2分前にホームに到着した。ギリギリ間に合った。おかげさまで、とても肌寒い日なのに顔を真っ赤にして汗だくで、何かから全速力で逃げてきた人にしか見えない状態で電車に揺られていた。 私は走るのが苦手。理由は体力が

        映画「落下の解剖学」感想|無自覚な偏見をあぶり出す

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          似たもの同士の人と犬

          1年半ほど介護していた飼い犬が旅立ってから、しばらく経って、犬がお世話になっていた場所に挨拶をしに行くことになった。犬の年齢を考えると、10年以上もお世話になっていた場所だった。 犬がいなくなったばかりの頃、喪失体験とは人それぞれだと、心理士さんから話を聞いた。犬を失った悲しみでたずねたわけではなく、それとは関係ないことで話をする機会があって、聞いてみた。 心理士さんに会う日はほかにも人に会う予定があって、犬がいなくなって悲しいけれど、その日までには“大丈夫”にならなけれ

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          舌を噛んだけど、私は元気です。

          舌を噛んだ。昼食を食べているとき。昼食を食べるって、頭痛が痛いみたいに見えて、歌を歌う的な文だな。そんなことはどうでもいい、昼食を食べているときに舌を噛んだ。 「舌を噛んでやる!」なんていう絶望も、衝動性も、ないのにね、今はね。勇気なんていう呼び方はしたくないからね。 たまに舌を噛むことはあったけど、本当に久しぶりで、痛いというより何やっているんだろうと自分のしょうもないうっかりみたいなものに呆れて、ちょっとがっかりして、ティッシュで血を押さえていた。今は血は収まり、昼食

          舌を噛んだけど、私は元気です。

          言葉の蓋が開く

          昨日、「書けない」と綴ったnoteのあとに、「書きたい」という気持ちが湧いてきて、言葉が出てくる感覚になり、たくさん言葉を紡いだ。蓋が開いて、あふれ出るほどではないけれど、湧いてくるような感覚はあってうれしかった。 伝えたかった言葉を伝えた。ひとつだけではなくいろんな場所で。伝えようと思ったら言葉が出てくるし、伝わって受け取ってくれる人がいることがありがたかった。 「できない」と思うことはあるけれど、やってみたら「できる」きっかけにはなるかもしれない。簡単に「できる」こと

          言葉の蓋が開く

          ぜんぶ夏のせい、ではない

          ぜんぶ夏のせいだ、と言いたくなるくらい暑い。暑いと何もかもの力が奪われる。体力とか、思考力とか。他責になってしまいそうな「環境が悪いから」も、今なら言えそうなくらいに暑い。 久しぶりにnoteを書いた。何度か、書こうと思っていたり、そもそも書くつもりがなかったりした。今日は書こうと思っていた。前に書こうと思っていたときと同じように、何を書けばいいのかわからなくなっていた。 前も、書かなくなると、書けなくなる、ということを書いていたけど、久しぶりにnoteを書こうとするたび

          ぜんぶ夏のせい、ではない

          脳内YAZAWA

          「私はいいけど、aoikaraはどうかな?」なんて言ったことはない、aoikaraです。 会話の中で、「自分はいいけど」と言葉を紡ぐ人がいる。そのたび、私は「YAZAWAはどうかな?」と言葉をつないでいる。脳内で。口には出さない。 これ私の誤用なんだけど。正しくは「俺はいいけど、YAZAWAはなんて言うかな?」だから。矢沢永吉さんの名言、とされる。ソースがないから真偽は不明。真偽が不明なのかも不明。 さらにもって(“皿に盛って”ではない)、私の脳内では「俺はいいけど、Y

          脳内YAZAWA

          なくてもいいけど、あったらうれしい

          なくてもいいけど、あったらうれしい、そんな文章を書いている、aoikaraです。 なくてもいいけど、あったらうれしい、そんなものがたくさんある。私にとっては、たとえばパンとか。最近でいえば、たまに飲むコーヒーだとか。そして人にとって、文章なんてのも同じで。 もちろん、必須にだってなり得る。人間には食事が必要で、パンも食事だし。人間には飲み物が必要で、コーヒーは飲み物だし。人間には言葉が必要で、文章は言葉だし。 でも、代わりがある。パンがなければお菓子を食べればいいじゃな

          なくてもいいけど、あったらうれしい

          おいしかったから、またコーヒーを飲もう

          週に1、2度のコーヒーを楽しんでいる、aoikaraです。 胃腸が強い方ではなく、カフェインが刺激になることもあり、普段はコーヒーを飲んでいない。10年くらい前、インスタントコーヒーにハマって毎日飲んでいたときもあるけど、今は昔。 たまに、数ヶ月に一度とか、カフェなどに行ったときに飲む。飲むと、「うーん、コーヒーだ!」と、アホみたいな感想を抱く。普段コーヒーを飲まないので、くわしい違いなんかはわからない。ただ、味は知っている。昔、感じたことのある感覚を脳が思い出すように、

          おいしかったから、またコーヒーを飲もう

          弱さを知っているから寄り添える

          弱いところだらけな、aoikaraです。 ドラマ鑑賞が趣味で、2024年4月クールもいろんなドラマを観ている。そのひとつが「アンメット」。杉咲花さん演じる脳外科医が主人公。彼女は記憶喪失で、ある時期から新しいことを記憶できず、一日が終わって眠ると、前日までの記憶を忘れてしまう。新しく覚えたことは全て日記に書いていて、早朝に起きて今日までの日記を読み、記憶を保管して、一応は医者として、とはいえ医療業務はしないで病院で働いている。 それでも彼女は医者として、自分の記憶喪失を受

          弱さを知っているから寄り添える

          がんばっていないのも自分だし、がんばっているのも自分

          最近なんだか調子がいい、aoikaraです。 なんだか、不思議と調子がいい。たしかに、調子がよくなるように自分ができることは続けてきた。やり続けてきて、結果が出るタイミングがこれでもかというほど重なるので、ちょっと怖くすらもある。 調子がよすぎて、どこかでこけそうだな。調子が悪くなりそうだな。調子が悪くなったとき、また舵を戻せるのかな。 悪い状態だと不安が続くのに、良い状態でも不安になる。というより、自分で不安を作っている。 うまくいかないときに「なんて自分はダメなん

          がんばっていないのも自分だし、がんばっているのも自分

          変わっていこう

          同じような毎日を送りがちなaoikaraです。 現状維持が心地いい私は、ついつい現状に甘えてしまう。変化を求めず、同じことを繰り返すことに安心感を覚えてしまう。 でも、私が変わらなくても周りは変わる。周りというのは人とか、社会とか、世間とか。変わらないことが置いて行かれた理由なんだと思うから、変わろうと思って、変わってきた部分もある。でも、安心するとそこに居続けるクセは残っているように感じる。 とはいえ、半ば強制的に変わる、変えられることもある。自分が普段使いしていたも

          変わっていこう

          0→1していない

          1から10まで順番に並び替えているような、aoikaraです。 ライターなんだけど、0→1のような文章を最近書いていない。たとえば、きっとnoteなんかは0→1だろう。この1は、圧倒的に“自分”だ。書いていない私は、自分自身に今興味がないのだろうか。自分自身を文章にすることに意欲がないのだろうか。とにかく、0→1をしていない。 書いているのは、最初に書いたような、1から10までのバラバラの数字を順番に並び替えているような作業。作業、という言葉の響きはポジティブでもネガティ

          0→1していない

          書いてみている

          書いてみている、aoikaraです。 noteの更新が月に1回ほどになっていて、月刊誌のようになっている。レア感と文章力は比例していない。むしろ書く頻度が落ちれば文章力は落ちていくだろう。 と、書きながら、書いている手が止まってしまっている。 自分の中でいろいろと考える性格なのは未だに変わっていない。考えすぎて眠れなくなることもある。だけど、アウトプットしなくても、自分の中で消化できるようになりつつある。 眠れない日があっても、たぶん次の日には眠れる。眠れば、だいたい

          書いてみている