aoikara

中卒フリーライター。基本はうち、ときどきはそと、まめではない。

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マガジン

  • なんでもない出来事を書く日記

    毎日書きます。スケジュールはハードルを高く。内容はハードルを低く。

  • ライターとしての気づきメモ

    ライターをしている上で気づいたことをメモ。反省と課題とこれから生かしたいこと、人から学んだこと、成功も失敗も、記録と引き出しに。

  • ☑ ライターのお仕事週報

    毎週月曜日に、1週間分のライターとしての仕事の報告をします。

  • 「#お題」

    「#〇〇」で出されるお題について書いたnoteをまとめます。

  • 何度でも読み返したい自分のためのnote

最近の記事

言葉の蓋が開く

昨日、「書けない」と綴ったnoteのあとに、「書きたい」という気持ちが湧いてきて、言葉が出てくる感覚になり、たくさん言葉を紡いだ。蓋が開いて、あふれ出るほどではないけれど、湧いてくるような感覚はあってうれしかった。 伝えたかった言葉を伝えた。ひとつだけではなくいろんな場所で。伝えようと思ったら言葉が出てくるし、伝わって受け取ってくれる人がいることがありがたかった。 「できない」と思うことはあるけれど、やってみたら「できる」きっかけにはなるかもしれない。簡単に「できる」こと

    • ぜんぶ夏のせい、ではない

      ぜんぶ夏のせいだ、と言いたくなるくらい暑い。暑いと何もかもの力が奪われる。体力とか、思考力とか。他責になってしまいそうな「環境が悪いから」も、今なら言えそうなくらいに暑い。 久しぶりにnoteを書いた。何度か、書こうと思っていたり、そもそも書くつもりがなかったりした。今日は書こうと思っていた。前に書こうと思っていたときと同じように、何を書けばいいのかわからなくなっていた。 前も、書かなくなると、書けなくなる、ということを書いていたけど、久しぶりにnoteを書こうとするたび

      • 脳内YAZAWA

        「私はいいけど、aoikaraはどうかな?」なんて言ったことはない、aoikaraです。 会話の中で、「自分はいいけど」と言葉を紡ぐ人がいる。そのたび、私は「YAZAWAはどうかな?」と言葉をつないでいる。脳内で。口には出さない。 これ私の誤用なんだけど。正しくは「俺はいいけど、YAZAWAはなんて言うかな?」だから。矢沢永吉さんの名言、とされる。ソースがないから真偽は不明。真偽が不明なのかも不明。 さらにもって(“皿に盛って”ではない)、私の脳内では「俺はいいけど、Y

        • なくてもいいけど、あったらうれしい

          なくてもいいけど、あったらうれしい、そんな文章を書いている、aoikaraです。 なくてもいいけど、あったらうれしい、そんなものがたくさんある。私にとっては、たとえばパンとか。最近でいえば、たまに飲むコーヒーだとか。そして人にとって、文章なんてのも同じで。 もちろん、必須にだってなり得る。人間には食事が必要で、パンも食事だし。人間には飲み物が必要で、コーヒーは飲み物だし。人間には言葉が必要で、文章は言葉だし。 でも、代わりがある。パンがなければお菓子を食べればいいじゃな

        言葉の蓋が開く

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        記事

          おいしかったから、またコーヒーを飲もう

          週に1、2度のコーヒーを楽しんでいる、aoikaraです。 胃腸が強い方ではなく、カフェインが刺激になることもあり、普段はコーヒーを飲んでいない。10年くらい前、インスタントコーヒーにハマって毎日飲んでいたときもあるけど、今は昔。 たまに、数ヶ月に一度とか、カフェなどに行ったときに飲む。飲むと、「うーん、コーヒーだ!」と、アホみたいな感想を抱く。普段コーヒーを飲まないので、くわしい違いなんかはわからない。ただ、味は知っている。昔、感じたことのある感覚を脳が思い出すように、

          おいしかったから、またコーヒーを飲もう

          弱さを知っているから寄り添える

          弱いところだらけな、aoikaraです。 ドラマ鑑賞が趣味で、2024年4月クールもいろんなドラマを観ている。そのひとつが「アンメット」。杉咲花さん演じる脳外科医が主人公。彼女は記憶喪失で、ある時期から新しいことを記憶できず、一日が終わって眠ると、前日までの記憶を忘れてしまう。新しく覚えたことは全て日記に書いていて、早朝に起きて今日までの日記を読み、記憶を保管して、一応は医者として、とはいえ医療業務はしないで病院で働いている。 それでも彼女は医者として、自分の記憶喪失を受

          弱さを知っているから寄り添える

          がんばっていないのも自分だし、がんばっているのも自分

          最近なんだか調子がいい、aoikaraです。 なんだか、不思議と調子がいい。たしかに、調子がよくなるように自分ができることは続けてきた。やり続けてきて、結果が出るタイミングがこれでもかというほど重なるので、ちょっと怖くすらもある。 調子がよすぎて、どこかでこけそうだな。調子が悪くなりそうだな。調子が悪くなったとき、また舵を戻せるのかな。 悪い状態だと不安が続くのに、良い状態でも不安になる。というより、自分で不安を作っている。 うまくいかないときに「なんて自分はダメなん

          がんばっていないのも自分だし、がんばっているのも自分

          変わっていこう

          同じような毎日を送りがちなaoikaraです。 現状維持が心地いい私は、ついつい現状に甘えてしまう。変化を求めず、同じことを繰り返すことに安心感を覚えてしまう。 でも、私が変わらなくても周りは変わる。周りというのは人とか、社会とか、世間とか。変わらないことが置いて行かれた理由なんだと思うから、変わろうと思って、変わってきた部分もある。でも、安心するとそこに居続けるクセは残っているように感じる。 とはいえ、半ば強制的に変わる、変えられることもある。自分が普段使いしていたも

          変わっていこう

          0→1していない

          1から10まで順番に並び替えているような、aoikaraです。 ライターなんだけど、0→1のような文章を最近書いていない。たとえば、きっとnoteなんかは0→1だろう。この1は、圧倒的に“自分”だ。書いていない私は、自分自身に今興味がないのだろうか。自分自身を文章にすることに意欲がないのだろうか。とにかく、0→1をしていない。 書いているのは、最初に書いたような、1から10までのバラバラの数字を順番に並び替えているような作業。作業、という言葉の響きはポジティブでもネガティ

          0→1していない

          書いてみている

          書いてみている、aoikaraです。 noteの更新が月に1回ほどになっていて、月刊誌のようになっている。レア感と文章力は比例していない。むしろ書く頻度が落ちれば文章力は落ちていくだろう。 と、書きながら、書いている手が止まってしまっている。 自分の中でいろいろと考える性格なのは未だに変わっていない。考えすぎて眠れなくなることもある。だけど、アウトプットしなくても、自分の中で消化できるようになりつつある。 眠れない日があっても、たぶん次の日には眠れる。眠れば、だいたい

          書いてみている

          平等とは、平等じゃないと気づくことから

          書こう、と思った、フリーライターのaoikaraです。 最近にしてはとても珍しい。肩書きの「フリーライター」を復活させてみた。仕事を満足にできていなくて、「ライター」なんて名乗っていいのだろうか、と思って外していたのだけれど、そもそも初めて読む人には誰なんだよと思われそうなので、フリーライターですと名乗ることにした。今のところ。また気分が変わるかもしれない。 私は、私として生まれてきて、困っていないことも、困っていることもある。私のさまざまな属性の中で、マジョリティ側で属

          平等とは、平等じゃないと気づくことから

          フラットなグレー

          白か黒かはっきりさせたい、aoikaraです。 0か100ともいう。100にならなければ、いっそのこと0でもいいや、という境地になってしまうこともしばしば。 グレーでもいいじゃん、70でもいいじゃん、というのは頭ではわかっている。それでも受け入れ難いと感じてしまう。 だけど、フラットに「それはグレーだね」と伝えてくれる人がいた。 私がすごく緊張していたことがあって、実際に取り組む前から怖がっていた。「緊張していたけどやってみたらよかった!」となるか、逆に「やっぱり嫌だ

          フラットなグレー

          平熱が下がり気味

          熱っぽくなることが減ってしまった、aoikaraです。 身体的な意味でも、精神的な意味でも。コロナ禍で対策を万全にして、今でもマスクを必ずしていて、リモートワークだから家にこもりきりで生活していると、まあ熱が出ない。ちょっと体調を崩すことがあっても、熱が出ることはほぼない。 本題は精神的な意味での“熱”。熱中する、ハマる、沼る、推す……というような熱を帯びた昂ぶる感情になることがすごく減ってしまった。本当にほぼない。いや、熱っぽくなるのはあるのだけど、持続しない。すぐ冷め

          平熱が下がり気味

          健診とつり革と私

          痛いのが苦手な、aoikaraです。 痛いのが好き、という人はいるかもしれないけれど、まあ多くはないので、わざわざ「私は」と言うまでもないかもしれない。 健診ってなんで痛いんだろうね。痛くない健診もあるのかな。なんたって健康が第一だから、不健康ではないか調べる健診は大事なんだけど、むしろ遠ざけようなんて思わないけれど、でも痛いのは嫌だよね。私は嫌だ。 細胞をこそげ取られるんだから、痛い。そのときも痛いし、その後は痛みがなくてもだるさは残る。出したくないものだって出てくる

          健診とつり革と私

          悲しい

          悲しい。ただただ悲しい。自分が大切にしていたものを、大切にしてもらえなかったら、守ろうとするし、決して攻撃にはならないようにという思いがあってのことだっただろうに。 その苦しさや悔しさやを他人の自分が言葉にするのは、言葉にした瞬間から憶測でしかなくて、わからない。だから、言葉にできるのは自分の思いだけ。 自分の思いなんて、表に出さず心の中で言いたいだけ言っていればいいとも思うし、自分の中で抱えられないなんて自分の事情でしかなくて、というのも言い訳で、というのも言い訳で。

          ドラマはチーム

          ドラマをよく観ている、aoikaraです。 仕事でドラマの紹介記事などを書くし、毎シーズンどんなドラマがあるのかチェックして、気になる作品は観て、気に入ったら観続ける…というのをもう何年もしている。サブスクも充実するようになって、過去の作品が観られるのもうれしい。 ドラマが好きだからこそ、原作者の方の思いが尊重されなかったという話を知り、とても悲しくなった。原作が好きだからこそ見始めた作品で、ドラマでも原作を尊重していると感じていて、面白いと感じていた。だけど終盤にかけて

          ドラマはチーム