アウトしてプットしたい気分
なかなかアウトプットできていない、aoikaraです。
やるべきことに追われていて、それはそれで幸せなことだなと思いながらも、なかなかアウトプットができていない。インプットもできているのかというと疑問だけれど、仕事でもプライベートでも何かをするとなると結果的にインプットしていることも多い。能動的ではなくなると、受動的にインプットはされるので、能動的になるしかないアウトプットが足りていないという体感。
noteもだし、SNSもすっかり更新しなくなったし、ブログも今は閉めているし。おそらく、昔よりアウトプット欲というのが弱くなっている。でもたまに、もうどうにも止まらない山本リンダさんなのかしらと思うくらいに、ものすごくアウトプットしたくなるときがある。どこを探してもない、誰にも見せないのだけど、アウトプットしてスッキリとしている。それはそれで心地いい。
だけど、自分の中で思っているだけと、アウトプットするというのは全く違っていて。人間って(主語デカ)考えないようになると、どんどん考えられなくなるし、アウトプットも同じで、やらないとどんどんアウトプットが下手くそになる。私はいったい何か言いたいんだ、何を外に出したいのだ、という気持ちになる。
いや、自分の中にあるものを外に出すことはできる。ただ、出してみて、「これが出したかったのか…?」というモヤりが残る。アウトプットが下手くそとはそういうことで。
out(アウト)だけではなくて、put(置く)もしたいなと思う。出してみて、置いてみて、しっくりきている。そう、こう置きたかったのよ、というしっくり感。それがアウトプット。
というわけで、アウトプットしたいのだという気持ちをアウトプットしてみた。ひとまずは、SNSで仕事の記事をアップすることなんかから始めてみよう。noteも、好きなように、好きなときに、アウトプットのひとつとしてやってくるよ。