【連載小説】子どもたちの眠る森EP.15

(ep.15  夢を叶える)


飼っていた猫が亡くなった。真っ白な毛に、耳の中と鼻はピンク色の可愛らしい女の子で、4歳の僕はデイジーと名づけた。老衰だった。
痩せ細った父は、僕に死骸が入った袋と木の苗を渡してきた。

昔父が住んでいたドレシア国では、飼っていた動物が亡くなったら、木の苗と一緒に埋める風習があったという。たとえそれが老衰であっても、命を奪った罪は大きく、そうしないと天から罰を受けると言い伝えられていたそうだ。
亡くなったのは水曜日だったので、僕は父さんに「明日、埋めに行ってきます」と伝え、庭の椅子に腰掛けた。

先週の木曜日、僕はソーレと会った。正確には、その前の日曜日に会っていたけれど、僕は知らないふりをした。自分でも、冷静な対応だったと思う。いや、これが夢なのか現実なのか理解できず、動けなかったという方が正しいのかもしれない。だって僕はあの夜、蛍火に包まれながら、ソーレのことを思い出していたから。
思い浮かべていた人が突然現れ、僕に気づいて、今にも飛びついてきそうな表情をしている。こんなの夢だと疑わない方がおかしいと思う。でも夢じゃなかった。ソーレは確かにそこにいた。でも僕は、すぐにその態度に応えることはできなかった。できない理由があった。だから僕はあの夜、「来週の日曜日、またこの時間に来よう」とグラートに伝えるふりをして、ソーレにメッセージを残した。そして日曜日、また泉で会い、手紙を渡そうと思っていた。しかしソーレは来なかった。
どうしようかたくさん考えた。そうして出た答えは、"泉に手紙を残す"だった。僕は、ソーレならこの手紙を見つけてくれるはずだと信じていた。そして、またふたりで会えたらきっと喜んでくれると、僕はそう思っていたのだけれど、大きな勘違いをしていたのかもしれない。

信じていたとおり、ソーレは手紙を見つけ、僕らは泉で再会することができた。知らないふりをすることもなく、ちゃんと話すことができた。しかし、喜ぶ僕とは対照的に、ソーレは終始浮かない顔をしていた。鈍感でお気楽者の僕でもさすがに気づいた。

ソーレからノエミが死んだこと、セラタで起きていた連続誘拐事件の被害者になったことを告げられた。ソーレは僕に自分が考えている復讐計画を話してくれた。

この時僕は、オオカミの話を思い出していた。そして、この物語をタニル国で考えたとしたならば、ウサギは"セラタで誘拐された子どもたち"ということになる。だから僕はルーナに対して「復讐なんてよくないよ」とは言えなかった。

僕らの間に流れた時間は、お世辞にもやわらかいと言えるものではなかったので、僕は日を改めることにした。時が経てば、またソーレの笑顔が見られる日がくると思ったからだ。
明日は少しでも、昔のような僕らに戻れたらいいな、そんなことを考えながら、その日は眠りについた。

木曜日の夕方6時。
僕は、永遠の眠りについたデイジーと木の苗を持って自転車に乗り、森へ向かった。
横になった大木に腰掛けた。泉が見渡せる、ソーレとたくさん話をしたお気に入りの場所だ。
僕はスコップで穴を掘り、デイジーを埋めその上に苗をのせて土をかけた。

「ルーナ??」

突然後ろから声がして、振り向くとソーレが立っていた。夢中になっていて、足音に気づかなかった。

「やぁ、ソーレ」
「なにしてるの?昔よくしてた苗植え?」
「あ、ううん。昨日飼っていた猫が死んだんだ。こうやって苗と一緒に埋めることが供養になるからってお父さんが言ってた」
「そっか‥‥それは悲しいね。どれくらい一緒にいたの?」
「11年くらいかな」
「そんなに長かったんだ。家族みたいだね」
「そうだね‥‥」

また僕らの間に沈黙が流れた。

「あ!来てくれてありがとう!ソーレの家は遅くに出ても大丈夫?」
「うん、ピオの家に遊びにいくって言ってきた。父さんはなかなか帰ってこないし。ルーナこそ大丈夫なの?心配されない?」
「僕のお父さんもここ最近はずっと書斎に閉じこもっているか、どこかに出かけてしまうんだ。お母さんは、僕が勉強してると信じ込んでて部屋を覗いてはこないし、グラートはどこかに行ってる」
「そうなんだ」

ソーレは、大きな布の袋を地面に置いた。ガチャと金物がぶつかる音がした。

「今日は大荷物だね」

僕がそう言うと、「そうだそうだ」と袋からたくさんのノートを取り出し「これを、ルーナに渡したかったんだ」と差し出してきた。数えるとノートは9冊もあった。

「これどうしたの?」
「僕が書いていた日記だよ。ルーナと出会った3年前から、僕も自分の気持ちを残しておこうと書き続けていたんだ。でも、もう必要ない。本当は10冊目もあるんだけど、それは、全てが分かってから渡そうと思う。受け取ってくれるかな」
「もちろん!!‥‥でも、もう必要ないってどういうこと?」
「僕が迷ってしまった時、また戻ってこれるように書いてたんだ。お守りみたいなものかな。でも、もう僕は迷わない。だから必要ないってことだよ」
「そっか‥‥。ゆっくり読むよ。ソーレのこれまでのこと」

ソーレは「ありがとう」と言うと、「そろそろ行こうかな」と袋を持って立ち上がった。

「どこに行くの?」

「‥‥夢を叶えに行ってくる」

その抽象的な言葉でも、僕はソーレがどこへ向かおうとしているのかなんとなく分かった。

「ソーレ待って‥‥。僕と約束をしてほしい」
「約束?」
「もし、無事にここに戻って来れたら、なにか合図を残して欲しい。たとえば、ソーレの首にかけてるお守りをどこかに残すとか。そしたら僕がソーレが助かったんだって分かるから」
「分かったよ。約束する」

ソーレは僕に背を向けてひとつの暗闇を見つめた。僕はなにも言えずにその背中を眺めることしかできなかった。

「ルーナ、ひとつだけ聞いてもいい?」
「うん」
「僕と初めて会った時、どうして僕の手を握ってくれたの。僕にはなにもないのに。裕福でもなくて、頭だって良くない。ルーナとは真反対のところににいる僕に、どうして優しくしてくれたの」

「そんなの決まってるよ。そんなものなくても、ソーレと仲良くなりたかったから。ソーレのことが好きだからだよ」

ソーレは振り返らなかった。「ありがとう。ルーナと出会えて、僕は幸せ者だ」と、そう言い残して闇の中へ消えてしまった。


僕が泉に行けたのは、3日後のことだった。本当は次の日に行きたかったけれど、グラートがずっと一緒だったので抜け出すことができなかった。この間グラートは珍しく部屋に来て、ラジオのように僕が眠りにつくまで話し続けた。僕とグラートが出会った時の話、ケンカした時の話、グラートは僕と過ごしたどの瞬間も宝物のようだと話した。どうして急にそんな話をしにきたのかは分からないが、僕はその話を聞きながら、何も考えず安心して眠れた。

3日後の夕方、父とグラートが車で出かけたのを確認し、母が風呂場に入ったタイミングで僕は窓から抜け出した。
ロープの先に輪っかを作り、ベッドのパイプに引っかけて、ゆっくりと壁を蹴りながら降りていく。そして、あらかじめ物置から出しておいた自転車に乗り泉へ向かった。

あれから3日も経ってしまった。泉に到着し、自転車を投げ捨て、僕は木に約束のものがぶら下がっていないか確認した。
ソーレなら、すぐに見つけられる分かりやすい場所にかけてくれるはずだ。泉を囲う木という木を確認した。しかし、巾着袋つきのネックレスは見当たらなかった。

「嘘だ‥‥」

下を向いて歩いていると、なにか白いものが落ちているのが草の隙間から見えた。
駆け寄ると、それはソーレの巾着袋だった。きっと枝に引っ掛けていたのが落ちてしまったんだ。中に入っているはずの石は無くなっていた。

僕はそれを、拳の中で強く握りしめた。堪えようとしても、涙が溢れて止まらなかった。

「‥‥よかった‥‥生きてた‥‥」

ソーレの安否が分かり、しぼんだ風船のように一気に力が抜けた僕はすぐに動けず、しばらくその場で膝を抱えた。30分ほどは泣いたり、ぼーっとしたりを繰り返していたと思う。

そろそろ帰ろうと立ち上がり、あの夜ソーレが消えた闇の方を見てみると、銀色のものがキラキラ光っているのが見えた。
泉をぐるっと半周し、少し離れたところから見てみようとしたが、暗くてよく見えなかった。そして、ぐっと闇の中に足を踏み入れたその時、僕は人生で初めて、「ハッ」と息を呑んだ。

大きな木から伸びた枝から銀色の糸が垂れ、その先端には、足が括り付けられていた。僕はゆっくり近づき、震える両手でそれを包んだ。まだ吊るされたばかりなのか、血は固まっていなかった。僕はその手で頬をつねった。ニュルッとした感覚と、はさんだ頬が少しだけ痛かった。これは幻じゃない。

「足だ‥‥。ついに‥‥見つけた‥‥。ソーレ、僕たちの夢が叶ったよ‥‥」

どんな足だったのか、男の、それとも女の、年齢はどれくらいか、そんなことはどうでもよかった。

「‥‥ソーレが南に来れる‥‥僕らは共に生きられるんだ」

僕はポケットから、ソーレがくれた住所の書いた紙を取り出し、生えていた長い草をちぎって急いで足にくくりつけた。外れないように何重にも括った。手は血だらけになっていた。

「はぁ‥‥はぁ‥‥」

心臓がばくばくしている。僕は急いで自転車に跨り、全速力で夜道を走った。これから過ごすであろうソーレとの毎日が、笑い合う僕らが、切り取られた幸せな日々が、まるで予告を告げるように僕の頭に流れた。

「僕らの夢が叶った」

黒い雲の奥に光る月を見上げながら、僕はつぶやいた。







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