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第5回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~多様だからおもしろい~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第五回


午後からは超新蝶の
マイナーチェンジ品に向けて、
素材選定用の解析・
シミュレーションを繰り返していた。
解析用のマシンは、
ロボさんの実験室エリアに
置かれている。
画面内で3D化した蝶を
動作していると、
背後からロボさんがやってきて、
僕の右横からお菓子を差し出した。
時刻はちょうど15:25で、
工場の現場の方で働いている人達用の
小休憩チャイムが間遠く聞こえてくる。
開発部とそのチャイムとは
関係ないのだが、
ロボさんと同じように
周りは小休憩を取り始める。
そこかしこで
私語が一段と賑やかになる。

「ありがとうございます」

僕はロボさんにお礼を言って、
貰ったばかりの
金色の包み紙を解くと、
砂糖でテカっとした
丸い栗もどきが顔を出す。
マロンデュというそのお菓子は、
原材料に栗を一切使っていない
マロングラッセのようなお菓子だ。
口にほおり込んだ途端に
どっしりとした甘さが
脳天まで広がり、
栗の香りが
あとから鼻を突き抜けていく。
僕はマロングラッセを
食べたことはないが、
このお菓子のようにきっと
美味しいに違いないと思っている。


こうやって丁度
小休憩タイムに
ロボさんエリアに入域していた場合、
ロボさんはほぼ確実に
僕にマロンデュをお裾分けしてくれる。
ロボさんの光の灯った大きな目が

「最近はス、スッ、セイロンティーと
 一緒に、っ、った、食べるのが
 好きなんです」

と言い置いて、
また自分の実験台へ戻っていった。
その実験台の上を
青い蝶が舞っている。
見慣れた光景だ。

光で出来たその蝶へ
思い出したように手で触れてみては頷き、
何かをノートに書き付けている。
いつもの風景だ。


そもそも、
僕たちが作っている
飼育ポットの超新蝶は、
あのロボさんの青い蝶のはずだった。
マイナーチェンジをしたところで、
僕たちの超新蝶の
多様性に欠けた飛翔具合に
然程変わりはない、残念ながら。
それでも僕は飽きずに
任せられた仕事をこなす。

人間がロボットダンスをするから
魅せられるのだ、
ロボットがロボットダンスをしても
何も面白くなんてない、
と言い聞かせて。
「でも、」と僕は思う。
あの多様な飛翔力を持った
青い光の蝶を、
飼育ポットに入れることが出来れば
相当興奮するじゃないだろうかと。
だから僕は、
こんな石ころ素材を
やっさかもっさか改良しては、
飛ばし、失敗していることを
不甲斐なく感じて、
時々途方もない気持ちになる。
「それでも、」と僕は思う。
例えぎこちなくとも、
石が飛ぶなんて
結構面白いことじゃないかと。

そうやってまた
平穏な心境にリセットして
作業に戻る。
相変わらずロボさんは、
青い蝶を掴み損ねては
ニコリと笑い、
ノートにメモを取っていた。

僕の終業時間である
十六時三十五分になり、
自分の荷物をまとめて
更衣室へ向かう。
会社の終業時間は一時間後だ。
僕以外はまだまだ
仕事続行モードで
目の前の処理にご繁忙中だ。

廊下に出ると
酷い降雨音と稲光に包まれた。
薄暗い廊下の
突き当りにある窓の外からは、
夕立に打たれながら
頭を振ってはしゃいでいる
桜の木々が見える。
暫くしてから
もたつき気味の雷鼓が
遠くの方からやってきて、
僕の胸を揺さぶった。

更衣室に入ると、
いつもどおり
むっとした空気が僕を出迎えた。
入ってすぐの
頭上にある扇風機のスイッチを入れ、
まとわりつく空気を払いながら
着替えを済ませた。
ロッカーにはビニール傘を
置き傘にしているのだが、
梅雨時や今の時期は
いつ雨が降るか知れないので、
リュックにも折り畳み傘を
常備している。


会社のエントランスを出て
折り畳み傘を開きつつ
上空を見上げると
西側に鎮座する御鷹岳の頭上が、
明るい雲へと変わりつつあった。
傘に跳ね返す雨音は、
レコードで聴く休止符のように
僕へ寄り添ってくる。
足元のコンクリは
群雨に洗われて、
御鷹岳から降りてくる
土の香りへとすり替わってゆく。

僕は物心ついたときから、
傘を差すのが億劫だった。
僕にとって雨は、
さっき廊下の窓から見た
桜にとっての雨と同じような存在だ。
小学校へ通っていた頃の僕は、
そのことで母によく
窘(たしな)められた。
傘を差さずに
ずぶ濡れで帰宅した僕の髪の毛を
タオルで乾かしながら。
水浸しになった教科書を
ドライヤーで乾かしながら。
担任の先生にも心配され、
何度か家まで
送ってもらったこともあった。
だがひとりで帰れるようになると、
またお構いなしに
ずぶ濡れで帰宅するのだった。

そんな僕を、
なかよし学級の信岡先生だけは
一度も叱らなかった。
雨の降る昼休みに、
校舎の目の前を流れている
用水路の前に屈んで、
雨に打たれるモンシロチョウを
眺めていた。
用水路は緑色の網で出来た
転落防止柵で囲われているのだが、
中に入れるように扉が一ヶ所ついていた。
その柵を支える
灰色のブロックの上を
カタツムリがそこかしこで
角を立てて意気揚々と歩いている。
目の前のモンシロチョウは
器用に葉の裏へと躰を隠して
水滴から逃れようとしていた。

「翠雨(すいう)ですね」

振向くと、
なかよし学級の信岡先生が
ビニール傘を差して立っていた。
二、三歩こちらへ歩み寄ると、
モンシロチョウの止まる草の上に
傘を差し出した。
僕たちの頭上だけ雨が止んだ。
信岡先生はそのまま
僕の隣にしゃがみ込んで、
昼休みが終わるまで一緒にそうしていた。
水路の土手には
ふくよかな土の香りが立ち込めていた。
僕の頭上には
傘の上を跳ねる細やかな雨音が
絶え間なく降り注いでいた。

その日以来、僕は雨の日に
ビニール傘を差すようになったのだった。


今程ひらいた折り畳み傘の骨先が、
湿気を透き吹く軽風にふわりと浮いた。
雨に濡れ立つ御鷹岳が、
僕に向って
「翠雨ですね」と呟いた気がした。
正門の向かい側にあるバス停で
千夜上(せんやうえ)駅前行のバスを待つ。
向かいの通りを歩く
作業服を着た男性は、
もう傘など差してはいなかった。


バスと電車を乗り継いで
迦宇羅(かうら)駅まで行き、
そこから十分程歩いた場所に
僕の住むアパートがある。
職場まで実家からだと
片道二時間半かかっていたため、
六年程前にここへ引っ越してきたのだった。
両親ははじめ
僕に一人暮らしさせることを
躊躇(ためら)っていたようだったが、
最終的には家探しも引っ越しも
僕より積極的に手伝ってくれた。


僕はこの小さな二階建てアパートの
角部屋である二〇三号室に住んでいる。
それぞれの階には三部屋あるのだが、
僕の部屋の真下にあたる一〇三号室は
ここの住人達の物置部屋として
機能しているため、
全部で五部屋が賃貸されていることになる。
現在空き部屋はなく満員御礼だ。
どの部屋にも柵でできたベランダが
西向きについていて、
目下にはゆったりと
土俵が設置できてしまう程の大きな庭が
広がっている。
庭の南側には
金木犀や弓弦葉(ゆずるは)、
本石楠花(ほんしゃうなげ)や
ユーカリなどの
さまざまな木が植わっていて、
その中央辺りから北に向って
石畳で出来たS字型の小径が伸びている。
その先には
大きな日本家屋が一軒建っていて、
そこにアパートの大家さんである
木戸田トキさんが一人で暮らしている。

トキさんの家とアパートは、
渡り廊下で繋がっている。
アパート一階の内廊下奥から伸びる
スロープ状の渡り廊下を下ると
トキさん宅の土間に出る。
土間の壁際には
使わなくなった竈(かまど)があったり、
その真向かいの壁際には
錆びついた鎌などの農具が
木で出来た収納ラックに
引っ掛けてあったりする。
白い布で覆われているのは
木臼(きうす)だそうだ。
杵(きね)はどこにやったのか
忘れてしまったらしい。

庭先に面した扉の近くには
トキさんが日頃の足として使っている
紺色の自転車が置いてある。
土間というよりは
納屋(なや)に近いのかもしれない。
部屋の真ん中には
木製の梯子(はしご)が付いていて、
屋根裏のようなところへ
出られるようになっている。
登らせてもらったことはないので、
上の階がどうなっているのかは知らない。

渡り廊下の出入口の
対角線上に位置するドアを開けると、
トキさん宅の台所へ
出られるようになっている。

僕は平日の十九時半になると、
その台所にお邪魔する。
平日のみトキさんの作った夕飯が
食べられるという特典が
このアパートの住人には
設けられているのだ。
ただし、食べに行く行かないは
自由選択だ。
自分の部屋で自分の好きな料理を
作って食べたって問題はない。
ただ僕は料理とか食事とかに
あまり興味がないので、
もしトキさんの作る夕飯が
食べられるという特典がなかったら、
きっと毎日コンビニで買った
胡瓜か竹輪を食べて
暮らしていただろう。




【YouTubeで見る】第5回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


【noteで読む】第4回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

【noteで読む】第6回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


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