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第6回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~共同アパートでの生活~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第六回



今日も例に漏れず
十七時四十分頃には
アパートに着いた。
夕飯までの空き時間に、
風呂に入ったり洗濯をしたり
部屋の掃除をしたりする。
今の時期は、
ちょうどベランダで
洗濯物を干していると、
夕日を拝むことが出来る。
雲の隙間で黄色い湯気を立てながら
朱色に染まったビー玉は、
鉄塔の間を何本も横切る送電線上を
音階麗(うるわ)しく下っていく。

僕から見える夕日は、
何処かの外国に住む誰かにとっては
朝日なのだと、
たった今
見つけたばかりの真理とでもいうように、
途方もなく果てしない心持になってみる。
そのあとすぐに、
それはいつしか
学校で覚えた詩に出てきた
一文のようでもあることに気付いて、
妙に安心した。

いつの間にか、
起きたばかりの幼い夜が、
僕の頭上から
ぬっと顔を覗かせていた。

トキさんちの台所に行くと、
杉さんが
みんなのランチョンマットや食器を
食卓に並べてているところだった。
そこに僕も加勢する。

「こんばんは」
「おお、堀戸さん。こんばんは」

骨太で筋肉質の杉さんは、
よく履き込んだジーンズに、
変わった柄の
アロハシャツをいつも着ている。
日に焼けたような色黒の肌に
派手な色柄がよく似合っている。
僕には着こなせそうにない。
今日は背中に大きな魚が
一匹大胆に描かれたシャツを着ている。
ただ、魚は魚なのだが、
なぜか人間の手足を持っていて、
尾びれの際から生えている両足を
クロスさせて左斜めを向いて立ち、
鰓蓋(えらぶた)の下から
突き出した両手には
扇子を持っていて、
それを頭上に翳してる。
盆踊りの体勢なのだろうか。
前身頃には
背中に描かれている魚と同じような
さまざまな
盆踊り風ポーズをとった魚たちが
小さめに何匹も描かれている。
一体どこで買うのだろう。


杉さんは数年前に
五十になったのを機に、
東京で経営していたプレス加工の工場を
売却したのだそうだ。
彼がこのアパートに入居してきたのは
半年ほど前になる。
東京には持ち家もあり、
奥さんと大学生になるお子さんも
いらっしゃるそうだ。

「こんばんわぁ」

間延びした声とともに
台所へ入って来たのは、
安朱原(あしゅわら)大学で
物理学の助教をしている田所さんだ。
歳は僕よりも五つほど上だったはずだから
今年で三十四、五になると思う。

この時期はいつも
水色のカッターシャツに、
ベージュのチノパンを履いている。
考えるのが面倒臭いという理由から
何着も同じものを持っているらしい。

トキさんありがとう、
うわぁ天ぷらですかあ、
僕の大好きな穴子まであるじゃないですか
と爽やかな声を上げ、
生彩(せいさい)な目で
トキさんの手元を覗き込んでいる。

「まあ、よかったわねえ。
 あらそうだわ、
 あなたの大好きな
 ししとうもあるのよほら、
 こんなに盛大に。
 すぐに揚げるわね」

トキさんはいたずらっぽい目で
田所さんに笑いかけると、
菜箸でししとうを
天ぷら衣にさっと付け通し、
オリーブ油の入った鍋に投入していく。
次々とシュワーッシュワーッと
威勢のいい音をたてて、
オリーブ油の中で踊り出す。
田所さんは、その様子に見とれながらも

「ししとうはほら、
 堀戸君の大好物だからさあ、
 なあ堀戸君。
 残念ながら、僕の食べる出番なし」

と言って
ズレ落ちた銀縁眼鏡を
指の甲で上げつつ僕を見る。

パチパチパチパチと、
心地いい音が
天ぷら鍋から溢れ出している。
僕とトキさんは、
飽きれた顔をつくって笑い合った。

今日の食卓には、
ししとうと穴子のほかに、
エビ、カボチャ、アボガドの天ぷらが
山折りにした半紙の上に並んでいる。
カボチャはきっとトキさんが
裏の畑で育てたものだろう。
良く冷えたくし切りのトマトも、
味噌汁に入ったオクラも、
トキさんの畑になっていたものだ。

裏庭の畑の隅には
夏みかんの木も植わっていて、
春になるとトキさんが
ジャムを作ったり、
蜂蜜をかけて
食後のデザートに出してくれたりする。


丁度ご飯の用意が整ったころに、
「こんばんは」と
小さな子供のような声で
挨拶しながら入ってきたのは、
プログラマーとして
フリーで働いている
ミャンマー出身のルウィンさんだ。
日本に来てからずっと
このアパートに住んでいるそうで、
ここに来てもう六年になるらしい。
紗英さんと同い年くらいだろうか。
夏になるとたまに
ミャンマーの民族衣装を着て
台所に現れるので、
僕たちははっとさせられる。
鮮彩なピンク色をしたロングスカートと
控えめな光沢感のある
シャンパンゴールドのブラウス。
この家には見当たらない
エキゾチックな色合いだ。

ルウィンさんは
よく笑う愛想のいいひとだが、
この服を着た日には、
いつも以上に笑顔が多くなる。
トキさんも田所さんも褒め上手なので、
ルウィンさんは顔を紅潮させながらも、
まんざらでもない様子で
一層笑顔を振舞いてくれる。
僕がここに来てまだ間もない頃、
夕飯のときに
ルウィンさんが自己紹介してくれたなかで
民族衣装の話題になり、
それに食いついたトキさんが
是非とも見てみたいわとお願いしたら、
その年の夏、
帰国したときにわざわざ
衣装を持って来てくれたのだそうだ。
それがきっかけとなり、
夏になると
トキさんと田所さんの
熱い要望に応えて
たまに着てきてくれるのだ。

「さあ、いただきましょうかね」

トキさんは自分の椅子を引きながら
いつもの決まり文句を口にすると、
みんなバラバラに
「いただきます」と唱えて、
それぞれ好きなものから食べ始める。

僕の左隣りに座っている田所さんが、
「どう?」と言って
お箸で摘まみ上げたししとうの天ぷらを
僕の方へ持ち出して来る。
僕は
「じゃあひとつくらいなら」と言って
茶碗で受け取る。
僕は今のところ
嫌いな食べ物は無い。
ただ、マヨネーズを筆頭とする
まったり系のドレッシング類が
苦手なくらいだ。
少しでも口にすると
気持ち悪くて吐き出してしまう。
だからいつもサラダは
塩か酢醤油かオリーブ油でいただいている。

アパートにはもう一人、
専門学校で
アニメの勉強をしながら
駅前の蕎麦屋でバイトしている
中国出身のトーマスさんという
学生も住んでいる。
今日はバイトなのでここには居ない。
一緒に夕飯を食べるのは
週に二、三度だけだ。
トーマスさんは
蕎麦屋のユニフォームである作務衣の
扮装(いでたち)と着心地を
甚(いた)く気に入っているらしく、
自宅の部屋着としても
作務衣を愛用している。
冬になると、
コースターや鍋敷きなんかでよく見かける
花のような幾何学模様を
全体に配した綿入の袢天(はんてん)を
羽織って台所まで下りて来る。

一度その袢天を
羽織らせてもらったことがあるが、
とても軽くて暖かかかった。
トーマスさんが着ていたものだから
温かかっただけなのかもしれない。

「駅の南のスーパーあります、
 そこでかいましたね。
 そこ帰りとおりますね。
 なので堀戸さんのおなじはんてん、
 ぼくかってきますか?」

と、彼は満面の笑みとともに
訊いてくれたのだが、
丁寧に断った。

僕は防寒具として袢天ではないけれど
ダウンジャケットを持っているから。
冬になると部屋でもダウンを着ている。
暖房を点けないと
凍死するのではないかと思う程
このアパートでの冬は寒い。
僕は暖房が苦手なので、
それを点けずに
ダウンとスチーム機能付きの
遠赤外線ヒーターを足元に据え置いて
乗り切っている。


食事中は
何かの話が盛り上がって
賑やかになることもあるが、
基本みんなそんなにべらべら喋らない。
田所さんがいつも
旨い旨いと
独り言を言って食べている声が
隣から聞こえるくらいだ。
それから、茶碗の白飯を
平らげてしまった人に向って
トキさんが尋ねる声。

「杉さん、お代わり、入れましょうか?」
「いやあ、では、半分くらい。
 ありがとうございます」

トキさんは、
杉さんから
慎まし気に差し出された茶碗を受け取ると、
物柔らかな笑みをもって
ご飯を装(よそ)った。
僕はおこげが好きだけれど、
トキさんは
おこげが入っちゃったわと言って謝る。
土鍋の中の余ったご飯は、
トキさんがおむすびにして、
朝ご飯にしているらしい。


いつも食べているこのお米は
トキさんの幼馴染みである
ユキ兄という方が
自然栽培で作ってくださっているものだ。
タダでいただいてるのよと
トキさんは感慨深げに言っていた。
トキさんの家は昔百姓だったそうで、
納屋にはもう
何十年も前から
埃をかぶったままの
色彩選別機が置いてあったそうだ。
うちでは使わないものを
置いててもしょうがないとうことで、
農家を始めたユキ兄さんにあげたところ、
そのお礼にと、
毎月お米をくれるようになったらしい。

ユキ兄さんが米作りを始めて
今年で十年とかそれぐらいになるそうで、
色彩選別機の導入をきっかけに、
ネット上の直販サイトにも
出品しているという。
彼の名前に「兄」と付けて
呼ぶくらいだから、
トキさんより年上なのだろう。

二人とも
七十を過ぎているようには見えない。
土日には
彼とトキさんが
二人で縁側に腰かけて
笑っているところを、
自室のベランダからよく見掛ける。
田所さんもそのことを知っているらしく、
「夫婦みたいだよね」と
嬉しそうに言っていた。


夕飯が済んだら、
おのおのに
「ごちそうさまでした」と言って、
自分の食器を流し台へと運ぶ。
それから各自室へと戻っていくのだか、
僕と田所さんは部屋には戻らず、
縁側に面した畳の広間に移動して
緑茶をいただくのが
通例となっている。
たまに杉さんやルウィンさんも
来てくれる。
トーマスさんは、
バイトが休みで
夕飯に顔を出せる日には、
彼も必ずお茶会に顔を出す。
彼の井出達がそうさせるのだろうか、
誰よりも
緑茶を啜る姿が似合ってしまう。



【YouTubeで見る】第6回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


【noteで読む】第5回 (『ノラら』堀戸から見た世界)

【noteで読む】第7回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


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