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第14回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~夢でみてきたもの②~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第十四回



その美しい調べに再会した歓びで
いっぱいになった僕の頭上から、
アカシアの練り物が
ハリガネムシのように蠢(うごめ)きながら
にゅるにゅると出て来る。
それと同時に僕の身体が
どんどん軽くなっていく。

仕舞には地面から両爪先が離れ、
僕の身体は宙へ浮いてしまった。

図書室の天井近くまで浮き上がった所で、
頭上から出続けていた
アカシアのうにょうにょの出現が止まった。

出尽くしたようだった。

図書室の天井に
頭がぶち当たりそうになった瞬間、
天井が炊飯器の蓋のようにパカッと開いた。

僕は勢い付いてどんどん上昇していく。
良く晴れた日曜の朝のように
暑くも寒くもない穏やかな天気だ。

僕は抜け出た図書室の外観を
澄んだ上空から見下ろしてハッとした。
図書室は
僕が授かったはずの
オルゴールの形をしていたのだ。

プラチナ色の下地に
様々な宝石が散りばめられた
巨大なオルゴールからは、
途切れることなく
壮麗なハーモニーが輝き溢れ出してくる。

上空からは、
僕から出尽くした
アカシアのうにょうにょ達が
オルゴールの底で
ぬたくっている光景がちらりと見えた。
うにょうにょ達は
オルゴールの音色の中で塵に紛れて
どんどん小さくなっているようだった。

あれは僕の脳内で
蠕動(ぜんどう)していた腑抜けた思考の
最期の存在証明なのだろう。


宙に浮いた僕は、
そのスペクタクルな演出に
朧気(おぼろげ)な視線を送っていた。
すると小さくなっていく
うにょうにょ達を取り巻いていた塵が、
だんだんとボリュームを増しながら
こちらへ上昇してくるではないか。

僕は、上昇してくる塵の大群に
襲撃されるのだろうと、
意外にも呑気に流れに身を委ねていると、
突然「ブーン」という
藪蚊が耳元を掠めたような音が聞こえた。
次の瞬間には、
僕の身体は超新蝶の飼育ポットの中に
すっぽりと納まってしまっていた。

僕の入った飼育ポットは、
一気にうす青い塵の大群に取り囲まれた。

塵がポットにぶつかる度に、
カンカンコンコンと
氷あられでも
降って来たかのような音を立てる。


よく見ると塵のひとつひとつが、
蝶のような翅を持ち合せている。
いや、蝶ではない、蛾だ、
オナガミズアオだ。
鱗粉を感じさせない
エメラルド調に透き通った翅の
前縁(ぜんえん)には、
桑の実色をした愁眉(しゅうび)が
一筆書きで涼し気に描かれている。


オナガミズアオの大群に
すっぽりと包まれてしまった
飼育ポットの中で、
僕は春の竹林の中に
佇んでいるような気分にさえなった。

重なる翅々の隙間から漏れ入る月光が、
僕の額を眩しく照らしている。
確か今日の月は、
明日明後日には
満月になるような形を
していたんじゃなかっただろうか。
僕はどうしても
月の全貌を見受けたくなり、
飼育ポット上部の蓋へ
両手を伸ばして回し開けた。

手を使うまでもないくらいに
蓋は軽々と開き宙に浮いた。
強烈な光が射し込んでくるとともに
先程まで聞こえていた
オルゴールの音楽が止み、
代わりに耳鳴りのような音が脳内を襲った。

頭上に浮かぶ巨大な月の
満月か否かの判別を試みる小さな僕は、
首が吊りそうなほど
宙の真上に顎を突き出して、
白化した月の臀部を見上げていた。

その圧倒的な月の体積を
身体全体で受け止めていたら、
ふと疑問が湧いてきた。

「月は何故白化してしまったのだろう」

その直後、
耳鳴りの聞こえる奥の方から
「死んだふりをしてるんですよ」
という個性のない声が聞こえた。

はっとして辺りを見回したが、
そこには
宇宙の広がりが広がっているだけで、
誰も居てはくれなかった。

目下では、
僕がいつの間にか
抜け出してきてしまった飼育ポットが、
足先よりかなり下方に
留まっているのが認められた。

無重力状態の飼育ポットの本体と
蓋に群がるオナガミズアオたちは
飛び立つ素振りすら見せず、
凛と両翅を広げて
皆で大事そうに
飼育ポットを抱えているように見えた。


僕はその光景を
とても懐かしい気持ちで見下ろしていた。
もう一度飼育ポットに戻ろうかと思い、
僕は宇宙の海を平泳ぎで掻き分けながら、
オナガミズアオの群れ目掛けて泳ぎ始めた。

両腕を二、三掻き、
動かしたところで、
急に僕の背中を誰かが引っ張った、
と感じた。

僕の意志とは関係なく、
背中からぐいぐい月の方へと
引き寄せられていく。

仕舞には月をしょい込むように、
僕の背中は月の臀部に
ぴったりとくっついてしまった。
それからあのオルゴールの音楽が、
ここぞとばかりに
スペクタクルに辺りを満たし、
僕はまた、
あの何とも言えない幸福感に包まれた。

背中に背負った巨大な月が、
音楽に反応して
振動しいるのが伝わって来る。
その振動は地殻変動による
地震のように大きなものになっていく。

だが、オルゴールの音楽以外に音はしない、
とても静かだ。
背中を伝わる振動が止むと同時に、
僕の身体が数十メートルほど
背中側にさらにぐいっと引っ張られた。
引っ張られた瞬間、
透明な若しくは光で縁どられた、
巨大な蝶の翅が僕の視界に飛び込んできた。

はっとして後ろを振り返ると、
背負っていたはずの白い月が、
大きな蝶の翅に変容していた。

こんな蝶は図鑑でも見たことがないぞと、
興奮気味で翅を動かしてみたりした。
意志通りに動く翅を見て、
この蝶は僕自身なのだと認識した途端、
自ら考えたことが
身をもって実験できるという
感激交じりの興奮へと変化した。


鼻の辺りから生えた口吻を
伸ばしたり巻いたりして遊んでいると、
田所さんの乗った潜水艇が現れた。
僕の斜め前方で滞空するその艦を、
ここでは宇宙船と言った方が
良いのかもしれない。
田所さんは新種の蝶になった僕を見て

「それだよ、透下なんだよ」

と嬉しそうに言った。
なんでこんな簡単なことに
今まで気が付かなかったのだろう。

宇宙に充満しているオルゴールの音楽が、
翅の先から腹の奥まで
雪崩れ込むようにして聴こえてくる音響に
恍惚とした。

そうだった、僕は透下だったんだ、
そんなことも思い出せずにいた
自分の滑稽さを目の当たりにし、
次第に笑いが込み上げてくる。


僕は宇宙の真ん中で
巨大な翅を目一杯広げて笑い転げていた。
新種の蝶になった僕の身体と、
それを抱く宇宙が
愉快なまでに一体化していった。

透明な翅から発せられる光の輪郭を、
幾度となく無邪気に羽ばたかせて、
歓びを表現せずにはいられなかった。

夢から醒めても、
この出来事を忘れたくないと思った僕は、
零れ落ちる鱗粉を
前脚の爪にしっかりと挟み込んだ。
それから田所さんに向って

「これ!僕ちゃんと持って帰りますんで!」

と言って満面の笑みで前脚をバタつかせ、
爪の中の鱗粉をキラキラと振り撒いて見せた。


早朝、
僕は異様なほど呵々(かか)と笑いながら
目を覚ました。
真顔に戻ってからも暫くは
うつ伏せのまま動けなかった。

さっきまでみていた夢が
本当に夢でしかなかったのかという
呆気なさに放心していた。

夢の中で夢だと気付いた僕が
持ち帰ろうとした蝶の鱗粉が、
爪の間に
残っているかもしれないことを思い出し、
左右の手を念入りに調べたが、
何の変哲もない
いつもの僕の両手がそこにあるだけだった。



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