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第13回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~夢でみてきたもの①~

『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第十三回


この夜、夢の中で、
僕は田所さんと二人、
扇風機の羽根を横にしたような
奇妙な形の潜水艇に乗って、
深い海の底を探索していた。

操縦席に座っている僕の隣で、
田所さんはカップ焼きそばを食べている。
潜水艇内は、食欲をそそる
ソースの香りで充満していた。

そんな田所さんに向って、
僕は熱心に喋りかけている。

「端的に言えば、疑っている、
 ということになります。
 疑心暗鬼のギというより、
 疑似乱数のギとして、
 疑っているようなものです。
 原則も例外もない、
 もしくは二つの間に
 截然(せつぜん)とした区別は
 存在しないと
 僕が決めてしまったので、
 逸脱のしようがないんです。
 観察対象は、
 僕という固有のソフトを通して
 見られてますから、
 当然といえば当然です。
 思い付いた疑問の数々は、
 それらを凌駕するほどの
 潜在的疑問の『数々』の一部です。
 あるひとつの検証方法を
 思いついたとしても、
 それはあるひとつの検証方法の
 ひとつの域を出ません。
 なので、僕はこの固有のソフトを
 恐る恐る信じてみることでしか、
 蝶の研究ができません」

そう言い終えた後、
僕は手元のディスクを回して
潜水艇を左へ二十五度旋回した。

コックピットの外を
ウミガメが浮遊していくのが見える。
隣にいる田所さんは、
割り箸を持った手を
空中で静止させたまま、
ソース焼きそばを咀嚼中だ。
目はウミガメの行方を
追っているようだった。

田所さんは、
ゴクリと焼きそばを飲み込むと、
「なるほどね。堀戸君らしい値だ」
と言って、残りの焼きそばを啜った。


海底をゆっくりと進んでいく。
前方には、
水面から降り注ぐ光の柱を一心に受け止める
岩肌が光って見えた。
その周りを無数の小さな生き物が
取り囲むようにして群がっている。
それらは蝶のように見えた。
羽ばたく仕草は、
水中だと言うのに軽快だ。
近づくにつれ、
羽ばたく翅の模様が鮮明になっていく。
透き通る海の色を内包した
ステンドグラスのような翅。

それはアサギマダラの群れだった。

海底に蝶が生息しているなんて、
聞いたことが無い。
単純明快な疑問で、
頭の中は混乱していた。
と同時に、僕の胸の内側は、
気圧変動を起こしたかのような
ビッグクランチさながらの圧縮感に迫られた。

生きられる温度範囲が
実に狭いアサギマダラは、
適温を求めて長距離を飛行する。
彼らが最期に訪れるのは、
台湾でもヒマラヤでもなく、
この何処だか分からない
海底の溶岩上に聳(そび)え立つ、
光の柱だったというのか。


光の中に舞い込んだアサギマダラは、
一瞬にして塵と化してゆく。
眩い光を弾く細かな塵が、
光の柱を作っているようにも見える。
潜水艇は、
アサギマダラと満天の塵の中を
造作も無く突き進んで行く。

そしてその光の中心に
触れそうになった瞬間、
横に居た田所さんが、
「投下だ」と独り言ちた。

発された言葉の意味が分からず、
何か言おうとしたのだが、
僕らの潜水艇は、
光以外名付けようのない
圧倒的な眩さに包まれ、形を失った。


自分の居所すら定かではない光の中で、
意識だけははっきりとしていた。
田所さんを探さなければと思う反面、
自分すら見当たらないのに
それは無理な話だろうと、
何故だか愉快な気分にさえなった。


途端に場面は変わり、
意識だけだった僕は、
また元通りの身体を纏って、
インドなどで見掛けそうな
宮殿じみたお堂の前にいた。
白カブを逆さにしたような
石灰岩で出来た屋根を冠した建物もある。

そのお堂へと続く階段の中途で、
僕はうつ伏せに倒れた状態で
辺りを見回していた。

そこへ突然
半透明の虹色をしたストールを
頭から纏った女性が下から駆けてきて、
ひょいと僕の両手に何かを置いて行った。
見るとアーチ型をした
蓋付のオルゴールだった。

中には「アカシア」という言葉が
水中花のように浮かんで見えた。
箱側面についているネジを回すと、
今までに聴いたことも無い
美しい音楽が流れ始めた。
アカシアとは、
このオルゴールの名前なのだろうと思った。
そして何故か僕には、
このオルゴールから流れ出る音楽は
「透下」と名付けられた詩を
必要としていることが分かった。

まずはアカシアについて
調べなければならないという
衝動に駆られた僕は、
目の前に立つお堂へ、
重い身体を引きずって行った。


お堂の中は薄暗く、
エキゾチックなお香の香りに満ちていた。
さっきから、ずっと僕の隣に誰かがいる。
居るとわかるのだけれど、
顔が見えない。
姿の模(かたど)りだけが
白い靄(もや)のように見えている。
性別もわからなかった。
その従順な誰かを引き連れて、
僕はお堂の中にあった
図書室へ入っていった。


中は洞窟のようにひんやりとしていた。
天井まである書棚に
敷き詰められた蔵書からは、
郷愁を誘う馨(かぐわ)しい冷気が
立ち込めている。
僕はアカシアについて書かれた本を
迷うことなく見つけ出し、
書棚から抜き取った。
艶のあるシリコンのような
手触りのする装幀は、
紙写真をフィルム保護して納める
アルバムのように、分厚く重たかった。
丁寧に中を繰っていくが、
文字が読めない。
ところどころに描かれている挿絵を頼りに
アカシアについての知識を得ようと努める。

本の中頃に、
何処かの先住民族と思われる人物が
儀式を行う時の恰好をして、
顔にアカシアの練り物を塗っている
白黒の絵が挿入されていた。
次のページを捲ると、
アカシアで出来た赤味噌のような色の
実物の練り物が、箱の中に納まっていた。
先ほどのページの先住民族が
顔などにペイントしていた練り物と
同様のもののようだ。
魔除けやお清めといった
呪術的な意味があったのだろうか。

僕は好奇心から、
その本の中の箱の中に収まっていた練り物を
人差し指で掬った。
覿面(てきめん)、僕の指先は
マグマにでも突っ込んだかのように
凄まじく発熱し、
その後痺れを伴う激痛が走った。
咄嗟に服の裾でそれを拭き取ったが、
しばらくは熱も痛みも治まらなそうだ。
その時僕は初めて
自分が亜麻色をした麻でできた
パジャマみたいな服を着ていることを知った。
僕に付いてきている隣りの誰かも、
同じような恰好をしているらしい。

その誰かは、僕を真似てだろうか、
アカシアの練り物に手を伸ばした。
「いけない!」と言って制止しようとしたが、
手遅れだった。

その誰かは
右手いっぱいに掴み取った練り物を
べたりと顔に塗り付けてしまったのだ。
発熱と痛みに悶えるその誰かを、
どうしてあげることも出来ず、
ただ横で本を持ったまま突っ立って見ていた。
その誰かの顔に塗られた練り物は、
風船のように膨らみ出し、
書棚と書棚の間に挟まれ、
あとは割れるしかない
というところまで来たその時、
風船の一部分が
本の中に描かれていた
先住民族の顔に変型した。
アカシアでペイントした先住民族と
化していくその誰かは、
僕の手の中の本の中へ
吸い込まれるようにして消えて行った。

その本の表紙には
『アカシアと先住民族の関係性』
と記されていた。


そして僕の隣には、
さっきまでいた顔の見えない誰かと
全く同じ気配を持った人物たちが、
行儀よく一列になって
図書室の出口の外まで
並んでいるのが見えた。
今更ここで僕は気付いた。
この図書室にある蔵書の全てが
アカシアと何かの関係性を
記したものであるということ、
そして僕の隣に発生している
長蛇のその誰かの列は、
本の中へと帰る日を
今か今かと待ちわびる、
その誰か達の列なのだということを。

その先頭に立つ僕は、
この列を成す誰か達を
本の中へと帰還させるべく
捌(さば)いていかなくてはいけない
ということなのだろうか——

『アカシアとテクノポリスの関係性』、
『アカシアと空洞保持の関係性』、
『アカシアとワンド形成の関係性』、
『アカシアと蹉跌(さてつ)の関係性』、
『アカシアと呈色の関係性』、
『アカシアとイデア論の関係性』、
『アカシアとその他の面の関係性』、
『アカシアと移調頻度の関係性』

——スチール製の書棚が
生き物のように縦横へ
スルスルと伸び拡がっていく。
その中に整然と並べられていく
関係性の蔵書群。
もしかしたら僕自身が、
アカシアとの関係性を見出して、
本の中へと帰すべきなのだろうか。
そこには「透下」の詩が
描かれているのだろうか。

僕は半ば無意識状態で
目の前の棚の中で生成され続ける本を
素早く抜き取り、
それを顔の見えないその誰か達へと差し出し、
彼らが本の中へと帰していくのを
手助けしていた。
完成されていく
アカシアと何かとの関係性の蔵書群を、
僕は書棚には戻さずに宙で手放していった。
蔵書群は勝手に自らの場所を見つけ、
あるべき場所へと収納されていく。
工場でのライン作業のように、
僕の小さな活動は、
図書室にとっての
欠かせない一部と化していった。

この反復作業で
陶酔状態となっていた僕の耳に、
虹色のストールの女性から授かった
オルゴールの音楽が聞こえてきた。



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【noteで読む】第14回 (『ノラら』堀戸から見た世界)


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