【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第5話 忍sideー 事故
俺には、記憶が無い。
自分という存在を確認するものは普通運転免許証と、俺が目を覚ました時に綺麗な顔をぐしゃぐしゃに泣いて病院まで飛んできたガリ勉野郎の雨宮弘樹って野郎だけだ。
どうせなら、目覚めた時に綺麗な女の子に会いたかったけど、そんな夢みたいな事は言っていられない。
そう、俺は一度死んだようなモンだ。
医者の話によると、どうやら俺は家族に勘当されているらしく、この携帯にあった雨宮って男以外、連絡を取る手段すら無かったらしい。
一瞬だけ入院費と手術費のセットでとんでもない高額な請求書が飛んできたものの、全て労災で片付いた。
リハビリの間、綺麗な理学療法士と言語なんたらっておねーちゃんがサポートしてくれて、それはそれは幸せな時間だった。
でも、俺の外傷性ショックってヤツは結局リハビリしてもキッカケがないと回復しないらしい。
まあ、勘当されてるっつー事はそれなりに事情があったんだろうし、この記憶喪失も別に仕事に支障が無ければ気楽なもんだ。
退院の時も雨宮って奴が全部俺を助けてくれた。よくわかんねえけど、こいつは昔からの親友らしく、ずっと俺と同じ学校に通っていたらしい。
「何から何まですいませんね、雨宮さん……」
俺は至極普通にお礼を言ったつもりなのに、この野郎は大爆笑しやがった。何が悪かったんだ?
「ごめん、ごめん。なんか、田畑がそんな言い方するの気持ち悪くて!」
「ハッキリ気持ち悪いとか……結構失礼な野郎だな。だってよ、俺はお前の事知らねえんだからしょうがないだろう」
覚えていない、と言った瞬間、雨宮の顔つきが変わった。そりゃそうか、こんなによくしてくれる奴に、お前なんか知らないって言えば悲しい……のかな。
「そうだった。田畑は俺の事も覚えてないんだよな。って事は、麻衣ちゃんの事も……?」
「麻衣だあ? なんだよ、俺に彼女でも居るのか?」
「麻衣ちゃんは、3歳年下の田畑の妹さんだよ。嫁の親友なんだ」
こいつ、俺と同じ歳なのにもう嫁がいるのか。イケメンで嫁までいるなんて羨ましい身分だ。
しかも確か薬剤師になる為の試験で忙しいんだったか。これ以上俺のせいで迷惑かけてられねえな。
「麻衣ねぇ……勘当されてる身だし、その妹とやらもどうなんだか」
「一度会ってみるといいよ、お前ん家は品川区の本籍通りじゃないか?」
「ああ、そう言えば……」
財布には使っていない免許証が入っていた。役所で調べると実家の住所くらいはわかるだろう。
流石にお役所で『お前は勘当されているから本籍は知らせられない』なんて言われないはず。
俺は国家試験に向けて多忙な雨宮と別れてその足で市役所に行き、実家の住所を調べる為に戸籍謄本を申請した。
今住んでいる会社の寮は西東京市だが、真反対の品川に実家があるなんて不思議だ。俺は記憶を無くす前に一体何をしでかしたのか。
例え門前払いされたとしても、親に真実を聞きたい。
山手線に揺られながら品川駅で降りた。人が多すぎてアプリで地図を確認しないと、とても実家を探すなんて出来ない。
しかもここはどうやらビルが多いらしく、土地勘がないと簡単に辿り着けないだろう。
仕方ないので俺はタクシーを使った。ここでケチっても時間の無駄になってしまう。
運転手のじいさんに行きたい場所の住所を告げると、ここは一方通行が多いから、途中で降りてあとは歩いた方がいいよと教えてくれた。
金にがめつそうな都会にも親切なじいさんがいるもんだと有難い気持ちになった。俺は言われた通り一本道の前で降ろしてもらい、お金を支払い、じいさんにお礼を言って別れた。
「なんか、変な入り組んだ所にあるなあ……」
土地の値段はわからないが、ビルばかりあって高級車がずらりと並ぶ一軒家の近くに家を構えると言うことは、俺の実家はまさか金持ちなのか?
そう言えば、俺にいるらしい妹がS女学校とやらに行ってたんだっけ。
ネットで検索したらビックリするくらいのお嬢様学校だった。そんなところに通う妹がいて、俺は土方業って、本当にそれは兄妹なのか?
じいさんに言われた通りの道を進み、交差点を曲がりさらに入り組んだところに俺の本籍に記載された住所は確かに存在していた。
先ほど見てきた高級住宅街からは少し離れていたが、この辺りにも立派な家やマンションが並んでいる。
「ここか……」
田畑、と記載された表札を見つけ、俺はどうやって入るか考えた。勘当されているのにインターフォンを鳴らした所で両親は出てこないだろう。
戸籍謄本で知ったが、俺の父親は既に他界しているらしい。
親父が生きていたら男同士、もっと色々な話が聞けたのかもしれないが、こればかりはどうしようもない。
インターフォンを押そうか門の前で悩んでいると、顔見知りなのか買い物袋を持った中年の女性が俺に駆け寄ってきた。
「あ、あんた……まさか、忍くんかい?」
「え? えっと、ハイ、そうです……実は……」
どうやらこのおばさんは俺の事を知っているらしい。記憶が無いからその痕跡を探しに来たと告げようとしたが、先におばさんが感動して泣き始めてしまった。
「まあまあ、こんなにおっきくなって……お母さんには会ったのかい?」
「いや、その……会っていいのかも分からなくて。俺実は──」
「──他人がうちの前で何やってんだい」
おばさんにどう説明しようか悩んでいると、家の中からツカツカと派手な女が出てきた。おばさん同士で時々俺に視線を投げて話をしている。
睨みつけてくる目がかなり怖い。かなり険悪な空気だ。一体俺はあの派手な女と何があったんだ。
「忍かい?」
「は、はい。あの〜記憶喪失って状態で免許証を調べたらこの家が実家らしいからそれで俺の」
「家に息子なんて居ないよ。悪いけど人違いだね」
「美代さん!」
「忍は死んだんだよ、私の大切な可愛い麻衣まで奪い去って……思い出すだけで腹ただしい。今すぐここから出ていっておくれ!」
女は突然庭にあったホースを持ってきて俺に向けて水をぶちまけてきた。かなり興奮しているようで話にならない。
俺は説得を試みるおばさんを連れ、母さんと思われる人物からさっさと離れた。
水びだしの俺を哀れに思ったのか、おばさんが自宅へと招き入れてくれた。
父さんが事故で死んでから美代と呼ばれていた俺の母さんは人が変わったらしい。
「紅茶だけどいいかい? 忍くんが若くてもあんなに濡れたら風邪引いちゃうよ」
「すんません……俺、やっぱりここに来るべきじゃ無かったんですね」
おばさんにバスタオルを借りてとりあえず濡れた頭を拭く。その間におばさんは古いアルバムを出してくれた。
「美代さんの所と交流があったのは10年前くらい前かねえ。うちも子供が居たんだけど、病気で死んでしまったから、忍くんと写っている写真が古くてね」
色褪せたアルバムには確かに中学生くらいの俺とよくしてくれている雨宮、それともう二人の男が楽しそうに遊んでいる姿が収められていた。
パラパラと違うページを捲ると、今度は笑って花火をしている女の子の写真があった。
「この、女の子は?」
「ああ、雨宮くん家の妹さんだよ。雪音ちゃんって名前だったかね。あとこっちが忍くんの妹さんの麻衣ちゃん」
「麻衣……」
俺はそのアルバムの写真を凝視した。黒髪の日本人形みたいに整った顔立ちの綺麗な子だった。
「本当に、昔の忍くんと麻衣ちゃんはいつも喧嘩ばかりしていて……でも麻衣ちゃんは見てわかるくらい忍くんの事が大好きだから、素直になれなかったんだろうね。いつも可愛いやり取りしていたよ」
「そう、なんですか……」
「何か、思い出せそうかい?」
俺は首を左右に振った。妹が居るってことと、雨宮が俺の昔からのダチで、実家は存在しているが完全に絶縁されているという事がわかっただけでも収穫だ。
妹の居場所も聞きたかったが、それはやめた。母さんにあそこまで拒絶されているのだ。この写真に写る可愛い妹にも同じ態度を取られたら、俺はきっと立ち直れないだろう。
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