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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 「第4話 心の支え」



  弘樹さん達が店を出た後、見計らったようにミカが近寄ってきた。これはいつもの事だ。

「ねぇーマキちゃん〜。弘樹さん紹介してくださいよぉ〜、センセー達来た時に、ゼッタイ私の事呼んでくれないじゃないですかぁ〜」

  ミカをヘルプとして呼ぶのは大変だ。指名には料金制度があるので、彼女をただ隣の席に置くだけでも結構高くつく。
  料金が高いからという理由だけならば、ミカは弘樹さんに近づきたい人間なので、そこはオフレコで、と指名料を取らない可能性だってある。
 ミカをヘルプとして呼べないのは、もう一つ重大な理由があった。

「弘樹さんには、奥さんと子供がいるのよ。だから深入りしない方がいいよ」

「ええ〜!?    奥さんと子供が居てここに来るなんて、絶対溜まってるでしょ〜、センセーの相手もいいんだけど、やっぱりイケメンも見たいしぃ〜」

  ミカがいくら可愛くても絶対に弘樹さんは紹介出来ない。何がキッカケで弱みを握られるかも分からない世界だ。
  いつかここを辞めようと思っている身としては、安定した仕事に就いている弘樹さんにこれ以上の迷惑はかけられない。

「弘樹さんは絶対ダメ、これは私との約束だから」

「ふぅ〜ん、マキちゃんもしれっと枕営業してる訳か。そうじゃなきゃあんな上玉、毎回来ないよねぇ」

  枕営業……と言われても返答に困る。
 それは親友の雪ちゃんに対しても、弘樹さんに対してもいいイメージではない。
  そもそも、ここに出入りして貰うことがもう弘樹さんにとって悪い印象しか与えていないので、どう返答したら良いか悩む。

「弘樹さんはそういう対象じゃないの。いるじゃない?   ただ職場と違う環境で話がしたいだけって人」

「そんなの、自分の経歴自慢したがりの金持ちタヌキ親父達じゃん〜。あの人は若いからここに出入りって、何かあるんでしょお?」

  流石ナンバーワンのミカは鋭い。彼女は営業方面も長けているが、どんな業種、タイプ別でも会話が弾むように毎日かなりの情報を得て勉強している。
 キャバ嬢はただ煌びやかなだけかと思っていたがそうではないらしい。という事を私はこの世界に入って初めて知った。
 上に行くには地道な努力と様々なジャンルに対する勉強。そして記憶力、忍耐力、自分を完全に偽る力が求められる。

  毎日淡々とした中で、好みがどストライクな弘樹さんがふらっと来た事は、ミカにとってかなりの刺激らしい。だから毎回私に話しかけてくるみたいだけど。
  もう朝の4時。始発と共に西東京市の家に帰り色々準備したい。忍にLINEしたいし、どんなに短い時間でも、彼に逢いたい。

「……ごめんミカ。私フロア掃除しなきゃ行けないからそろそろこの話終わりでいい?    あんたみたいに稼いでる訳じゃないから、次の仕事行かなきゃ」

「ええ〜っ、弘樹さんとエッチしてくるの?」

「あのね、奥さん居るって言ったでしょ。ただの単調事務作業。仮眠取らないと頭回らない」

「ホントかなぁ〜??    じゃあまた今晩ね!」

「はい、お疲れ様です」

  やっとミカから解放された所で、私は掃除用の服に着替えモップを取りに物置まで走った。するとそこには私が弘樹さんを顧客にしている事を好ましく思って居ない同僚達が待ち構えていた。
  ミカとは違い、年上のこの人達は少し面倒くさい。私は退いて貰わないと掃除が出来ないと思いつつ、横を無言で通り過ぎた。

「──っ」

  年長のエリさんに足払いをされ、私はボトルと共に転んだ。中身が入っていたのでガラスの割れる音と、さらに身体に大量のシャンパンがかかる。

「あ〜あ、ソレ超高いやつなのにバカみたい。店長に言っておくね、テメェの給料無しにして貰うように」

「きゃははっ、それいいわぁ。こいつ居なくなったらあの研修医狙ってみよぉ〜っと」

  女達の汚い笑い声がフロアに反響していた。この時間は私のような下っ端しか残って居ない。
  多分、店長は別の部屋に居るだろうけど、それなりに業績を上げているキャバ嬢を敵に回すような事はしない。下手に攻撃して別の店に引き抜きされたら困るからだ。

  エリさんに落ちた破片を蹴られ、それが私の顔と腕に当たって血が流れた。自分の傷の確認よりも、私は一本30万円を超えるボトルがわざわざこんな所に置かれていた事と、明らかに足払いをしてきた事と、掃除を増やされた事に怒りを覚えた。
 でも絶対に手は出さない。先に手を出した方が負けだ。こんな馬鹿な女に負ける要素は無いけど、別に上を目指している訳では無いのだから、とにかく悔しくても我慢するしかない。

 嘲る声がまだ耳に残っていたが、私は無言でシャンパンのボトルの破片を集め、ゴミ袋へと入れた。
 互いの足の引っ張り合い。こういう事があるから汚れてもいいような服は常に持ち歩いている。絶対に仕事の服は汚すわけに行かない。



 ────



 酒臭い自分の身体を清める為、私は先に新宿の家で手早くお風呂に入り、服を洗濯機に入れてから6時代あの電車で西東京市にあるもう一つの隠れ家を目指した。
 不眠状態で電車に揺られるのは辛いものだが、今日も忍に会えるのだ。好きな人に会う為なら、これを苦労とは思わない。
  もう一度携帯を取り出してLINE画面を開く。昨日送った文章に、忍からの返信はかなり遅かったけど『今日も会いに行く』の文面に思わず顔がニヤけた。

  苦行とも思える忍探しの旅が漸く終わり、あの寂しい隠れ家に行くのが楽しみになっている。
  電車を降りてマンションに向かうと、忍が先にエントランス前に立っていた。

「もうランニング終わったの?    早いね」

「ん?    何か昨日変な夢見たせいで早起きしちゃって。だから走るのは1時間前に終わった」

「そうなんだ……待たせてごめんね」

「ああっ!    俺バカだな。何でこのまま来ちまったんだろ。寮に戻ってシャワー浴びて来りゃ良かったのに……」

  またランニングスタイルできた事を恥じているのか、忍は困ったように頭をかいた。着飾らない方が私としては嬉しいのだけど。

「家でシャワー入ればいいじゃない。今度、忍が使ってるシャンプーとか置いてっていいから」

「ん〜、何だか悪いな……」

「気にしなくていいよ、だって『彼女』なんだし」

  必要最低限しか置いてないこちらの家に2人の物が増えると嬉しくなる。
  ただ、この嘘で塗り固められた私の幸せが続くのは、忍の記憶が戻らない間のみ。

  部屋の鍵を開けて先に中に入ると首筋に忍の顔がぽすんと乗せられた。驚いて首だけ軽く動かすと彼はヒクヒク鼻を動かしていた。

「マキって、いつもいい匂いするな……」

  シャンパンを浴びて散々な酒臭で帰宅したので、身体を綺麗にしてお気に入りの香水を振りまいてきて良かったと思う。

「そ、そう?    ありがと」

「腹減った」

「忍がシャワー浴びてる間に作るから待ってて」

「へへっ……ホント、マキは俺に勿体ないいい女だよな。何処で出会ったんだろう」

  ふと忍が私との出会いを模索し始めたので、私は首に乗った忍の頭を引き剥がした。

「そんなの、いちいち思い出さなくてもいいの!    過去を振り返って別の女の話したら怒るよ?」

「お、おう……悪い。俺にはマキが居るから、他の女は絶対に見ません〜」

  これは精一杯の牽制。苦い過去は振り返らないで欲しい。もしも忍が色々と思い出してしまったら、私のこの幸せな時間は全て失われてしまう。

「約束よ、忍──これからも私を見てね」

「マキ……」

  玄関のドアを閉め、鍵をかける。忍の腰に手を回し、彼の唇に自分のを重ねてそっと塞いだ。
  身体に良くないからタバコは止めるよう言ってたけど、まだ忍はタバコを吸っているらしい。

  舌は、苦いマルボロの味がした。


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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